文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2018/04/21(土)

力尽きた。閉じこもり、本を読む。

吉本ばなな『白河夜船』
アイザック・アシモフ黒後家蜘蛛の会
益田ミリ『週末、森で』

「舟から腕を伸ばして、流れる水面に手を入れるような読書も、時には必要だと思うな」

日が暮れ、お腹が空いたので外に出た。ひとりで夜の河原町を歩く。
もう一度丸善へ行き、池辺葵の『プリンセス・メゾン』の2,3巻を買う。


2018/04/20(金)

朝から晩までひとと会う日だった。今日は書けなかった。

2018/04/19(木)

宿に行き、荷物を置く。今日は天気が良い。宿には誰もいなくて、土間はひんやりとしている。

元牛乳冷蔵庫だった白い小部屋には、今、これまでの日記小説が1枚1枚出力されて展示されている。わたしはじっくりと、それらを読む。こんなことを書いていたのか、と思いながら。とても寒い日、雪の降った日に、気を塞いだり、うれしくなったり、いろいろなことを考えたりしていた。そのときのわたしはもう今の自分とは違う人間で、わたしは他人が書いた文章としてそれを読む。

編集者は、「いい文章」の反対は「悪文」ではなく「妥協した文章」だという。
それを思い出し、本当にそのとおりだとわたしは心の中でつぶやく。「妥協するくらいなら、いっそ書かないほうがいい」と、容赦なく。この日記小説を書いている小説家に対して。

わたしのなかにはひとりの読者がいる。彼女はいつもそっけなく、正直だ。
手を抜いた文章を書くともう見向きもしない。わたしは諦めて、時間をかけた文章を消し、また最初から書き直す。彼女の目がぱあっと輝く瞬間を見たくて。
その目がなくなったらわたしはもう書けないと思う。彼女にはずっと、いつもそっけなく、正直でいてもらわねばならない。

牛乳小屋から出て、パソコンを開く。わたしはまた小説家に戻る。読者の目が、一緒に液晶画面を覗いている。



今日は宿に、男性がやってきた。岩崎くんのお知り合いらしい。岩崎くんがいないので、ふたりでぎこちなく挨拶をする。彼は浦岡さんといって、ミノトールという服屋さんで働いているのだと言った。ミノトールは岩崎くんから聞いたことがある。彼の好きなブランドだ。

そうしたら次は髪の長い女性がやってきた。「はじめまして」と言う。お客さんかと思っていたら、新しいスタッフさんなのだった。名前は茜さんで、普段は作家として活動しているということだった。三人とも初対面なので、少し緊張しながら笑い合う。


茜さんにどんな作品を作っているのか聞くと、宿に置かれているフライヤーを持ってきて見せてくれる。今京都芸術センターで展示をしているらしい。
「これがわたしの作品なんですけど」
と見せてくれたのは、石が集まってできた大きな楕円の球体だった。題名は、『ルッベルトの頭』。
「石でできた脳みそです」
と、茜さんは言った。

岩崎くんと藤本さんが来て、浦岡さんが帰る。茜さんが宿の掃除をする。わたしはコーヒーを飲みながら原稿を書く。

ふと、茜さんに聞いてみた。
「ルッベルトって何ですか?」
茜さんはメモ帳から顔をあげて(入りたてなので覚えることが多いのだ)、快く教えてくれた。

「ルッベルトは、お調子者とかお人好しという意味なんです。15,6世紀のオランダに、頭の中に石があるって嘘をついて、手術をするヤブ医者がいたらしいんですけど、それを信じてしまった人を『ルッベルト』と呼んでいて。この作品は、失われた脳みそを取り戻すというテーマでつくりました」
 
わたしはまた写真を見る。
茜さんは「愚者の石の切除」と表現した。大衆の脳から取り出された架空の石がここに集まり、大きな脳みそを作っている。茜さんは、この作品のためにオランダで石をたくさん拾ったのだそうだ。幅は2メートル以上あるらしい。わたしはそれを見てみたいと思った。

「とてもおもしろい作品ですね」
心からそう思いそう言うと、茜さんは恥ずかしそうに笑った。


2018/04/18(木)

