文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2019/04/21(日)

ふと、この世の中に「正しい」ことはないような気がした。「正しい」はない。ひとりひとりが「正しい」と思っているだけだ。自分のなかの理論、経験、美意識、倫理観を総動員させて。そのどれをいちばん優先させるかも、ひとりひとりによる。

つまり孤独であるということ。ひとりであるということ。インターネットは、ひとりひとりの「正しい」を可視化しすぎて、特定のひとの「正しい」は拡大化された。それを多くのひとが「正しい」と思い、さらにその「正しい」とされるものは膨張していく。わたしがそれを内面化すると、すごく息苦しい感覚になる。死にたくなる。多分、その「正しい」を、わたしが「正しい」と思っていないからだ。だからと言ってわたしは人非人なんだろうか。自分は個人主義なのだと思っている。だって、ひとりの人間が考えることには限度がある。限られた時間のなかで、限られた地域のなかで、限られた言語・常識・人間関係のなかで生きる。そこからはみ出したからと言って、なぜそれが「正しくない」と言えるのか。

自由であるということは、自分で「正しい」を決めることであるように思う。
何も言わず、何も誇示せず、ただ粛々と、自分というもののために生きることのように思う。

天国も地獄も、罪も罰も、徳も誉も、全部他人が作ったものじゃないか。
そういう気持ちになるときがときどきある。