文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2018/12/09(日)

Instagramに写真をアップしたらFacebookにもアップされるようになっていて、ふと自分の上げた写真を見ながら「SNSって何なんだろう」と思わざるを得なくなった。それでFacebookの写真はとりあえず消してみてしばし考えた。SNSってなんだろう。

わたしがやっているSNSは上にあげたふたつとTwitterである。mixiは10年ほど前に退会したし、TumblrPinterestも仕事で必要だったのでやっていたが個人的にはよくわからなくてやめた(アカウントはまだあるかもしれない)。

SNSではできることが増えていっていて、違いがなくなってきている。
ストーリーズというものが出たときには「なんのためにこれがあるんだろう」と思ったものだけど、すぐにその概念に慣れ自身も使うようになった。messengerなんかもいらないと思っていたけれど、今はほとんどの仕事のやりとりをmessengerでやっている。InstagramでURLリンクと改行ができるようになればFacebookとなんら変わらない気がする。それができないことが、Instagramはビジュアルメインのコンテンツなのだということをわたしに思い出させてくれる。

SNSで機能が増えていくと、表に出すコンテンツのハードルが低くなる。かつてInstagramでは一度に1枚しか写真をあげることができなかったが、複数枚アップできるようになり、24時間で消えるストーリーズにあげることもできるようになり、どんどんアウトプットのハードルが下がっていっている。アウトプットしやすくなると反応もそれだけ頻繁に来るようになり、中毒性はどんどん高まっていく。だけど、それと同時に疲れてきてしまってもいて、ときどきこうして考え込んでしまう。

もしかしたら、できないことを自ら増やしていくことが必要なのかもしれない。
たとえばInstagramでは一度に1枚の写真のみアップ、テキストは書かない、とか。
たとえばFacebookでは写真の使用を禁止、リンク先への導入のためのみに使用する、とか。
Twitterはいちばん扱いに困るのでまだ思いつかないが。
おそらく一番プライベートに近い感じなのに拡散力が強いと感じているからかもしれない。


何を書けばいいのかわからないというより、書き散らかしてしまうタイプだから整理整頓できないことで悩んでいる。

以前、柿次郎さんと望月さんが言っていた「SNSは『俺新聞』」という言葉がとても気に入っているのだけど、多分むかしのわたしがこのSNS乱立時代を見たら狂喜すると思うのだ。不特定多数に読んでもらえる場所がなくてなくて、卒業文集にすべてをかけるような子供だったから。はじめて「ブログ」という存在を知り、その素晴らしさに驚いて、人のブログのコメント欄に自分の日記を書くような学生だったから。

だから今のわたしも基本的にはSNSが好きだし恩恵を感じている。それなのに、SNSに勝手に疲れている自分をどうなのかなと思う。機能の変化やユーザーの変化に振り回されるのではなく、もっと、SNSに初めて出会ったときのあのワクワク感・高揚感を取り戻したい。

SNSってなんだっけ?
もう一度考えてみよう。SNSって、わたしにとってなんだったっけ?
Instagramは写真集になるかもしれない、 Facebookはカルチャー雑誌になるかもしれない、Twitterは散文集になるかもしれない、その可能性を奪っているのは何も考えずにただ流され倦んでいるわたしなのかもしれない。

舞台は用意されている。あとは自分がどう書くか。
「書く」ときには、いつだってワクワクしていたいのだ。