文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2019/08/17(土)

朝から少し不安定ではあった。心に引っかかっていた原稿を手放し、それからジムに走りに行って、今大好きなNetflixの番組も観たし、できることはしたと思う。だけど夕飯時にビールを飲み始めたらだめだった。なぜだか涙が溢れてしかたなく、鶏肉を噛み締めながらぼろぼろぼろぼろ泣いた。家族が唖然としてわたしを見ており、こういうとき本当にこの人たちは優しいと思うのだが、「どうしたの」「大丈夫?」と控えめに聞いてくれた。すぐに食べ終わり、食卓から離れ、なおも泣いていると、長男が「僕、これから毎日ママのことをほめるわ」と言っているのが聞こえた。「悲しくならないように。それでママが笑ったら、『かんげい』しようと思う」。「かんげい」というのは「歓迎」だろうか? 次男はご飯を食べ終わると、座っているわたしの膝にどんどん自分のお気に入りのおもちゃを持ってきた。「みて」と言って、ミニカーの扉を開けて見せてくれたりする。子供たちは信じられないくらい優しい。それにひきかえ、自分は本当に穴ぼこだらけだなあと思った。泣き出したきっかけは、小松菜の胡麻和えだった。自分が二日前に作ったそれを、どうしてもおいしいと思えず「どうしてこんなにまずいんだろう」と思ったら泣けてきた。最近わたしは料理が苦痛でしかたがない。

ぼろぼろと泣き続けたら、少しすっきりした。お盆って、自分の先祖のことを考えた事がなかったなと思った。いつも誰かがその人の先祖を迎えるのを、横でぼんやり見ている。五山の送り火を見ても、自分の先祖のことではなく、先祖を迎えているらしいみんなのことを見ている。わたしはいつも部外者だった。部外者にしていたのは自分自身なのだけども。お墓がどこにあるのか、それどころかなんていう名前だったのかも、祖父母のことなのにまったく知らない。これっておかしなことだなと、今日、唐突にものすごく思った。小松菜の胡麻和えを食べながら。わたしはもう、小松菜の胡麻和えをずっと作らないと思う。