文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2018/06/24(日)

文章には書くひとの内面が滲み出る。
それはにおいのようなもので、読んでいるとふわっと文字から漂う。
そのにおいで、わたしはその文章を好きか嫌いか、読むべきか読まざるべきか、直感的に判断しているところがある。

自分の文章についてもそうで、書いたそばからにおってくる。
今日はにおいがなかなかとれなくて参った。なぜかというと、家庭内でちょっとごたごたしていたからだ。わたしは今日何度も、自分のことが嫌いだな、と思った。

そういう日は家事をする。
ふとんのシーツを洗い、子供の午睡用のふとんを干す。
玄関を履き、寝室に掃除機をかけ、トイレを拭き、自転車に乗ってクリーニングへ行き服をひきあげ、ビニルから取り出し冬服用のケースに入れる。

そうしているうちに、自分からにおいがとれていく気がする。
「労働は沈黙だ」と言ったひとがいた。わたしは黙って、労働する。

それからまた、文章を書く。そうすると、においがいくぶん薄らいでいる。


長男がもらってきたかぶとむしの幼虫が、どうやら成虫になったようだ。
つのが土の中から出てきている。つのだけ出し、かぶとむしは沈黙している。
「生きてるの?」
と聞いたら長男が「生きてる」と言った。長男がケースを叩くと、ぴくりと動いた。