この空白を「未来」と呼ぶならば
会社にしようと決めてから、いろいろな書類を用意した。
申請書類のほかにも、住民票とか印鑑登録証明証とか戸籍謄本とかいろいろ必要だったので、全部、一個一個揃えていった。
わたしはそういう、書類を揃えるということがとても苦手だ。
法務局の方に懇切丁寧に教えていただいても、うまく頭に入ってこない。
書類を前にするとしどろもどろになるわたしを気の毒がって、柳下さんは「僕がやろうか」と何度も言ってくれたけれど、「自分でやる」と言い張った。
会社をつくるということを、自分でやってみたかった。
会社とはどういうふうにできるものなのか、その構造や流れを、身をもって理解したかったのだと思う。そうでないと、手から離れていってしまう気がした。なんとなく。
「社」の字を旧字体にしたのは、名刺のデザインをお願いしている方が、いくつかのデザイン案の中に「文鳥社」と旧字体でデザインした案を入れてくださっていて、それを見て「旧字体もクラシカルで素敵だ」と思ったため。
それと、「文鳥社」という会社がすでに存在していたので、できるだけご迷惑をかけないようにするためにも、旧字体の「社」はいいかもしれないと話した。
「社名の画数とか気にする?」と柳下さんに聞いたら、「文鳥はそんなこと気にしない」と言われたので、画数は調べなかった。
さて、やっとの思いで書類を揃えて、法務局に先週提出した。
そうしたらすぐ電話がかかってきて
「直してもらうところがたくさんありますね」
と言われた。
印鑑セットを持っていって、局員さんに言われるがまま、しどろもどろになりながらたくさん修正した。
二重線と修正印でごちゃごちゃしている書類は、本当にこれで登記できるのか、というくらいぼろぼろで、それがなんだかいまの自分自身みたいだなあと思った。
出版についても、経営についても、まったくの素人であるわたしの、今後も続くであろうトライアンドエラーが、いまここにまずは書類として現れている気がした。
局員さんはそんなぼろぼろの書類をとん、と揃えて、それから「はい」とうなずいた。
「はい。これで、大丈夫かと思います」
わたしは「えっ」と言って、それからちょっとぽかんとした。
「大丈夫とは、もう、会社になったってことでしょうか」
「そうですね。もし不備があれば、二日以内に電話します。電話がなければ、登記できたと思っていただいて結構です」
「えっと、じゃあ、設立記念日はいつですか?」
これから毎年設立した日にはお祝いせねばと考えていたので、つい「設立記念日」と言ってしまった。そしたら局員さんがちょっと笑って、
「設立記念日は、書類を出された日なので、5月24日です」
と答えてくれた。
気が早いし、ばかみたいな質問だったな、と恥ずかしく思いながらも、わたしは合同会社文鳥社の誕生日を頭に入れた。
2017年5月24日。
法務局を出て、すぐに柳下さんにメッセージを送った。
「なんか、できたっぽい!会社」と送ったら「サイコー!」と返ってきた。
それを読んだらなんだか緊張がほぐれて、ふつふつと嬉しくなってきたので、ひとりでお祝いをしようと思って、法務局の目の前にあるパン屋さん・LANDに入り、大好物のシナモンロールを買った。
LANDの方に、
「いま、会社できたんですよ」
と言ったら、
「えっ、いまですか?」
「そんな(カジュアルな)感じでできるものなんですか?」
とびっくりされつつも、厨房から
「おめでとうございます!」
とお祝いの言葉をかけていただいた。
お礼を言って、家に帰った。そして、コーヒーを淹れてシナモンロールを食べた。
食べながら、会社を立ち上げてみたが、さてどうかと考えてみたが、まだよくわからないな、と思った。会社にしたからと言って、劇的に何か変わるものでもないんだな、やっぱり。と。
「会社は箱でしかないのかもしれない」と思う。
わたしたちは出版社を作ったけれど、まだ本は作っていない。
だから、まあ、中身を作らなくちゃ箱の意味はないし、これからだよな、と思った。
そんなときに母親から電話がかかってきた。
元気か、と言うので、元気だと答える。
「会社作ったよ」と言ったら、母親もやっぱり「え?なに?いま?」と、びっくりしていた。
大丈夫か、と言うので、大丈夫だと答える。
大丈夫も何も、まだできたのは箱だけなんだから、と思っていたら、母親がいきなり
「ありがとう」
と言ったので、驚いた。
何がありがとうなのか聞いたら「なんだか、嬉しくて」と涙声で言う。
「お母さんにはようわからんけど、あんたこれからやりたいことがあるんじゃろ。がんばりんさいね。応援しとるけんね」
母親の広島弁を聞きながら、会社を作ったことはつまり、
「あんたこれからやりたいことがあるんじゃろ」
ということなんだなと思った。
まだ空っぽだと思ったわたしたちの箱には、実は「未来」が入っているのかもしれない。何色にでもなるこの空白を「未来」と呼ぶならば。
そう思ったりするほど、母親の「ありがとう」は、祝福のように聞こえた。
どうぞよろしくお願いいたします。
(文鳥社・土門蘭)