文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2019/02/05(火)

江國香織辻仁成の『恋するために生まれた』を読む。

なかに、ふたりが「愛の対義語は何か」ということを話し合う箇所が出てくる。
わたしはとっさに「恋だ」と思った。最近フロイトの本を読み、「エロスとタナトス」という概念について考えていたのだが、「エロス」は「愛」で、「タナトス」は「恋」だと思ったのだ。わたしは恋をしているときは「このままふたりで死ねたら」と思うけれど、愛をしている(?)ときには「ずっとふたりで生きたい」と思うから。エロスとタナトスが共存するように、その両方を行き来するのが「恋愛」なのだと思っている。

辻さんは「恋だ」と言った(嬉しかった)。
江國さんの恋人は「白痴だ」と言ったらしい。


「愛の反意語って何だと思う?
ゆうべ、大好きな男に聞いてみた。白痴、と彼は即答した。私は少し考え、そのとおりだ、と思った。愛の反意語は白痴、あるいは、すくなくとも、無知。」

わたしの小説では、ある女が「白痴」と罵られるシーンがある。
そのことを思い、つい本を読みながら微笑んだ。あの女性もまた、愛の対岸にいる人だから。



それにしてもやはり本は、野蛮だな、と思う。
より正確に言えば、本という形態は野生的な言葉を残しやすい。

デジタルって社会に溶けている感じがする。だからこそ「インフルエンス」ということもよく起きるのだろう。
その一方で、本は隔絶されている。隔絶されているがゆえの野蛮さ、勇敢さ、ラディカルさがある。

そして、しばしばそこには真実がある。