文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2018/04/22(日)

外から信号機の音とかデモの声とかが聞こえる部屋のなかで、わたしはシーツのなかにうずくまっていた。カーテンの隙間から、夏のような日差しが入り込んでくる。漫画を3冊、小説を1冊読み終わって、2冊目の小説にさしかかる。

新品のノートは罫線がないのを選んだ。ベッドにうつぶせになった姿勢で、わたしはそのノートに文字を書いた。腰が痛くなるので、手に左頬をあずけて、右目だけで見て書く。小さい頃からこういうふうにふとんのなかで書いていたから、わたしは右目だけ悪い。

誰のためでもない文章だ。甘ったるくて、ひとりよがりで、ひどく感傷的な。こんな文章を書くのは久しぶりだとおもった。わたしはそれを垂れ流す。そのときばかりは、わたしのなかの読者も何も言わない。一緒に黙って、弱った女の文章を読んでくれる。あるいは目をそらしてくれる。


死ぬ気はないけれど、遺書を書いてみようと思った。遺書を書くのは初めてだった。書いてみたら、ありきたりな文章になったので、がっかりした。

「最期にはもっとすごいことを書けるかと思ったのに、こんなにありきたりな文章になってしまうとは」

わたしはそう書いて、ちょっと笑う。すごいことって何だろう。ありきたりになってしまうのは、きっと死ぬ気がないからだ。
死ぬのには度胸がいると、友人のフォトグラファーは言っていた。だから僕は死ねなくて、それですごく寂しくて、夜を徘徊して写真を撮るんです。

わたしはその写真を愛している。夜と、血と、人間の写真を。

帰ろう、と思った。もうすぐ夏がくる。季節が変わる。等しく時間は流れ、等しく死に近づく。