文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2018/04/27(金)

朝から夕方までひたすら書き、インタビューの原稿をひとつ仕上げた。

テープ起こしをするに時間がかかる人がいる。そういう人は、無駄な言葉がほとんどなく、一言における密度が高い。そうなると、一回一回止めて書き留めることになる。言い方もしっかりと聞き取らなくてはいけない。なんとなくこのようなことを言っていたなで書き留めると、それが全体のピントを甘くするような気がしてしまう。

インタビュー記事を書くことはとてつもなく「読む」作業だ。
彼の発言を文字に起こし読み、それをより読みやすいように組み替え、言い回しを調整し、少し余談だなと思うところは削ぎ、また読み込む。
小説を書くこととはまったく違う。小説は、言葉のないところに言葉を書き付ける作業だからである。それもまた、読まねばならないのだけど、書く順が読む順の通りだったりはする。

強く濃い言葉を発する人のインタビュー記事を書くと、心が呑まれそうになる。
本当に取っ組み合いをするかのように、わたしは言葉とがっぷり四つに組む。

書き終えて放心した。よくわからない。わたしはおもしろいと思うけれどどうだろう。いつもそう思う。わたしはおもしろいと思うけれどどうだろう。わたしは本当に、書きたいものしか読みたいものしか書けないのだなと思う。誂え向き、という文章が、わたしにはどういうものなのかわからないのだ。
そんなとき、この人さえおもしろいと言ってくれたらそれでいいという人がいて、わたしはその人に褒められたらそれで安心する。ああ、喜んでもらえたな。がんばってよかったなと。


夕方から次男の保育園で保護者会だった。わたしはほとんど話を聞いていなかった。頭の中がくたびれていたので、早く帰って横になりたかった。みんな、わたしよりしっかりしている人たちに見えた。


人の言葉ばかり身の中を通していると、自分の言葉を書きたくなる。

小説を書こう。