文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2018/03/09(金)

宿には行かず、午前は家。午後は図書館で調べ物。

午前、編集者と電話で打ち合わせ。
改稿している小説の、舞台、時代、国籍の変更について話し合う。
そのために、本当にわたしが書きたいものは何なのかを明らかにするための会話をする。でも、うまく話せない。つっかえつっかえ、自分のまだ言葉にできていないところを初めて言葉にして差し出していく感じ。それはなんだかこわいことで、わたしは話しながらてのひらがぴりぴり痛んで汗をかいた。

編集者は言う。
「頻繁に口に出すことか、まったく口に出さないこと、どちらかに本当のことが隠れてる」
まったく口に出さないことって何だろう。自分ではよくわからない。それを今から口にしようとしているのかな。

「おもしろい」
ふと彼が言うので、「ほんと?」と聞くと、
「うん。小説の核に近づいている気がしない?」
と編集者は言った。



あのね、と彼は言う。これから大事なことを言われるのだな、とわたしは身構える。

「僕は君が忘れっぽい人間だと思っていたけれど、実は違っていて、君は自分のフィルターをかけて都合のいいことと悪いことを思いきり切り離しているんだと気づいた」

そう言われて、ちょっとショックを受けた。自分が叱られているのかと思ったのだ。でも、彼は「ちがうよ」と言う(本当かな?)。

「僕はそれをとてもいいところだと思っていて(本当かな?)、全然悪いところではないと思う。だからこそ、君は作品を書けるんだしね。ただ、ひとつだけ懸念点があるとすれば、そのフィルターが読者に誤読を与える可能性があるっていうことだ」

「たとえば君は『村』と表現するけれど、僕が読む限りここは『村』じゃない。やっぱり『街』なんだと思う。そこで齟齬が生じる」
「たとえばこの小説に出てくる日付は、読者に特定の事件を想起させる。それを無視すると、僕たちが読んでほしいように読んでもらえない」

そんなことを編集者は言った。
だから今こういう参考文献を集めたり、資料を読んだりをしているのかなと思う。フィルターがきちんと機能するための作業なのかもしれない。


実は、参考文献を集めて読むうちに、だんだんこわくなってきたのだ。
編集者の言うとおり、わたしはとても主観的な人間である。だから、これまでは自分の中にあるものを形にすることばかり考えて書いてきた。つまり彼の言葉を借りるなら、「都合のいいこと」ばかりに目を向けて手をつけてきたんだと思う。アクセルばっかり踏むことで、なんとか書いてきた。
でも資料を読むうちに、「都合の悪いところ」に目を向けざるをえなくなってきた。
すると読者にちゃんと届くかな? という不安が強くなった。目をそらしていた部分。


「でもそこは僕が担う部分だから大丈夫」
と編集者は言う。申し訳ないけれど、お願いするしかない。


編集者の仕事というのはとても興味ぶかいなと思う。彼はわたしが書けるようになることしか考えていない。本当に、それしか考えていない。

「「作家自身が気づいていない、本当に書きたかったことか書くべきことに先に気づく」っていう、編集にできるのは、ほぼそれだけだけどね」