文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

『100年後あなたもわたしもいない日に』 ご予約はこちらです

【ご予約購入について】
文鳥社1冊目の本『100年後あなたもわたしもいない日に』は、こちらからご予約いただけます。
11月初旬にお届けを開始する予定です。
https://bunchosha.theshop.jp/

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(写真はイメージです)

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『100年後あなたもわたしもいない日に』
著者:土門 蘭(文)/ 寺田 マユミ(絵)
編集:柳下恭平
デザイン:岸本敬子
仕様:文庫サイズ、函入り

◆11月上旬出荷予定。
◆初回特典 トリミングの際に生まれた紙片つき。栞としてお使いいただけます。

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「自由闊達にして緩急自在の線を引く寺田マユミのイラスト。
そして抽象と具体のあわいを妙と詠む土門蘭の短歌。
そんなふたりが出会って、歌集でもあり、画集でもある本ができました」

『100年後あなたもわたしもいない日に』は、〝トリミング〟をテーマにした短歌とイラストの本です。
日常の風景を言葉と絵で切り取り、掛け合わせ、一首ごとに新しい構図から世界を見るような仕掛けを作りました。
表紙がトリミングされる小窓付の函、切り抜かれた紙面、自由に遊ぶ活字。
ページをめくるごとに本を読むという楽しさを存分に味わっていただける一冊です。
描き下ろし・書き下ろしの、寺田マユミのコミック、土門蘭のエッセイも収録しています。

 

現在お手にとってご購入いただける場所は、神楽坂のかもめブックスさんです。
著者である寺田マユミさんの個展会場にて販売中です。
童話の1シーンを鮮やかに切り取った、寺田マユミさんの美しく豊かな作品群を、ぜひ現地にてご覧ください。

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a fragment as a thousand words
寺田マユミ 個展
10月31日(火)〜11月12日(日)
※最終日18:00まで

http://kamomebooks.jp/gallery/1955.html



燃やしきってしまえばすっきり気持ちがいいのです

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柳下さんと出会ってすぐ、「これ、僕が作ったんです」と本をもらった(その頃はまだ敬語で話していた)。
その本は『きっといい日になりますように』という寺田マユミさんの本で、線画で描かれた絵に、ときどき手書きで書かれた文字が添えられている。
描かれているのは、パン屋のお兄さんの、パンを作っていく毎日。そしてそこを訪れるひと、ひとではないもの。

パン屋のお兄さんは、あんまりおいしいパンが焼けないのか、閉店時間になってもパンが余っていることが多くて悩んでいた。そんな中ある女性が現れて、彼のパンをかたっぱしから食べて酷評していく。彼は格闘するように試行錯誤を重ね、新しいパンを作っていく。それを見守る、ひとではないもの。「パンにすむもの」。

気持ちがいい線だな、と思った。
やわらかで、しなやかで、どこまでも伸びていきそうに自由で。
わたしはこの人の描く線がとても好きだな、と思った。

あとがきにはこう書いてあった。
「苦しい試練はなかなか手強いものです。でも大丈夫。恐れることはありません。苦難さえ、楽しむ方法があるのです。それは「朴訥に全力で」立ち向かうこと。可能な限り、逃げずに限界に挑戦すること。「全力で挑む」ということは、とても楽しいことです。成功すれば尚のこと、失敗してしまってさえ。
辛いのは、くすぶっているからです。燃やしきってしまえばすっきり気持ちがいいのです」

それを読んで、だからマユミさんの線は気持ちがいいのか、と腑に落ちて嬉しくなった。
迷いがないように見える線は、きっと何度も迷って、迷って、ようやく選ばれた線なのだろう。無数の線が燃やされる中、唯一残った線は、余計なものが一切付着していなくて、熱がすみずみまで伝わっているようで清々しい。
わたしはまた最初からページを繰り、きれいな線だな、と思った。

