文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2018/09/11(火)

ゆうべ友達が家にやってきて、新しいアルバムをくれた。彼はバンドをしていて、わたしはこのアルバムにライナーノーツを寄せている。朝起きて、まっさらな盤面をステレオのトレイに乗せる。デモ音源ですでに聴いていた曲だが、こうして作品として完成された形になると、音が違って聴こえる気がした。新しいものを、より良いものを、誰のためでもなく自分のために追い求めている感じが伝わってくる。友人として誇らしい。わたしも頑張ろう、と思い、原稿に向かう。

今日までずっと、病院で働く方たちのインタビュー記事を書いていた。人の生命に触れる厳しい仕事だ。強い精神や体力が必要とされる職業だけど、出会った方はみな驚くほど柔らかな方だった。しなやか、というのだろうか。芯がしっかりあり、その芯を折れさせないように、柔らかな筋肉をまとっている。
そうするしかなかったのだろうな、と思った。そういった筋肉をつけるまで、大変だったろう。わたしは自分を省みる。彼らの言葉は、弱くてすぐに塞ぎ込みそうになるわたしを、優しく叱咤してくれるみたいだった。

小説を書いている。編集者の赤入れを読みながら、彼がわたしに差し出す問いについて考えていく。すぐに逃げ出しそうになるのは、わかるはずがないと決めつけているからではないのか。わかるということは奇跡みたいに降りてくるものではなく、にじり寄って触れるようなものなのではないかと思う。今日考えたことは消えないし、明日はその積み重ねた石の上に、また石を積み重ね、足を踏み出せば良い。
そう思いながら、逃げ出そうとする自分をなだめる。そうしていたらふと、答えに触れたような気がした。
「ああわかった」
思わず声が出た。この作品のなかの、ずっとわからなかった「彼」の心に、一瞬触れることができたように思った。

近づいた距離は、保たれたまま。わたしはまた明日、彼とこの距離から始めることができる。今はまだわからなくても、もしかしたら明日は、彼がここで何を言ったのか、わかるかもしれない。

嬉しくて少し泣いた。明日もまた、考えよう。頑張ろう。諦めないで、続けていれば、きっとちがう景色が見えると、看護師さんが言っていたのだ。