文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2018年3月3日(土)

土日は宿には行かず、子供と過ごすようにしている。

長男にどこか行こうと言われたので「図書館行こうか」と返すと喜んだ。長男は図鑑が好きだ。ずかんをかりよう! と言う。

わたしは小説の資料を集めることにする。
昨日、編集者がそのやりかたを教えてくれた。

「その時代や事件を描いた漫画・映画などビジュアル表現のものにまずあたるといい」
と編集者は言う。
「『何千羽のカラスが空一面を覆った』という表現は言葉なら一行だけれど、絵にするには一羽一羽描かないといけない。それにはやっぱりきっちり資料がいるんだ。そういう作品の巻末には、大抵あたった参考資料が記載されている」

ふむふむ、と言いながらわたしは電話を片手にメモする。

「各作品の参考資料を眺めていると、重なっているものがいくつかあるはずだ。それをまずは基礎資料にする。地域から入ったら文化を、文化から入ったら地域を、というふうに、重なるところを探す」

「新聞の縮尺版を見るのもいいね。時代の空気が伝わるし」

わかった! と返事をし、わたしはまずは家にある漫画を手にとった。地域も、時代も、わたしが描きたいものにかなり近い作品だ。巻末を見ると、参考文献がいくつも書かれている。それをもって、図書館へ向かった。

図書館で検索をすると、なかなかヒットしなかった。資料自体がピンポイントすぎるのだろう。
「帰るしかないな」
と思う。変更しようと想定している舞台は、わたしの故郷なのだ。そこにならきっとある。

それでも15冊ほど借りたい文献は見つかって、それを9冊まで絞った。図書館で借りれるのは10冊までなのだ。
1冊は、長男の分。長男は分厚い宇宙の図鑑を借りた。喜びながら、
ブラックホール、みてみたい?」
と言っている。


参考資料を集めるのは、編集者の言葉を借りると、「リアルとファンタジーをコントロールするため」だ。

「自分事として読む人がいると思うから、この辺の史実を抑えたほうがいい」と編集者は言う。

「君の文章はとても強い。読者は自分のことを投影しながら読むと思う。だから、共感した読者を読みおわった後にがっかりさせてはいけない」

わたしはこの小説を書くにあたり、自分の中にある風景を言葉にして紡いできた。はじめのころも資料を集めて見たりはしたけれど、それはわたしの中にすでにある風景を、そこに探し出す作業だった。点として見ていた感じ。編集者もそのころは「資料を探すのも大事だけど、それよりもまず書いてみるといい」と言っていた。

実を言うと、「わたしにとってのリアルであれば、それでいい」と思っているところがあった。だって、わたしのなかには確実にあるのだから、と。それを描くのが小説なのではないか、と。

だけど編集者の言葉を聞いて、その考えを改めた。
ちゃんと調べよう。
史実に忠実であるためではなくて、わたしの怠慢でせっかく共感してくれた読者をがっかりさせたくないと思うから。

知って書くのと知らないで書くのでは、きっと全然違う。
途方もない作業だけれど、やれるだけやろう。
編集者が今のこのタイミングでこう言ったのは、きっと今がそのときだからだ。

「できないことはできないけれど、できることは全部する」
わたしが小説を書き始めたときに言っていた言葉だ。
この言葉を堂々と言えるようになるには、できることは全部しなくてはいけないな。