文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2018/06/28(木)

頭痛がひどい。
肩こりと腰痛もずっとあるので、昔よく行っていた接骨院に行ってきた。とても上手だった先生はいなくなっていて、違う男性が施術をしてくれた。大きな手だなと背中で感じながら、少しうつらうつらした。彼はわたしの体が、波状に歪んでいると言う。そう言われても、どうしたらいいのかわからない。波状のまま、ぼんやりする。
待合室で、堂本剛の本を手にとる。19歳のときの堂本剛が書いているエッセイだ。懐かしいな、と思いながら読んだ。明星で連載していたものだ。今思えばわたしは彼のファンだったのだと思う。なんだかいつも居心地悪そうな、しらけているような、そんな自分を恥じているような、そんな顔でテレビに映る彼がどうしても気になっていた。テレビに映るとその顔を見るために必ず観た。ハラハラしながら、それでいて、そんな顔で映る芸能人がいることを嬉しく思いながら。

3つ分のエッセイを読んで、涙が出た。
堂本剛は、「強くならなくていい、強くなるとわからなくなることがあるから、そんなだったら弱いままでいい」といつも言い聞かせていると書いていた。
ファミレスで平手打ちされる小さな男の子を見てごはんが喉につかえる、疲れたお母さんに「青い空だよ」と必死に教えてあげる子供に涙が出そうになる。
大変だったろうな、と思う。
そのとき、結婚したあとの苗字でわたしが呼ばれた。再診なので1000円といくらだと、お姉さんが言った。

お昼にムジャラというカレー屋さんに行く。スリランカと韓国についての小説を書くことになり、スリランカカレーを食べてみようと思ったのだ。
いつもお昼は家で簡単にすませているので、外食は久しぶりだった。ひとりで店に入るのは、とても緊張した。
「あ、少なめでお願いします」と、あとからきた若い女の子が言ったのだけど、店主はすでにお皿に盛り付けを終えており、それを見てわたしはどきどきした。
「残してもいいっすよ」
と、店主はやさしく言った。
よかった、と思いながら、わたしも少し残した。おなかが苦しかった。

帰ってもまだ頭が痛い。ソファに横になりうなっていたら、大学時代の友達からメッセージが突然きた。思いもよらなかった。彼女はわたしの文章をずっと読んでいる、と言った。

「何かを生みだすのって、苦しくてとてもパワーの要ることだと思うし、その苦しみは私の想像を絶するものだと思うけど、身体に気をつけて頑張ってね。これからも陰ながら応援させてね」

ああ、もうだめなのかな、と思うときがよくある。手が動かなくて、書けない。あるいは書いても書いても、書けている実感がない。そういうときはとても怖い。頭が痛い、というのは言い訳にできるからまだよくて、頭が痛くなくなったときこそ怖い。
だけどへこたれそうになったときにこういうメールが届く。まるで神様のはからいみたいに。わたしは彼女に、神様に、感謝する。応援してくれて、本当にありがとう。読んでくれて、本当にありがとう。明日もまた、書いていこう。

編集者と電話で話したら、少しましになった。笑ったからかもしれない。
明日は、スリランカと韓国の小説を書く。