文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2018/08/07(火)

「赤裸々である」とか「切り売りしている」とか、文章をなりわいにしている人が時折他者に言われたり、自分で言ったりする言葉。

この言葉を自分に当てはめると、どうも違う気がする。切り売りをしているつもりはまったくない。切り売りをすると減るからだ。「切り売る」より「産み出す」のほうが身体的感覚としては近い。だから体力をつけたい。よく物を食べ、よく眠るからだでありたい。だから、最近運動を始めた。

では「赤裸々」はどうなのかと考えたときに、これもよくわからないなと思った。さらけだしているつもりもないが、さらけださないと書けないだろうとも思う。しかし、なんだろう。さらけだしただけの文章がよいとも思わない。刺激的かもしれないが、その刺激は一瞬で過ぎ去るようにも思う。それは、さらけだした肌に傷をつける行為ではないのだろうか。

わたしは普遍を見たい。
個人のなかに、すべての人を貫く何かを見たい。
そしてそれを、きちんと言葉で残すことができたらと思う。