締め切り前になると、胃が痛くなる。自分の文章がいいのかどうかわからない、思うように書けていない、なかなか完成しないときなど、重いし痛い。
この痛み、重さは、文章を書かないと消えない。指先から文字として痛みが外に出ていっているのではないかと思うようなこともある。他の何者にも癒されない。お酒を飲んだって、遊んでたって、誰かと喋っていたってだめ。書くしかないのだ。

良い文章とは何だろう?
そんなことをずっと考えている。良い文章が書きたい。ああ、良い文章だ、としみじみ思うような。

朝からずっと書いていて、あっという間に夜になった。それでもまだわたしはこれを書いている。わたしのなかから生まれ出る言葉を汲み出すように。汲み出す体力が果てるのが先か、汲み出される言葉が尽きるのが先か。

子供ふたりに『ふたりはともだち』という絵本を読んでやった。
がまくんとかえるくんは、ふたりで手紙を待っている。
そして手紙を読んで、
「ああ、とてもいいてがみだ」
と言うのだ。
書かれているのは、とても短い、シンプルな言葉だけど、それが「とてもいいてがみ」なのは、求められている言葉ではなく、自分のなかの本当の気持ちをあらわした言葉が書かれているからだと思う。

そういうのが、わたしは書きたい。本当の言葉は、自分のなかにしかない。

明日はもっと、良い文章が書けますように。

2018/04/17(火)

近所で時折、鳩やとんびにえさをあげている女性を見かける。彼女が誰かと一緒にいたり、話しているところを見たことがない。彼女はぱっ、とパンくずのようなものを空に投げる。そこにとんびが風を切って飛んできて、見事にくちばしでキャッチする。わたしはいつもそれに目を見開かされる。彼女は、とんびが回遊する空をじっと見ている。

緑地公園駅の書店、blackbird booksさんで『100年後あなたもわたしもいない日に』の展示が始まった。展示名は、「絵と短歌展『目覚めたらふたりは世界の果てにいる』」という。
今日はその搬入日で、絵を描いているマユミさんと、編集の柳下さん、そして額を作ってくれているミクロコスモスのイーハンくんとチュータくんが来てくれた。わたしはひとり遅れて行った。
柳下さんに「何か手伝えることはない?」と訊くと「しゅわしゅわしたものが飲みたい」と言うので、外の自販機に行って、はちみつレモンジンジャーエールというどの味が軸なのかわからないジュースを買って手渡した。柳下さんは不本意そうな顔をしていた。イーハンくんとチュータくんが、電動ドリルですいすい壁に穴を開け、すいすい本を置く棚を取り付けていく。

展示作品を眺めていると、不意に涙がにじんだ。この短歌は、わたしが日常生活を過ごすなかで詠んだものだ。過ごすのに容易ではない日常生活のなかで、光をつかまえるようなおもいで詠んだ歌。
それが、ひとの手から作られた美しいものに包まれていた。わたしはそれが眩しくて、少しだけ泣いた。

オープンしてすぐに、カワダさんが来てくれた。以前宿に来てくださった方だ。彼女はひとつひとつの作品を、慈しむように見てくれた。

どこまでもひとりであるのは知っているときどきうっかり忘れるだけで

「この絵は、どういう意図でしょうか?」
そう尋ねるカワダさんに、マユミさんが「はい」と少し緊張した面持ちで答える。
「なんと言ったらいいんでしょう……」
じっと考え込んでいるあいだ、わたしはマユミさんの後頭部を見つめる。マユミさんの頭のなかで、言葉が整列していくのが見えた気がした。マユミさんはじっくり考え込んだあと、丁寧に話をしてくれた。

お昼ご飯を食べて帰ってくると、作品の脇に小さな赤丸のシールが貼られていて、カワダさんがふたつ作品を買ってくれたという。わたしはその作品たちが、彼女の日常生活に、少しでもあたたかな光をおとしてくれたらと願う。



昨日、橋で見かけたくだんの女性は、折りたたみ式の携帯電話を宙に持ち上げて、とんびの写真を撮っていた。撮り終わると、彼女は手元をじっとのぞいた。
どんな写真が撮れているのだろう。彼女はそれを、ひとりで見返すのだろうか。

