文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

燃やしきってしまえばすっきり気持ちがいいのです

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柳下さんと出会ってすぐ、「これ、僕が作ったんです」と本をもらった(その頃はまだ敬語で話していた)。
その本は『きっといい日になりますように』という寺田マユミさんの本で、線画で描かれた絵に、ときどき手書きで書かれた文字が添えられている。
描かれているのは、パン屋のお兄さんの、パンを作っていく毎日。そしてそこを訪れるひと、ひとではないもの。

パン屋のお兄さんは、あんまりおいしいパンが焼けないのか、閉店時間になってもパンが余っていることが多くて悩んでいた。そんな中ある女性が現れて、彼のパンをかたっぱしから食べて酷評していく。彼は格闘するように試行錯誤を重ね、新しいパンを作っていく。それを見守る、ひとではないもの。「パンにすむもの」。

気持ちがいい線だな、と思った。
やわらかで、しなやかで、どこまでも伸びていきそうに自由で。
わたしはこの人の描く線がとても好きだな、と思った。

あとがきにはこう書いてあった。
「苦しい試練はなかなか手強いものです。でも大丈夫。恐れることはありません。苦難さえ、楽しむ方法があるのです。それは「朴訥に全力で」立ち向かうこと。可能な限り、逃げずに限界に挑戦すること。「全力で挑む」ということは、とても楽しいことです。成功すれば尚のこと、失敗してしまってさえ。
辛いのは、くすぶっているからです。燃やしきってしまえばすっきり気持ちがいいのです」

それを読んで、だからマユミさんの線は気持ちがいいのか、と腑に落ちて嬉しくなった。
迷いがないように見える線は、きっと何度も迷って、迷って、ようやく選ばれた線なのだろう。無数の線が燃やされる中、唯一残った線は、余計なものが一切付着していなくて、熱がすみずみまで伝わっているようで清々しい。
わたしはまた最初からページを繰り、きれいな線だな、と思った。

だから
「寺田さんに文鳥社のロゴをお願いしよう」
と、柳下さんが言ったとき、わたしには反対する理由なんてひとつもなかった。



今年の5月、建仁寺の禅居庵で行われた「はじまりの絵本 100人のこどもと大切な絵本展」というイベントに、マユミさんが参加していた。
100人が自身にとって大切な絵本を選び、それについての文章を書く、という内容だったのだけれど、マユミさんは『ちいさなうさこちゃん』と『しきぶとんさん かけぶとんさん まくらさん』の二冊を選んでいた。

『ちいさなうさこちゃん』には、こんなマユミさんの文章が添えられていた。

「自営業をしている両親は忙しく、絵本を読んでもらった記憶はあまりないのですが、本であればほしいと思ったものはいくらでも買ってくれるという考えでした。「ちいさなうさこちゃん」シリーズは幼稚園で知り、とても気に入ったので買ってもらったのではなかったかと思います。ま四角なカタチも、お話の長さも、ちょうどよい。色も形もくっきりとしてわかりやすい。そして、登場するみんなが「まっすぐこちらを見つめてくれている」安心感。小さな手と小さくて怖がりな心にまっすぐ届く絵本だったと思います。「うさこちゃん」という呼び方もとても素敵で、よく真似して描いていたことを憶えています」

土門さんは話すときまっすぐ目を見るね、と言われたことがある。
「なんか、妥協したり逃げたりすることを許してくれない感じがして、こわい」
マユミさんの文章を読んで、そんなことを思い出した。そして、マユミさんはわたしがそんな目で見てもこわがらないでいてくれるのだろうか、と考えた。


「トリミング」というテーマで、マユミさんと本を作ることになり、わたしが短歌を書き、マユミさんが絵を描く、ということが決まった。
その後マユミさんから、短歌ひとつひとつについて、どんな気持ちで詠んだのか話を聞かせてほしい、というメッセージをもらった。それである夏の日に、梅田の古い喫茶店で待ち合わせて、ふたりで話をした。

マユミさんは、選ばれた60首以上の短歌をプリントアウトしていて、その紙をテーブルの上に広げ、ペンを持って、
「では」
と体勢を整えた。
そして、本当に最初の一首から最後の一首まで、ひとつひとつ話を聞いてくれた。

わたしはどきどきしながら、しどろもどろになりながら、一所懸命話した。途中で糖分が欲しくなり、ケーキを頼んだ。コーヒーも水もお代わりした。二時間かけて、一首一首どんなときにどういう気持ちでどういうことを考えながら詠んだのかを説明した。話し終わったときには、おでこにうっすら汗をかいていた。

そのあいだずっと、マユミさんはわたしの目を真正面からじっと見ていた。途中でわたしのiPhoneが鳴って、「ちょっと失礼します」とメールを確認しているときですら。
痛いほどのマユミさんの視線を感じながら、ああ、こわいというのはこういうことなのか、と思った。わたしはつい笑いそうになった。わたしはそのとき、とても嬉しかったのだ。

「なんか、妥協したり、逃げたりすることを、許してくれない感じがする」

妥協したり逃げたりしないで、思う存分潜り込んで言葉を探すことができたのは、マユミさんが水面上でずっと待っていてくれると、わかっていたからだ。ちゃんと見てくれていると信じて安心しているからこそ、深いところまで果敢に潜っていける。
見られているのだから、手を抜くことなんてできるわけがない。妥協したり逃げたりできない。それは確かに「こわい」ことかもしれないけれど、こわいからこそこういうふうにまっすぐ見つめてくれるひとが必要なのだ。『きっといい日になりますように』のお兄さんのパンを、片っ端から食べて酷評しつつも、ずっと見守り続ける女のひとのように。

「「朴訥に全力で」立ち向かうこと。可能な限り、逃げずに限界に挑戦すること。「全力で挑む」ということは、とても楽しいことです。成功すれば尚のこと、失敗してしまってさえ」

わたしは清々しい気持ちで喫茶店を出た。あとはマユミさんに任せるだけだ。そこまで行けたことが嬉しかった。


マユミさんは「イラストは図解」だという。

「今回は特に、蘭さんの短歌で「例えられているがためにイメージが立ち上がりにくい、又は難解かも」と思ったものは、わかりやすく補足したり図解する感じで。
そして「わかりやすく例えられている」ようなものは短歌だけでほぼ伝わるので、蛇足になっちゃいけませんので、新たな例え話を付け加える、的な感じ」

ひとつひとつ図解するためには、マユミさんが納得するまで咀嚼することが必要だった。できることを全部しようとしてくれている、全力で挑んでくれている。そう感じることは、こんなに心強く、こんなに嬉しいことなんだなと思った。


「部屋に籠って自分の羽を抜いては錦の布を織るつうは作家そのものだなと思います」
喫茶店で打ち合わせをした夜、マユミさんからそんなメッセージをもらった。
「私もその心意気に誠実に向き合う所存。一緒に錦の反物を織りましょう」



きのう、本ができたと柳下さんから連絡が来た。
送られてきた写真には、推敲に推敲、変更に変更を重ね、ようやく選ばれた本の表紙が写っている。

『100年後、あなたもわたしもいない日に』は、朴訥に全力で織り続けた、わたしたちの錦の反物だ。


文鳥社・土門蘭)