だから
「寺田さんに文鳥社のロゴをお願いしよう」
と、柳下さんが言ったとき、わたしには反対する理由なんてひとつもなかった。



今年の5月、建仁寺の禅居庵で行われた「はじまりの絵本 100人のこどもと大切な絵本展」というイベントに、マユミさんが参加していた。
100人が自身にとって大切な絵本を選び、それについての文章を書く、という内容だったのだけれど、マユミさんは『ちいさなうさこちゃん』と『しきぶとんさん かけぶとんさん まくらさん』の二冊を選んでいた。

『ちいさなうさこちゃん』には、こんなマユミさんの文章が添えられていた。

「自営業をしている両親は忙しく、絵本を読んでもらった記憶はあまりないのですが、本であればほしいと思ったものはいくらでも買ってくれるという考えでした。「ちいさなうさこちゃん」シリーズは幼稚園で知り、とても気に入ったので買ってもらったのではなかったかと思います。ま四角なカタチも、お話の長さも、ちょうどよい。色も形もくっきりとしてわかりやすい。そして、登場するみんなが「まっすぐこちらを見つめてくれている」安心感。小さな手と小さくて怖がりな心にまっすぐ届く絵本だったと思います。「うさこちゃん」という呼び方もとても素敵で、よく真似して描いていたことを憶えています」

土門さんは話すときまっすぐ目を見るね、と言われたことがある。
「なんか、妥協したり逃げたりすることを許してくれない感じがして、こわい」
マユミさんの文章を読んで、そんなことを思い出した。そして、マユミさんはわたしがそんな目で見てもこわがらないでいてくれるのだろうか、と考えた。


「トリミング」というテーマで、マユミさんと本を作ることになり、わたしが短歌を書き、マユミさんが絵を描く、ということが決まった。
その後マユミさんから、短歌ひとつひとつについて、どんな気持ちで詠んだのか話を聞かせてほしい、というメッセージをもらった。それである夏の日に、梅田の古い喫茶店で待ち合わせて、ふたりで話をした。

マユミさんは、選ばれた60首以上の短歌をプリントアウトしていて、その紙をテーブルの上に広げ、ペンを持って、
「では」
と体勢を整えた。
そして、本当に最初の一首から最後の一首まで、ひとつひとつ話を聞いてくれた。

わたしはどきどきしながら、しどろもどろになりながら、一所懸命話した。途中で糖分が欲しくなり、ケーキを頼んだ。コーヒーも水もお代わりした。二時間かけて、一首一首どんなときにどういう気持ちでどういうことを考えながら詠んだのかを説明した。話し終わったときには、おでこにうっすら汗をかいていた。

そのあいだずっと、マユミさんはわたしの目を真正面からじっと見ていた。途中でわたしのiPhoneが鳴って、「ちょっと失礼します」とメールを確認しているときですら。
痛いほどのマユミさんの視線を感じながら、ああ、こわいというのはこういうことなのか、と思った。わたしはつい笑いそうになった。わたしはそのとき、とても嬉しかったのだ。

「なんか、妥協したり、逃げたりすることを、許してくれない感じがする」

妥協したり逃げたりしないで、思う存分潜り込んで言葉を探すことができたのは、マユミさんが水面上でずっと待っていてくれると、わかっていたからだ。ちゃんと見てくれていると信じて安心しているからこそ、深いところまで果敢に潜っていける。
見られているのだから、手を抜くことなんてできるわけがない。妥協したり逃げたりできない。それは確かに「こわい」ことかもしれないけれど、こわいからこそこういうふうにまっすぐ見つめてくれるひとが必要なのだ。『きっといい日になりますように』のお兄さんのパンを、片っ端から食べて酷評しつつも、ずっと見守り続ける女のひとのように。

「「朴訥に全力で」立ち向かうこと。可能な限り、逃げずに限界に挑戦すること。「全力で挑む」ということは、とても楽しいことです。成功すれば尚のこと、失敗してしまってさえ」

