文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2018/03/14(水)

宿には行かず、終日在宅。

家にいたらチャイムが鳴った。出ると、セレマのアンケートですと言われた。
「1、2分ほどお時間いただけないでしょうか」
これまでならわたしは断りきれずに「はい」と答えていたけれど、今日はお断りした。
「時間は有限だからね」
と、編集者の声が聞こえたので、わたしは謝りドアを閉めた。そして、DVDの続きを観た。

DVDは、溝口健二の『赤線地帯』である。近所のTSUTAYAで借りてきた。観ながら、「ああ、これはすごいな」と思った。5人の女が、それぞれ生き生きと描かれている。怒ったり、泣いたり、ご飯を食べたり、ものを買ったり、眠ったり、起きたり、お金を貸借りしたり、お茶をしたり、自殺をしようとしたり、狂ったり。性描写はないのに、性的だった。白黒なのに、色とりどりの生活があった。

偶然にも、わたしの書いている小説にも5人の女が出てくる。彼女たちに「ごめん。ちょっと待っていてね」と思った。ちょっとだけ、待っていてほしい。がんばって書くから。


それから資料をまた広げ、年表を一から作り直した。

すでに初稿はできているのだ。5人の女をそれぞれ、一度は書いた。でもそれを、まだ強くできる気がする。そのための作業。

年表に、実際に起きた出来事と、わたしの5人の女の年齢を書いていく。
現実とわたしの書いたものの間に、小さなつながりが見えるときがある。その小さな点滅ランプのような偶然をよすがに、年表をひとつひとつ埋めていく。


鉛筆でつくった年表を見ながら、わたしが触れていたのは氷山の一角だったんだな、と思う。

小説って何だろう。何なんだろう、本当に。
わたしは小説に、いろんなところへ連れていかれている。小説は、わたしの中にないものまで、書かせようとする。ついていくので精一杯で、不安で、こわくて、文字を書くことで、なんとか小説にしがみついている。