文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2019/02/11(月・祝)

吉田亮人さんの写真集『THE ABSENSE OF TWO』を見る。

宮崎県に住む老女と、その孫である青年の生活風景が写された写真集だ。
写真家もまた、その老女の孫である。

以前、KYOTO GRAPHIEで見て、とても衝撃を受けた。何も知らないで写真展に足を踏み入れたのだが、老女と青年の、なんていうのか、祖母と孫という関係性におさまりきらない雰囲気に、衝撃を受けたのだった。食事、入浴、洗濯、テレビ鑑賞、身づくろい、ありとあらゆる時間をふたりは一緒に過ごした。まるで母と息子のように、父と娘のように、夫婦のように、友達のように、恋人のように。わたしには、そう見えた。
最後に青年は失踪する。1年後、彼は遺体として山の中で見つかった。自殺だったそうだ。

誠光社にいたら入り口そばのところに積んであったので、すぐに買った。
堀部さんが「3月にトークイベントでここにいらっしゃいますよ、この方」とおっしゃっていた。

写真集をめくると涙が滲み出てくる。「なぜ死んでしまったんだろう」と考えるが、わかるはずもない。

本を閉じ、表紙にある題名を眺め、ふと「absenseってどういう意味だっけ」と思ってGoogleで検索したら、「不在」と大きな文字が目の前に出て、胸の中がしわっと痛んだ。

自分自身、自殺についてはよく考える。
自殺願望というよりも、希死念慮というほうが近いように思う。常に、うっすらと死ぬことを考えている。今に始まったことではなく、もうずっと昔、幼い頃からなので、こういう性格なのだと思う。なぜなのかはわからない。わかる日は来るんだろうか。

老女と青年に訪れた急な別れを目撃しながら、生きるということはむき出しだなあと思う。残酷なまでにむき出しで、人生は躊躇なく人を傷つける。

「生きてる意味なんてねえ。生きてる意味なんてねえ」

青年の死を知ったとき、そう老女はつぶやいたそうだ。
3年後彼女も亡くなるが、自殺を選ばなかった。
青年との違いは何だろう。人を自ら死に向かわせるものとは何だろう。
わたしにはよくわからない。わかる日は来るんだろうか。