文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2019/09/01(日)

午前はエッセイをひとつ書き、午後はずっと眠っていた。夜、ひさびさに焼肉を食べる。大好きだった焼肉屋さんが一時休店していたのだけど、ふたたび営業を始めたのだ。あんのじょうお腹をこわしたが、行けてよかった。こどもたちが大きくなったねと、おかみさんが喜んでくれた。

2019/08/31(土)

渋谷にてトークイベント。最近は、多くの方の前で話すという経験が増えている。話すのは苦ではないし、むしろ好きなほう。気をつけているのは、心を開くこと。心を閉じると相手にそれが伝わり、自分もみんなも楽しくない。心を開くというのは、自分をその場に委ねるということだと思う。自己防衛しすぎず、かと言っておもねらず、ちゃんと「本当の自分」の領域のなかで話していたいと思う。「本当の自分」のいちばん外側、だけどその辺境を絶対に出ない。そう自分に約束して、トークイベントに出ている。書く自分と話す自分は、たぶん、雰囲気が違う。「本当の自分」のいちばん内側と外側、みたいな感じかもしれない。だから、どっちも本当のわたしだ。

外側に来たら、ちゃんと内側に帰る作業がいる。ずっと外側にいると、外側部分が磨耗してくる。すると、ふちが壊れて、中に自分以外のものが入ってきて、ざわざわしてくる。

トークイベントは楽しい。「本当の自分」である限り楽しい。それをずっと気をつけていたい。

2019/08/30(金)

引き続き気分は少し低迷。目のぴくぴくも止まらない。ラジオの生放送出演があったので、編集者とともにKBS京都へ向かう。ラジオスターはやっぱりすごい。オンエアになった瞬間空気が変わる。

昼、親子丼を食べる。タクシーの中から編集者が指さして「あの鶏料理屋さん、気になってたんだよね」と言うので「わたしも気になってた」と言うと、すぐに彼は「すみません運転手さん、ここで止めてください」と言った。それですぐに「あの鶏料理屋さん」に入った。こういう瞬発力がすごい。ぐいぐい具現化していく人だなと思う、改めて。初めて食べたそこの親子丼はとてもおいしかった(のに、のちに腹痛に襲われた。もうわたしのお腹はだめかもしれない)。

小説の打ち合わせをしたら、少し物語が動いた音がした。ぼんやりしながら歩き、家に帰って、のそのそと仕事をする。停滞していても、目の前で少しずつ原稿ができあがっていくのを見ると、精神的には良い。

2019/08/29(木)

どうも疲れがたまっているようで、動きがのろい。集中力も低下している。まぶたがずっとぴくぴくしていて、調べたら疲れ目だという。目を使う仕事なので、どうにもできない。ぴくぴくと痙攣させながら、仕事をしている。

このように落ちる時期というのは定期的、不定期的に来るものだ。いつかまた上がるのだから、それまでしのぶしかない。淡々とできることをやる。送らねばならないメール、発送せねばならない請求書、やるべき告知、報告、連絡、「新しいものを書く」ということ以外手当たり次第にやる。それがなくなったら、新しいものを書く。どんなに筆が遅くても、何もしないよりはましだ。じゅうぶんましだ。

そんなふうにして雨風をしのいでいる。いつかまた晴れたら、おもてに出よう。それまでは、求められることを、ちゃんとしよう。

2019/08/28(水)

なんの因果か保育園のバザー委員の部長になった。委員なのに「部長」というのがまず引っかかっている。委員長ではないのだろうか。あまり熱心に保育園の保護者会に参加するほうではなかったので、部や委員の構造がどうなっているのかもそもそもわからない。まずはクラス名とその順番がどうなっているのかを勉強した。なに組が何歳のクラスなのか、ぼんやりしたまま生きてきたのだ。そろそろぼんやりしていられなくなってきた。

バザーというのは非常に大変な委員なのだという。わたしはクラスで委員を決める際に欠席していたので、あまったバザーを引き受けることになった。しかも部長はもっと大変ということで、あまった部長まで引き受けることになった。バザーの部長だというと、まず「わあ」と気の毒そうな顔で見られ、「すばらしいですね」と褒められる。同情されている感じがすごい。

きのうの部長会議では、「バザーなどなくしたらどうか」という意見すら出た。売り上げのわりに手間暇がすごいというのだ。ある方は、メリットとデメリットを天秤にかけたらデメリットのほうが大きいという。しかしまたある方は、メリットデメリットの問題ではない、という。みんなで力を合わせやっていく中で得られるものは大きいはずだという。意外にも後者の意見のひとのほうが多く、それはなんだかいいことだなと思った。メリットデメリットで考えるのももちろん大事だが、どうせなら豊かなほうがいい。

「続けない、という選択肢をとる前に、続けやすくする工夫を最大限してみてはどうか」というのがわたしの意見。まあそれを先頭で仕切るのはわたしなのだが。やれることをやってみよう。ひとりでやるわけでもないし。

思ったのは、今目の前の事象を「自分の時間を奪うもの」だと考えるのは本当に損だなということだった。「自分の時間を与える」と考える人は本当に強い。なんのために与えるのかを考え出して価値を生み出すから、楽しそうだもの、生きてて。わたしもそうなれたらいいなと思う。

2019/08/27(火)

久々にプールへ行った。なかなか時間がなくて行けなかったのだ。通い始めて1年になるが、だいたい週に1度か2週に1度のペースで泳いでいる。

プールが好きかと問われると、別に好きではない。軽い閉所恐怖症なので水着がべったり肌に張り付くのもいやだし、シャワールームで密閉されるのもこわい。泳いでいるときに人とすれ違うのもこわいし、後ろから誰かに追っかけられているんじゃないかと思うのもこわい。だけど泳ぐたびにいつも発見がある。その発見のために行っているようなものだと思う。

今日発見したのは「シズル感」についてだった。水の中を歩いていると、プールの水がたゆたって泡を作ってとてもきれい。てのひらで掻き分けると、青いゼリーがくずれるみたいで、ついうっとりしてしまった。まるでやわらかいゼリーの中を歩いているみたいだ。おいしそう。
そこで思ったのが、「うっとり」したり「気持ちいい」って思う才能ってあるよなってことだった。つまり「シズル感」に対する感度の高さだ。わたしは食欲がない方なので、シズル感にあまり反応しないなということに気づいた。でも、シズル感をみずから探し出し積極的にアプローチすることならできるかもしれない。わかりやすく言うなら、とにかく目の前の事象に「うっとり」する。見とれる。快感を貪る。猫かわいいな、パンおいしそうだな、あの男の子すてきだな、ふとん気持ちいいな。なんでもいい。とにかく「今」を貪ること。

また発見してしまった、と思いながら、プールを出る。帰ってからバタートーストを作って食べた。「うまい」と声を出しながら。いつもよりもバタートーストはおいしくて、わたしはこれが大好きだったんだよな、と気づいた。

2019/08/26(月)

編集者とKBSヘラジオの打ち合わせに行く。軽くインタビューが行われたのだが、「どうして土門さんの担当編集になったんですか」という問いに、編集者が「この人は放っておくと死にそうだから」と答えたのが印象的だった。「放っておくとガリガリに痩せていきそうなんですよ」と言う。確かにそうかもしれないなと思った。