文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2018年4月6日(金)

故郷の呉市を舞台にした、短編小説をひとつ書いた。先日仕事として受けたものだけれど、この短編はずっと書いてきた長編小説につながる小説となるだろうから、一回これに集中しよう、と編集者は言った。でもなかなかできあがらなくて、そのたびに「なかなか書けなくてごめん」と編集者に謝った。彼は書きあぐねているわたしに「短編でこのやりとりができてよかったよ」と言った。

呉市は自分が18年間住んでいた街だ。そこで過ごした自分のことも、いやというほど知っている。だからすぐに書けるだろうとたかをくくっていた自分を、何度も原稿を書き直しながら呪った。

自分の中に潜って本質に触れなくては、多分読者の誰にも響かない。それがとても怖かった。本質は、書き始めるまでは見えていない。そうだ、書きながらでしか探せないものだったのだと、わたしはまた思い出す。長編の初稿を書き上げるのに、あんなに苦労をしていたのに。

潜ったときに何もなかったら?
何かあったとしてそれをちゃんと言葉にできなかったら?
書くことでしか潜れなくて、書くことでしか言葉が紡げない。だからわたしは書くしかないのだった。とにかく。そうだった。ばかだな、また忘れたりなんかして。

手を動かして、動かして。
ふと液晶に浮かびあがった一行を読んで、わたしは手をとめた。
そして「そうだったの」とつぶやいた。
書くまで知らなかった。わたしは、この言葉に出会えてよかった、と思った。

「いい文章だ」
原稿を送ると編集者が電話をかけてきて、そう言った。
まだ赤字を入れる余地はあるかもしれないけれど、ひとまずは、と彼は言う。いやあ、とふたりで息をつきながら。
「まずはお疲れ様でした」

わたしは電話を切って、ぼんやりとトイレへ行く。そしてずいぶん水を飲んでいなかったことに気づき、水道水を汲んで飲んだ。
部屋に戻ると子供たちが散らかしたおもちゃがそのままになっていて、洋服がソファにかけっぱなしになっている。いつの間にか雨が降り出していて、干しっぱなしでびしょ濡れになっている洗濯物を部屋の中に入れた。PCのメールボックスの返信していないメールたちを見て、わたしは首をまわす。ごき、と大きな音がして、ふーと息をついた。

そして
「よかった。できた」
とわたしはひとりごとを言った。

もう、子供を迎えに行かなくてはいけない。
お皿を洗って、ごはんを作って、洗濯物をかわかして。

そしてまた、小説を書こう。