文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2018/07/08(日)

ゆうべから、呉市に住んでいる父と母に何度かけても電話が通じない。
LINE通話もなぜか繋がらなかった。

母はわたしが幼い頃から、れんが通りという商店街でスナックを営んでいる。
れんが通りは今回の大雨で浸水被害に遭ったらしい。
母の店も水浸しなのだと聞いた。それ以来、電話が繋がらなくなった。

昼頃、ようやく母と電話が繋がる。ソフトバンクの通信回路が止まっていたらしい。今は家にいる、と言うので、ゆっくり過ごしてね、と言ったら、
「いや、今日も店開けるよ。もうおとといからやりよる」
と返された。お客さんも五人ほど来たらしい。とても小さな店なので、五人来ればいいほうだ。
「こういうときこそ飲みたくなるもんかね」と聞いたら「知らんわいね」と返された。
「開けんことにゃどうもこうもないんじゃけえ」
母にはそういうところがある。他人の気持ちがどうのとかいうよりも、ただ自分が生きていくためにできることをやる、というような。わたしは母のそういうところが好きだ。シンプルで、潔くて。
だからこそ、彼女の不安は切実に響く。死ぬか生きるかだから。わたしは彼女の「これからどうなるんじゃろうね」という言葉を何度聞いただろう。そのたびに、お腹がきゅっとつねられるようだった。本当にそう思っているのがわかるからだ。わたしはお金が欲しかった。なんでも叶えてくれる魔法使いがいたら、決してなくならないお金をください、と言おうと決めていた。母は、お金のことで悩んでいたから。

「大丈夫かね」と聞かれ「大丈夫よね」と答える。うそだった。大丈夫かどうかわたしにわかるはずがない。それでもわたしが「大丈夫よね」と言うと、彼女は安心するのだ。「蘭がそう言うならそんな気がする」と言って。

「不安じゃが、やるしかないけえね」
母が言ったのだったが、わたしが言ったのだったか。少しだけ、わからなくなった。