わたしは彼女のそばを自転車で走り過ぎる。



2018/04/16(月)

午前中家で原稿を書き、午後、宿へ行く。

宿でも書いていたら、入り口から視線を感じた。顔をあげると、おそろいで色違いの花柄の上着を着た男性と女性のカップルが立っていた。ひだまりの中に立つふたりは春そのもので、わたしは思わず目を細める。そして鍵をかけっぱなしだったことに気づき、あわてて土間を降りて駆けていく。


鍵を開け中に入ってもらうと、彼は上着の内ポケットから『100年後あなたもわたしもいない日に』を出した。
「これを読んで、とても素敵な本だなと思って」
それで、名古屋から会いに来てくれたのだと言った。わたしは奇跡みたいなその事実に驚いて、お礼を何度も言った。

ふたりは宿のなかをゆっくりとまわった。その後ろ姿はつがいの小鳥みたいで、わたしは彼らの小さな会話を邪魔せぬよう、こたつに入って再び原稿に向かう。すぐそばのスツールには、宿で販売している『100年後……』が静かに積まれてある。名古屋から彼らを連れてきてくれた、わたしたちの本だ。


「この本を見たときに、ふたりっぽい本だねって言って、ふたりで買ったんです」
男性はそう言った。
ふたりはこの夏から同棲を始めるのだという。それで、ふたりで本棚を作るのだと言った。わたしはその本棚を想像してみる。そしてそこに置かれるこの本のことを。

言葉少なだった彼女が控えめに口を開いて
「なんでもないときに開いてみたくなる本だなって、思いました」
と言い、わたしは不意に泣きたくなった。


「祈りのような本」
blackbird booksの吉川さんは、そのようにこの本を表現してくれた。
そうかもしれない、と思う。これはわたしたちの祈りなのかもしれない。
世界は美しいと信じているわたしたちの祈りなのかもしれない。

これから、ふたりで過ごすなんでもないときに、ふと手にとり開いてもらえたらうれしい。
そしてふたりの時間に、この本が何か善いものを残しますように。

2018/04/15(日)

朝からどうにもやる気が出ない。暗い気持ちだ。理由はないような気もするし、全部が理由になりえるような気もする。気分的なものだと思う。このままベッドで横になっていようかと思ったけれど、それでは何の解決にもならないどころかこの状態が悪くなってしまうような気がして、無理やり歯を磨き化粧をして着替え、PCをリュックにつめて外に出た。力なく歩く。一歩一歩前へ足を出すことはできる。このまま喫茶店まで歩いて行き、そのあとPCを開いて、一文字一文字書けばいつか原稿はできる。理論上はそうだ。どんなに気持ちが塞いでいても、愚直にやるしかない。

100円ローソンの前には自転車がいくつも停められていて、わたしはその合間をくぐって100円ローソンの二階にある喫茶店へと向かう。そのとき、日曜なのにランドセルを背負った小学生の男の子と、その母親らしき女性がローソンから出てきた。女性はミニスカートに黒いストッキング、ハイヒールを履いていて、髪の毛が長かった。彼女は自転車の後ろに息子を乗せると、自分も自転車にまたがった。下着がちらりと見えた。子供の重みでぐらつく自転車をハイヒールでぐっとふんばって支え、長い髪の毛を後ろに勢いよく払った。その瞬間、強い香水の香りがした。男の子がお母さんといられるのがとても嬉しいというように、笑いながら「がんばれ!」と言った。女性は真っ赤な唇で笑った。そして、ぐっとペダルを踏んで、漕ぎ出した。
わたしはそのとき、写真を撮れたらいいなと思った。その光景が鮮烈だったから。


わたしは喫茶店に入り、なんとなくコーヒーではなくレモネードを頼む。液晶画面に向かってもなかなか文字を書くことができなくて、壁にかけられている雑誌をぱらぱらとめくった。

「厳しい心を持たずに生き延びてはいけない。優しくなれないようなら、生きるに値しない」

カーヴァーの『プレイバック』の一節を翻訳した言葉が目に飛び込んで、わたしは手をとめる。そして雑誌を脇に置き、またキーボードを叩き出す。一文字一文字書くしかない。