文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2018/03/20(火)

わたしは20代のころ、5年間出版社で営業職についていた。

営業の仕事には最後の最後まで慣れなくて、毎日辛かった。売上成績は悪くなくて、むしろ良いほうだったのだけど、それでも自分はこの仕事に向いていないとずっと思っていた。
きのうと今日、初めて『100年後あなたもわたしもいない日に』の営業をした。いつも書店さんからお問い合わせをいただいて卸しているので、こちらからアクションを起こすのは初めてだった。いつかしないと、と思いながら延び延びになっていたのは、「営業」という仕事がこわいからだった。
本の営業をしたのは何年ぶりだろう、と数えてみると5年ぶりだった。わたしが営業をしていた年月ぶんだけ、わたしは営業をしていなかった。5年ぶりにした営業は、やはりこわかった。相手がだれであっても、売るものが変わっても、わたし自身はほとんど何も変わっていなかった。緊張して、自分が何を話しているのか、自分でもよくわからなかった。
「すぐに売れなくても、知ってもらうだけでいいんだよ」
と柳下さんは言う。そうなのだろうな、と思う。それでもこわいのは、なぜなんだろう。


雨の日に営業していると、よく青木くんのことを思い出す。
青木くんは小学校4年生のときに転校していった男の子だ。目が切れ長で、声がかすれていて、からだが小さくて、サッカーを習っていた。目立つような子ではなかったけれど、言いにくいことをはっきり言うので、みんなから一目置かれていた。
そんな青木くんは、わたしのことをよくこう表現した。
「土門さんはひとをばかにしとる」
なんで? と聞くと、そう見える、と言う。
わたしはそのたびにどきどきした。そんなことない、と言い返しながらも、そのとおりかもしれないと思っていたからだった。青木くんはよくわたしのことを見ていた。目が合うと、ほら、という目で意地悪く笑う。ほら、またばかにしとる、というように。なんでそんなことをされるのかわからなかった。彼はわたしにとって次第に疎ましい存在になっていった。

雨の日、授業でシャボン玉を作る実験をした。
今思うとなぜ教室のなかでシャボン玉を飛ばすことができたのだろうと不思議だけれど、その日は確かに雨だったのだ。
わたしはセーラームーンのカップに洗剤を入れ、廊下にある水道でそれを薄めて、教室に戻ろうとした。そのとき入り口で足をひっかけて、派手に転んでシャボン玉溶液をすべて床にぶちまけてしまった。

「あーあ」
という声が聴こえて、みんなが面倒を避けるように離れていく。
わたしは恥ずかしくて急いで起きて、雑巾を取りに行った。脛をサッシで強く打って痛い。セーラームーンのカップが遠くに転がっていて、それがすごくみすぼらしく見えた。あれは、お父さんがゲームセンターでとってくれたやつ。気に入っていたはずなのに、その事実さえも恥ずかしいことのように感じた。

雑巾を持って帰ってくると、青木くんがわたしのカップを手にしていた。また何か嫌な事を言われるのかな、と身構えたとき、青木くんが自分の青いカップから、わたしのカップにシャボン玉溶液を分けて入れてくれた。
「はい。これで足りるじゃろ」
わたしはびっくりして、青木くんの顔を見る。青木くんはわたしにストローもくれながら
「土門さん、友達おらんのじゃね」
と言った。それを聞いて、思わずわたしは泣いてしまった。
「泣きんさんなや」
と青木くんは嬉しそうに笑った。


転校する前に、青木くんに聞いたことがある。
「青木くんはわたしがきらいなん?」
青木くんは「別にきらいじゃないよ」と言った。
「じゃあなんでいつも文句言うん?」
「文句なんて言っとらんよ」
「ほうかね?」
「ほうよ。僕は土門さんを友達じゃと思っとるよ」
「ほうなん?」
「ほうよ。じゃけえ、自信もちんさい」
わたしが困った顔をしていると、青木くんはまた嬉しそうに笑った。そして、夏休みが明けたらいなくなっていた。それ以来彼とは一度も会っていない。


雨の日に営業していると、よく青木くんのことを思い出す。
今日はそのことを思い出した。彼のことを思い出すのは5年ぶりだった。

わたしはいまも青木くんがこわい。だけど、青木くんのことを友達だと思っている。
そう言ったらきっと、5年も忘れとったくせに、土門さんはひとをばかにしとる、とか言われるのだろう。青木くんはこわいから。