わたしは清々しい気持ちで喫茶店を出た。あとはマユミさんに任せるだけだ。そこまで行けたことが嬉しかった。


マユミさんは「イラストは図解」だという。

「今回は特に、蘭さんの短歌で「例えられているがためにイメージが立ち上がりにくい、又は難解かも」と思ったものは、わかりやすく補足したり図解する感じで。
そして「わかりやすく例えられている」ようなものは短歌だけでほぼ伝わるので、蛇足になっちゃいけませんので、新たな例え話を付け加える、的な感じ」

ひとつひとつ図解するためには、マユミさんが納得するまで咀嚼することが必要だった。できることを全部しようとしてくれている、全力で挑んでくれている。そう感じることは、こんなに心強く、こんなに嬉しいことなんだなと思った。


「部屋に籠って自分の羽を抜いては錦の布を織るつうは作家そのものだなと思います」
喫茶店で打ち合わせをした夜、マユミさんからそんなメッセージをもらった。
「私もその心意気に誠実に向き合う所存。一緒に錦の反物を織りましょう」



きのう、本ができたと柳下さんから連絡が来た。
送られてきた写真には、推敲に推敲、変更に変更を重ね、ようやく選ばれた本の表紙が写っている。

『100年後、あなたもわたしもいない日に』は、朴訥に全力で織り続けた、わたしたちの錦の反物だ。


文鳥社・土門蘭)

文鳥が歌を学ぶ生き物だから

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わたしたちの出版社を「文鳥社」と名付けたのは、文鳥が歌を学ぶ生き物だから。

 

文鳥のオスは、歌をうたってメスに求愛する。
その歌が複雑であれば複雑であるほど、メスを惹きつけるそうだ。
時折、歌が複雑になりすぎるオスがいるのだという。
その歌は、もはや繁殖のためではなく、美を追求する、芸術に昇華されるのだそうだ。

そういう話を、この夏にある文庫本で読んで、ずっと覚えていた。
気に入ったのは、文鳥が後天的に歌を学んでいくというところだった。
先天的な能力だけではなく、後天的な努力によって歌を磨いていく。
わたしもそうありたいと思うし、そうある人の言葉を大事にしていきたい。

わたしは言葉を信じている。
だから、文鳥社と名付けた」


文鳥社を立ち上げて初めての日記に、そう書いた。
文鳥社」という名前を口に出すたび、文字にするたび、自分がなぜ「文鳥社」と名付けたのかを振り返る。
そうだそうだ、文鳥のように、わたしも努力を惜しまず、言葉を磨いていこうと思ったんだったと。
果たしてわたしは今、それができているのかな、と。



文鳥社の一冊目がもうすぐできあがる。
短歌と絵の本だ。歌集と画集が、一冊になった本。
文鳥社の一冊目に「歌」があるのは、無理にそうしようと思ったわけじゃない。
とても自然にそこに行き着いた。わたしたちの第一冊目。

「本を作りたいと思ったことはない?」
文鳥社を始めるとき、柳下さんにそう聞かれて、わたしは「ある」と答えた。
「歌集を作りたい」



そのときにはもう、わたしは小説を書き始めていた。

もともと、柳下さんとわたしは「編集者と小説家」という関係から始まっている。
ある日目の前に現れた柳下さんは「君の小説を読みたい」と言ったのだ。

わたしは彼に出会うまでに、三つの小説を書いている。そのすべてを文芸誌の新人賞に応募した。ひとつは最終選考まで残ったが、選評で散々な酷評を得た。ほかのふたつは評されるところまでも行けず、タイトルだけが小さく載った。
わたしは、それらの小説をほとんど誰にも見せず、自分で読み返すこともしなかった。新しいものを書くこともせず、そのデータすらもう消そうと思っていた矢先、「君の小説を読みたい」と言われた。
それが自分でも思いがけないほど嬉しかった。そしてなんとなく、これを逃したらもうわたしは小説を書かないだろうと思った。それで「書きます」と即答した。きっとこれは、小説の糸口をつかむ最後のチャンスだと。

