文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2018/03/25(日)

『100年後あなたもわたしもいない日に』の展示が4月から始まるのだけれど、その展示のタイトルを何にするかという話をしていて、柳下さんが「これはどうかな」とわたしの詠んだ新しい短歌のなかからひとつ、上の句を選んでくれた。
自分の短歌なのだけど、いいなと思った。ガラスの破片みたいに、小さく光っているような。

それで、久しぶりに短歌を詠んだ。また新しい破片をみたくて。

ここ最近、ずっと詠めなかった。短歌を詠むには明確なイメージが要るようにおもう。それはぼうっとしているときにあらわれる。たとえば自転車に乗っているときとか。あるいは眠る前、真っ暗な部屋で。たまに、自分の感情が風景や空間の穴にすこんとはまる感じがするのだけど、わたしはそのときのピース状の感情を詠むことが多いような気がする。


小説がなかなか書けない。手が止まってしまう。道が見えない。ゆうべは夢のなかでも書けなかった。
書けないときは、他に書けるものはないかと探す。それでテープ起こしをした。耳を澄まして、声に出された言葉を記していく。

きのう取材原稿をデザイナーの敬子さんにわたしたら、敬子さんがメッセージが来て「やられる」と書いてあった。わたしは思わず笑って、ほっとする。そうしたらまたぽん、とメッセージがきた。
「土門さんはまさに、写実主義からの印象派という感じ」

絵描きの彼女が、わたしの文章を言葉で表現する。
わたしはその絵を額に入れて心のなかに飾る。
青空の下で風が吹いているような、多分そんな絵だ。

そんな絵のような文章を書きたい。