文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2019/08/25(日)

京都には「地蔵盆」という、ひたすら子供が遊ぶのをひたすら大人が見守るという行事があるが、1日がかりなので、とても大変。近所のおじさん、おじいさんたちに「こっちにおいで」と誘われ、仲間に入り、お酒を飲む。女だから甘いものが好きだと思われたのか、濃い梅酒のロックを作ってくれた。わたしはビール党で甘いお酒は飲めないのだが、こういう心遣いはいいものだなと思う。「女の子」扱いされるのは好きだ。
「子供がふたりなんて少なすぎる、あと3人は産め」だとか「魚が三枚におろせないなんていけない、子育てするなら魚くらいおろせないと」だとか「フリーターみたいなもんなんだから、時間あるでしょう」だとか言われたけれど、それでもおいしそうな魚をこっちにまわしてくれたり、グラスが空けばまた梅酒を注いでくれようとして、おじさんというのはおもしろいなと思う。

2019/08/24(土)

午前は写真のワークショップへ。写真集のレイアウトについて考える。わたしはこういう作業がとても苦手だ。だれか決めてくれないかなぁとおもう。だれかの意見にわたしがいいなとおもえば、わたしはそれでいい。レイアウトは相談しながらやっと決まった。

その後明日の地蔵盆のためのプレゼントを買いに行く。こういうのもとても苦手なんだよなぁ。わたしは得意なものが少ない。料理も育児もスポーツもインテリアも団体行動もアウトドアも苦手だ。誰かに任せたい。誰かの方が得意だろうし。と、考えてから、わたしは上手くやろうとしていて楽しめてないのかなと思った。

2019/08/21(水)

1日中家で執筆。気づいたら夕方。夜『全裸監督』を観る。刺激が強い。人のセックスを観るということにあまり慣れていないからなのか、どっと疲れが出た。性欲というのは厄介なものだ。人を傷つける。深いコミュニケーションなのだから当然か。食欲と睡眠欲はひとりで完結できるけれど、性欲は支配や愛や暴力と結びついている。厄介。

2019/08/20(火)

料理が苦痛でしかたないのだと書いたら、編集者が
「無理しないでね。料理をすることをあたりまえだと思わないでね。できないものは『できない』でいいと思うから」
とメッセージをくれた。それを読むと心が軽くなった。なぜか、「書けない」と言ってもいいのだなと思えた。飛躍しているけれど、ものを作るってすべて繋がっている。きっと。

最近は集中力がないのか一冊の本がなかなか読めないので、昼食をとるときに雑誌を眺めている。さまざまな人のコラムやエッセイを読んでいると、「このインタビューはとてもいいな」とか「この出だしはおもしろいな」とか、刺激がもらえていい。

夢をまた見るようになった。ストーカーに付け回される夢とか、ホテルで罪悪感を覚えながらシャワーを浴びる夢とか、ろくなものではない。

2019/08/19(月)

料理が苦痛でしかたがない。今日は冷凍餃子と、小松菜とツナと卵の炒め物を作った。あとはお味噌汁とご飯。自分がつくった料理を前に席に座り、みんなで食べ始めると、また涙が溢れてしまった。家族はみな「おいしい」と言ってぱくぱく食べてくれるが、全然おいしくない。全然きれいじゃない。そう思うと情けないような惨めなような気持ちになり、涙がどんどん溢れた。
料理をやめたい。夏バテで食欲もないのにつくるのがしんどいのかもしれない。「うまくなりたいなら料理教室に行ったら?」と長男が言った。いかにもわたしが言いそうなことだと思う。でもわたしは、うまくなりたいのではなく、やめたいのだと思った。
わたしにはその部分がごっそり欠落している。それをなんども思い知らされるから、わたしは料理が苦痛なのだと思う。いつか楽しくなるだろうか。