わたしはまた、性懲りもなく書き始めた。書き始めてすぐ、なんというコースを走り始めてしまったんだろう、と思った。
でもここを走り切れたら、もう何も後悔はない。そう思えたことが嬉しかったし、わたしはどこにあるのかわからないゴールをめがけて、走り始めた。


「本を作りたいと思ったことはない?」
と言われ、すぐに頭に浮かんだのは、ある歌人の顔だった。
小説を書いているわたしに、編集者としての目はないに等しい。編集者が作家を見る目で、作家を見ることができない。
だから、そのとき頭に浮かんだ歌人の顔は、「作家」ではなく「仲間」だった。
一緒に何かを作っているわけではないのだけど、遠い地で、それぞれひとりでつくっていて、ときどき作品を見せてもらう。それを見て、「がんばろう」と思う。そんな「仲間」の顔。


彼女とは大学時代に知り合った。短歌をつくっていると言うので、「見せてほしい」と言ったら、彼女はA4のコピー用紙に自分の短歌を出力してわたしに渡した。
そこに印字された短歌を見て、わたしは目の前の女の子に打ちのめされた。思わず彼女の顔を見て「すごい」と言った。帰ってからもう一度読み、わたしはいてもたってもいられなくて彼女に手紙を書いた。
「ずっと短歌を詠み続けてください」

10年以上経った今でも、わたしはそのコピー用紙をファイルに保存していて、本棚に差している。そして「この人には彼女の短歌が必要だ」と思う人に出会うたび、いそいそとそのファイルを持ってきて、見せている。「すごいでしょ、この短歌」と言いながら。


柳下さんは出版の原点を
「ねえねえ知ってる? こんなにすてきなものがあるんだよ」
だと言った。
それを聞いたとき、わたしのあのファイルを思い出した。あのファイルは、いわばひとつの出版の原点なのだな、と思った。
だから文鳥社でそれをすればいいのだと思った。
わたしの誇らしい「仲間」を、世界に知ってもらうことを。



文鳥社が立ち上がって、すぐに彼女に連絡をした。
「出版社を立ち上げたので、あなたの歌集をつくりたい」
突然そんなことを言い出した大学時代の旧友に、彼女は何を思っただろう。夢見がちで子供じみて聞こえたかもしれない。
それでも彼女は「ぜひ」と言ってくれて、今は他に取り組んでいることがあるから、時間がかかるかもしれないけれど待っていてください、と言ってくれた。

数年かかるのは覚悟しようと思った。
そして、彼女の本を出せるまでの「数年」を、文鳥社をちゃんと文鳥社として存続させる最初のひとつの指標にしようと思った。
わたしが初めて、文鳥社で出したいと思った本。つまりそれが初心なのだと思って。


その「数年」が幕を開け、まず、わたしは何ができるだろう、と考えた。
そして、彼女の歌集を出す前に自分で一度歌集を作ってみてはどうだろうかと思いついた。
作ったら作らなかったときよりわかることがあるはずだし、学ぶことも多いはずだ。作らないでいる理由はない。

そう考えて、まずは短歌がいるなと思った。歌集の素材としての短歌。
それで、自分で短歌を書いてみることにした。
一日ひとつ。とにかく最初は量産だ。一年続ければ、質はどうあれ365首の歌ができる。そう思って、短歌をつくり始めた。

それからは、小説を書きながら、短歌を書いた。
小説が長い長い映画だとしたら、短歌は一瞬を切り取る写真のように思えた。使う筋肉が違うのだ。それはこれまでほとんど使ったことのない部分だった。
こんなふうに世界をあらわすことができるのかと、わたしは「短歌」という手法にあらためて驚いた。


短歌ははじめ、写真であり、標本のようだった。
そのうち抽象画のようだと思うようになった。
詠む人と読む人の心象風景のピントを合わせる作業。
そして規律があるがゆえにもっと高く飛びたいと思う。
それらは、詠む前にはわからなかったことだ。


