文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2018/10/01(月)

昨晩映画『下妻物語』を観て大変感動した。高校生のとき図書館で日本文学「た」の棚にいつも寄っていたのを思い出した。あの頃わたしは嶽本野ばらさんと田口ランディさんの本を読み漁っていた。ふたりに共通するのは「自分が自分として生きていくには」というテーマだったように思う。ふたりの作品はわたしのやわらかな自我に多大なる影響を与えた。思えばわたしが必要とする作家は、みんなどこかそういうテーマをきちんと持っていたように思う。「自分が自分として生きていくには」。自分として生きていくのが困難だから、わたしはそれを読んで自分を補強、あるいは鼓舞していたんだろうな。

ロリータ桃子は深田恭子が、ヤンキーいちごは土屋アンナが演じていた。
桃子といちごが友達になったのは、ふたりともが自分の足で立って歩いていこうとしているからである。欠けているのがどうした?という顔で。わたしは桃子が
「80歳のおばあちゃんになったらロリータのお洋服を着たまま孤独死する」
という想像をするところがとても好きだ。

1ルームの古いアパートに「入居者募集」という看板がかけられているのを見ると、いつもそこに住んだらどんな感じだろうと想像する。寒いのと虫は苦手だから、お金はなくてもバルサンとこたつだけは用意したいものだ。というように、そのときにはすでに、一文無しになっている自分をいつも想像しているのである。
もしお金がなくなっても図書館の貸し出しカードは作れる。だから、もし一文無しになっても、自分の住む街に図書館さえあればやっていけるような気がする。

延滞になったら図書館のひとが電話をくれるけれど、孤独死していたら出られないな、とか。そのときわたしはどんな本を借りているんだろう?

どうかどんな状態であっても、本を借りていてほしい。読みかけの本があってほしい。
本当に希望を失うのは、わたしが本を読まなくなったときだと思う。