文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2018/04/30(月・祝)

最終日。いつもと同じように自転車を停め、いつもと同じように宿を開ける。

中に入ってブラインドを開けると、そこに岩崎くんが立っていた。
自転車を停め、中に入ってくる。まだ電気がついていなかったので、彼がつけてくれた。
「今日で最後だね」
三ヶ月間どうもありがとう。そうわたしが言うと、
「今日も1日、よろしくお願いします」
と岩崎くんが言った。わたしは笑って「よろしくお願いします」と答える。


ほどなくしてクラちゃんが来る。クラちゃんはオレンジ色のリボンで髪を結い、オレンジ色のリボンで胸元をくくっていた。こたつに入ると、リボンが彼女の動きに合わせて揺れた。
彼女はオレンジ色が好きだ。アイデンティティーカラーだと、出会った頃に言っていた。わたしはそういうものがあるのは素敵なことだと思う。小さな子供がお気に入りの毛布と一緒だとよく眠れるみたいなもので、この世界で生きていくためのお守りのようなものなのだろう。自分にとってのお守りは、多いほうがいい。オレンジ色のものはこの世界にたくさん存在している。彼女を見ると、その心強さを思う。
岩崎くんが東京土産の最中をくれ、わたしが広島土産のおまんじゅうを出した(実家から父が来ているのだ)。彼女はきれいにそれらを食べ「これおいしいっすね」と言った。

扉の外を見ると夫がいた。おずおずと、宿に入ってくる。よく見知っている顔が、お客のように入ってくるのはとても不思議な感覚だと思う。自転車のパンクを直してそれに乗ってきたのだと言うので、わたしは心からお礼を言った。
「子供たちは?」
とクラちゃんに聞かれ、わたしはおまんじゅうを指差す。
「今実家から父が来てて、子守してくれてる」
そう言うとクラちゃんが納得したように頷いた。夫は緊張した面持ちで、宿の中を歩きながら見る。こたつに戻ってきてやっと言った感想は「かっこいいスツールっすね」だった。岩崎くんがまずきちんとお礼を言い、「そうでしょう」と力を込めて言った。

「この間、植松さんが来てくれたよ」
こたつに入ってきた岩崎くんにそう言うと、「そうなんや」と嬉しそうにした。植松さんの書いたものをわたしに渡し、そして彼女がずっとわたしに会いたがっていると教えてくれたのは岩崎くんだった。
それでクラちゃんと夫に植松さんのことを話す。
「線が細い女性の方で、めがねをかけてるの。シャツを第一ボタンまできちんと留めてて、小さな手提げかばんをひとつだけ持ってて。そのかばんには何が入ってるんやろうって思う……」
わたしは小さな手提げかばんに弱いのだ。それも、小さな子供が持つ宝物を入れたお守りみたいに見えるからかもしれない。そう話していたら、まさにそのままの格好で植松さんが来た。
「植松さん!」
わたしが言うと、みんながそちらを向く。植松さんは一斉にこちらを向かれて、表情を硬くしていた。植松さんもこたつにどうぞ、と言うと、彼女は素直にうなずいて、小さくこたつに入った。

クラちゃんと夫が帰り、植松さんと向き合って話す。植松さんはまっすぐに目を見る。わたしもまっすぐに見返す。なので、自然と見つめ合いながら話す格好になる。
今日は、
「土門さんは、小説を書くための学校に通おうと思ったことはありますか?」
と聞かれた。植松さんは実にいろいろな質問をわたしにする。
わたしは「ないと思います」と答える。
「それはなぜですか?」
さらに聞かれ、わたしはよくよく考えた。
「すごくプライベートなことだからかな」
そしてそう返す。
「学校ってパブリックでしょう。だからかな」
答えながらわからないと思った。食わず嫌いなのかもしれないし、本当は行くべきなのかもしれないけれど、なぜか行こうと思ったことはないのだ。ライター講座には、10代のころ通ったことがある。そこで「君はいつか小説を書きなさい」と言われた。そう言ってくれた新聞記者の先生は、もうずいぶん前に亡くなってしまった。
小説の学校に行きたいという気持ちはなかったが、編集者についてほしいという気持ちはとても強かった。多数のなかでのやりとりよりも、個人的なやりとりを望んでいるのだろうか。植松さんと話していると、いろいろなことをわたしは考える。

