文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2018/03/26(月)

マユミさんが宿に来た。

マユミさんは、『100年後あなたもわたしもいない日に』の共著者で、絵を描いているひとだ。来月、緑地公園駅にある本屋さんで絵と短歌の展示をするので、その打ち合わせのために大阪から京都まで来てくれた。

こたつに入って、マユミさんと向かい合う。マユミさんがペンを出して、短歌の並んだA4用紙を広げた。そこに並んでいる全部で40首ほどの短歌について、ひとつひとつ話していく。

このやりとりは、2回目だ。
1回目は、『100年後…』を作っている時だった。梅田の古い喫茶店で、やはり向かい合って短歌について話した。あのときは何十首だったろうか。確か、60くらいだったと思う。話し終わったあとは頭がくらくらしていた。2時間ほど通して話していたから。
その日はマユミさんの誕生日だった。7月のことだ。そのことを言うと、マユミさんは
「そうでしたっけ」
と驚いていた。
「ケーキを食べましたよ」
わたしが言うと、
「そうだそうだ、そうでした」
と言って、笑った。


今回話す40首は、『100年後…』を発刊したあとも詠み続けた新しい短歌だ。その短歌を描くために、マユミさんはわたしの話を聞きにきてくれた。
「どんな気持ちで詠んだのかを、お話したら良いでしょうか?」
念のためもう一度確認すると、マユミさんは頷いた。それで、ひとつひとつ、詠んだときの気持ちについて話をし始めた。

途中で、マユミさんがこんなことを尋ねた。
「蘭さんにとって、短歌とは、創作でしょうか?」
慎重に言葉を選んでいるようだった。「創作」とわたしは繰り返す。「つまり、」とマユミさんは言葉を探した。
「蘭さんの中で何が短歌になるのか、ということなのですが」
わたしは考え込む。そして
「記憶かもしれません」
と答えた。


話しながら、「死」という言葉が何度も出た。
「よく走馬灯のことを考えるんです。死ぬとき、どんな走馬灯を見るかなあって」
マユミさんは、真剣な目でわたしを見る。夏に会ったときには、緊張してどきどきした眼差しだ。今は緊張しない。マユミさんがわたしの言葉をしっかりと聞いてくれて、決して拒まないし粗雑にしないということを、身を以て知ったからかもしれない。わたしは安心して話し続ける。まるで子供みたいに。

「走馬灯のなかに見つける光景は、どれも日常の1シーンなのにすごくきれいに見えるのだろうな。きっと、ただのアイスティすらも、夕陽が溶けているように見えるのだろうなって、思うんです」

そう話しながら、わたしは短歌を詠むことで走馬灯をつくっているのかもしれないなと思った。紙に印字された短歌をひとつひとつ読み返しながら、過去の自分がちゃんと生きていたことを知る。傷ついたときも傷つけたときも、何かを失ったときも得たときも。

「マユミさん、何を考えているんですか?」
わたしはマユミさんに聞いた。マユミさんが、指を口元に持っていったまま(これは彼女が考え込むときの癖だ)じっと黙っていたからだ。
「どんな絵にしようかと、考えているんですか?」
するとマユミさんは照れ臭そうに首を振り、
「いえ、短歌が自分のなかに落ちるのを、待っているんです」
と言った。


途中でアウトドアプロダクトを作っているハネジさんがやってきた。打ち合わせに来たらしい。間もなくしまちゃんが来て、岩崎くんが来た。マユミさんを紹介すると、しまちゃんが「あ、『100年後…』の!」と言い、マユミさんが「宿の妖精ですね」と言った。

最後にマユミさんが
「蘭さんが書いているところを、スケッチしようと思って」
と言って、扉のほうへと歩いていった。
わたしはPCに向かってこの日記小説を書く。ハネジさんがマユミさんの横に立って、
「おお。すげえ」
と言った。

「蘭さんは、いつも少し外を向いて書いているんですか?」
「確かにちょっと斜めですよね」
二人に言われて、初めて気づく。確かにわたしは、宿ではいつも少し斜め左、みんながいるほうに体を向けて書いている。
「ここにいる時は、心を開いていたいのかもしれません」


岩崎くんが水曜に御所で花見するけど来るかと言い、ハネジさんが行きたいな持ち寄り?と聞き、マユミさんがお土産にチョコを買って帰ると言い、しまちゃんがあまったフライヤーがもったいないから紙袋を作ったと言う。
そういうやりとりに、いつも心をすこし向けていたい。ここにいるときは。

マユミさんが帰って、わたしも宿を出た。
夕焼け空の中を、自転車に乗って帰る。



終わりから今日という日をかえりみるアイスティには夕陽が溶けてる