文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2019/09/17(火)

3連休が終わると日常。どうも日が落ちるのが早くなったみたい。夏のいいところは日が長いところかもしれない。だから夕暮れが長くきれいだ。涼しくなるのは嬉しいけど、すぐ暗くなるのはさみしい。

今日は1日ずっと家にこもって原稿を書いていた。途中でアイスクリームが食べたくなって、自転車でファミリーマートへ向かった。アイス売り場で男の子がじっとアイスを睨んでいて、ひどく迷っているようだった。わたしはチョコモナカジャンボが食べたかったので、彼の前に位置するそれをそっと手に取らせてもらった。

帰ってから袋を開けてかじって、また原稿を書いた。原稿って、あらかたできるまで、ちゃんと書けているかどうかわからないな。途中までは「書き手」でいっぱいで「読み手」が入る隙間がない。だから、そのときがいちばんしんどい。闇のなかをまさぐる気分。そこを出てようやく、ああ自分はこんなところにいたんだな、と余裕をもって見回すことができる。

「書く」って大変だな。いっつもそう思う。
だけど、書いたものが好きになれると、うれしい。
おいた石が、ちゃんと光る。ヘンゼルとグレーテルみたいな気持ち。

2019/09/16(月・祝)

この3連休の空き時間を使って、こつこつと掃除をした。自分の部屋を重点的にしたのだけど、服や鞄や靴など、捨てようかどうか迷っていたものを思い切って捨てた。ちょっと若かった頃の自分が身につけていたもの。あの頃知らなかったことを今のわたしは知っていて、少しは人間として成長したのではないかなと思う。若い頃のわたしは、いつだって傍若無人で、だからこそ光る粒のようなものを身につけていたような気がする。思い出すと少し恥ずかしいが、それはそれでありなのだろうと思う。もうわたしには『100年後あなたもわたしもいない日に』に収められているような短歌は詠めない。悲しいことではない。少し寂しいことだけど。だってその分、死に近づいているということだから。

朝、ゴミ袋を指定の場所に出した。夏の終わりの朝は涼しくて、二学期のにおいがする。もうわたしは学校へ行かなくていい。運動会にも遠足にも出なくていい。少し寂しいことだけど、やっぱりほっとしている。

2019/09/14(土)

なんだか最近日記が書けない。日を過ごすのに精一杯で、記すまでいかない。季節の変わり目だからだろうか。でも、常に季節の変わり目だからだろうか、と言っている気がする。調子が悪いのがデフォルトなのだ。

大学時代の友人が家に遊びに来てくれた。話していて思ったのだが、わたしは物欲を抑えがちなところがある。買えないという状況が辛いので、そもそも欲しがらないようにしているのだ。神経をカットしている。だからなのか、物欲全開の人を見ると憧れてしまうのだ。すごいなあ、人生の主人公だと、自分のことを思っているんだろうなと思う。わたしも思っているが、質が違う気がする。なんというか、明るくて楽しそうな感じ。わたしは悲壮感が漂っている。出自が貧乏だからだろうか。

それで友人と話し合って、まずは物欲を認めるところから始めては、ということになった。「欲しいなと思ったものをノートに書き出すとか」自分で言いながら自分のアイデアに興奮する。それならできそうだ。興奮しているわたしを友人は優しく見守っていた。彼女は物欲が強いらしい。憧れちゃう。

2019/09/13(金)

夕方、ジムの「リラックスヨガ」という授業に行く。水泳に行く気力と体力がない。ヨガならできるのでは、しかもリラックスだし、と思い、行ってきた。結構きつかった。膝を抱えて仰向けになると、お腹が痛いなと思った。凝り固まっていて、痛いのだ。緊張してお腹に力を入れすぎなのだと思う。力を抜いて生きていきたい。

2019/09/12(木)

ある写真家さんに「ポートレートを撮らせてください」と声をかけていただく。午前、その写真家さんが家に来て、ライカで撮ってくれた。何枚も撮ってくださったのだが、わたしの表情がどうも硬いらしい。こんなに撮るのが難しい人は珍しい、と言われた。途中で外に出て、庭、とも言えない小さな空間で撮っていただく。できあがった写真は、さみしそうな顔をしていた。わたしはいつだってさみしい。写真家さんは「土門さんって少年っぽいですね」と言っていた。少年。そんなことを言われたのは、いつぶりだろう。

2019/09/11(水)

2名に取材を行ったあと、夜は保育園でバザーのミーティングを2本おこなう。
忙しい日だった。緊張するとものが食べられなくなるので、ミーティング前に用意されたお弁当は帰ってからビールと一緒に食べた。少し残す。風邪の予感がしたので、葛根湯を飲んで寝る。