「土門さんの文章は写実的なのに、感情がとてもこもっていますよね」
そう植松さんは言った。「それが少し、わたしには重たくて」。わたしは「そうですよね」と答える。
「生きていくのに、必死だからかもしれませんね」
生きるのが、こわいというか。
「こんなに良いお友達がいっぱいいるのに?」
彼女はそう言って宿の中を見渡した。わたしは情けない顔をしていたと思う。
「弱いんですね、きっと、すごく」


佐々木さんが、3人の息子たちを連れてきてくれた。みんな大きな荷物を抱えている。一泊旅行の帰りらしい。
佐々木さんは本友達である。お互いに、おもしろかった本や漫画を貸し合い、それを持ち寄ってはお茶をする。その日はほとんどわたしとは話さず、宿の中を子供たちとじっくりと見て回っていた。帰りに何か本を買っていたので、「何買ったんですか」と聞いたら本の表紙を見せてくれた。『眠れなくなる宇宙のはなし』。
「それわたしも読みたかったやつだ」
そう言うと佐々木さんはひっそり笑い、
「そうでしょう」
と言った。
「読み終わったら感想教えてくださいね」
佐々木さんはもちろんだというようにうなずいて、三人の息子たちと帰っていった。きっと今度貸してくれるのだろう。こたつに戻りながら、確かにわたしには「良いお友達」がいると思う。戻るとまた植松さんと向かい合う格好になった。
「植松さんは、目をじっと見ますね」
そう言うと、植松さんは吹き出した。

帽子をかぶりめがねをかけた男性と、くるんくるんの髪の毛でめがねをかけた男性ふたりが入ってくる。くるんくるんの髪の毛の方は、blackbird booksのトークイベントに来られていた方で、わざわざ大阪から和歌山に行く途中の道すがら、ここに寄りに来てくれたらしい。
「贈っていただいた短歌、すごく嬉しかったです」
トークイベントの帰りに、サインをしたのだ。そのとき彼の最近の悩み事を聞き、短歌をひとつ贈った。
彼はさらに2冊『100年後あなたもわたしもいない日に』を買ってくれた。友達にあげるのだと言って。
「40になっても、人生迷ってばっかりですよ」
彼はそう言って笑って、宿を出ていった。

植松さんも帰ると言うので見送ると、彼女が手提げかばんを持っていないことに気がついた。
「手提げかばん」
わたしが言うと、彼女は当然だというように「今日は持ってきてません」と言った。

最後に、帽子をかぶりめがねをかけた男性が残る。
これまでの日記小説が展示されている袋とじギャラリーに、彼はかなり長い時間こもっていた。彼がおそらくすべて読み終えてやっと出てきたときには、宿にいたみんなはもういなくなって、わたしと岩崎くんしか残っていなかった。

「1冊ください」
そう言って彼は『100年後』を買ってくれた。
「この本もさっきほとんど読んじゃったんですけど、またゆっくり読みます」
と言って。


みんながいなくなって、わたしと岩崎くんが残った。ふたりでこたつをばらし、荷物をまとめながら、改めて言う。
「今日で最後だね」

ぽっかりと空いた畳は、なんだか切ない。
「なんだか切ないね」
ふざけたようにそう言うと、岩崎くんは「そう、切ない」と言った。

「思ったよりも荷物が少ないね」
「そうだね」
「三ヶ月間、どうもありがとう」
「どうもありがとう」

そのとき今日のゲストがチェックインにやってきた。韓国から来たゲストらしい。
カウンターでホストらしく対応する岩崎くんに、わたしは「じゃあ、また」と小さく声をかける。


今日で4月が終わる。
明日もまた、わたしは小説を書く。

いつもと同じように自転車を出し、いつもと同じように宿をあとにする。