文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2018/05/16(水)

体重計に乗ったら、また落ちていた。こんなに体重が軽くなるのはいつぶりだろう。最近、うまくご飯が食べられない。お腹は空くのに食欲がわかない。食事を用意するのも苦痛だ。これは前にも体験したことがある、と思ったら悪阻だった。小説は出産と似たものなのだろうか。自分の中にある、異なる生き物のようなものを育て生み出す行為だから。

編集者に「ちょっと元気がないね」と言われる。「ギアがあってないというか。世界のルールに合流してないというか」
まさにその通りで、交通事故を起こしてしまいそうでこわい。車の運転は運動神経みたいなもので、車間距離だとかカーブの角度だとか感覚的だと思う。それが今自分は狂っていて、人との距離の取り方や付き合い方、自分の乗り回し方がうまく思い出せない感じがする。

弱いなあと思う。すぐにこうして呑まれたり、溺れたり。
「強くなりたい」
と思わず言うと、
「君の最大の武器は弱さでもあると思うので、強くなるための方向を間違えないようにね」
と言われた。

「蟻が恐れて渡れない水たまりを、象は気付かずに踏み潰す。それが強さとか弱さってものだと思う。強くなることって変質だから、今の君ではなくなるよ」

強くなることって変質。確かに、蟻が象になることはない。

「この弱いわたしのまま立ち続ける・走り続ける筋力をつけることが、わたしの望む「強くありたい」ということなのかな」

「そうかもね。そういうのがプロの技術だと思う。作家っていうものは、「自分」っていう資質でものを作るからね」

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5章はこれまでにいくつか書いていて、そのうちのひとつ、最後に書き上げた初稿(言い方が変だが、初めて最後まで書き切った原稿という意味)を読み返した。もっとも自信のない章で、この主人公は揺れに揺れている。
今日読み返したら、どんなことを書いていたのかすっかり忘れていて、涙が出た。それが恥ずかしいことなのか、みっともないことなのか、わたしにはわからない。ただ、自分の中の読者が共鳴していて、「ああこれは自分のために書かれたものだ」と思う。それで少し救われた。この原稿は、少なくともひとりの読者に届いた。

しかし大きな小説の流れはすでに違ううずを作っていて、わたしはこの5章をそこに押し上げないといけない。書こうと思ったが今日もだめだった! 
ああ、と思いながら、他の原稿のテープ起こしをしたり、図書館に資料をとりに行ったりする。とにかく、書けないなら書けないなりに、書く時間を確保するための何かをしないと。

外に出たら、もう夏だった。

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「短編読みました」というタイトルのメールが届いた。

「9割方勢いとエゴでこのメールを送るので、送った先から激しく後悔しそうな気もしますが、お気を悪くされたらすみません」

勢いとエゴで送られたメールは、わたしの心にとても強く響いた。

「これまでに読んだいくつかの土門さんの文章とは明らかに違う。なんというか読み手として「これは自分にとって無関係なものじゃない」と感じる手触りというか」

そういうのがしたのだと、彼は書いていた。

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図書館は見るからに無職のおじいさんだらけだ。
彼らが今日のスポーツ新聞や朝日新聞を読んでいるなか、わたしは昭和28年7月の新聞の縮刷版をめくり、重たいそれをかついで何枚も何枚もコピーした。


弱さを抱えたまま走れるように、強くありたいと思った。