わたしは毎日詠んだ。どうしても詠めない日には、次の日に2首詠んだ。そうして短歌が50首くらいになったときだろうか。
柳下さんに
「トリミングをテーマにした、寺田マユミさんのイラストブックを作りたいのだけど、君、文章を書いてみてくれないかな」
と言われた。

トリミング。わたしはそれを聞いてすぐ、短歌のことを思った。
柳下さんに「短歌」と言った瞬間、すべてを口にする前に彼が「すばらしいアイデアだ」と言った。
「君の短歌が僕は大好きだから」
と。


自分で編もうと思っていた短歌たちは、こうして柳下さんに編み出された。
そこに寺田マユミさんの絵が生まれていく。デザイナーの敬子さんがデザインしていく。
目の前でどんどん編集され、肉付けされていく様子を見ながら、わたしは「ひとりではないというのはこういうことなのか」と目を見張った。どきどきして、ものすごく嬉しくて、目の前のみんなに感謝して、それと同時に怖気付いた。
短歌を詠み始めたばかりのわたしが歌集を出して本当に良いのだろうかと、思わなかったかというと、そんなことはない。
だけど、文鳥社はそもそもなぜ生まれたのだったろうか。
自分たちがつくりたい本をつくるために、立ち上げたのではなかっただろうか。

わたしは自分が胸を張ってこの歌集を出すこと自体が、文鳥社が文鳥社たらんとする態度の表明のように感じた。
それはつまり、わたし自身の態度の表明でもある。
先天的な能力だけではなく、後天的な努力によって歌を磨いていく。
わたしもそうありたいと思うし、そうある人の言葉を大事にしていきたい。

文鳥のように、わたしも努力を惜しまず、言葉を磨いていこう」



友人の歌人に、歌集をつくっている旨連絡をした。友人は、こう返信してくれた。
「純粋に楽しもうとしているのが、すごいんだろうな」
そして佐竹彌生という歌人の、ふたつの歌を送ってくれた。



月光の石にしずかに靴脱ぎぬほそほそと道谷の深みに


胸のなかにひろがることばみんな死ねポップコーンの袋を抱え




わたしはそれをよくよく読む。
そして、いつか彼女の歌集を作れますように、と思う。

蘭ちゃんに励まされました、と彼女は言う。
でもわたしは、彼女の短歌に奮い立たされただけだ。文鳥社も、この歌集も、もとをたどれば彼女の短歌に出会ったあの日の延長線上にある。
「短歌をつくり始めてから、あらためてあなたのすごさがわかりました。あなたはやっぱりすごい」
わたしは彼女にそう送った。


歌集のために短歌を選び終わったあとも、新しく詠み続けている。
わたしの手元にある短歌は164首になった。今日は165首目を詠む。


この本のタイトルは
『100年後あなたもわたしもいない日に』という。



文鳥社・土門蘭

この空白を「未来」と呼ぶならば

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会社にしようと決めてから、いろいろな書類を用意した。

申請書類のほかにも、住民票とか印鑑登録証明証とか戸籍謄本とかいろいろ必要だったので、全部、一個一個揃えていった。

 

わたしはそういう、書類を揃えるということがとても苦手だ。

法務局の方に懇切丁寧に教えていただいても、うまく頭に入ってこない。

書類を前にするとしどろもどろになるわたしを気の毒がって、柳下さんは「僕がやろうか」と何度も言ってくれたけれど、「自分でやる」と言い張った。

 

会社をつくるということを、自分でやってみたかった。

会社とはどういうふうにできるものなのか、その構造や流れを、身をもって理解したかったのだと思う。そうでないと、手から離れていってしまう気がした。なんとなく。

 

屋号は、「合同会社文鳥社」にした。

「社」の字を旧字体にしたのは、名刺のデザインをお願いしている方が、いくつかのデザイン案の中に「文鳥社」と旧字体でデザインした案を入れてくださっていて、それを見て「旧字体もクラシカルで素敵だ」と思ったため。

それと、「文鳥社」という会社がすでに存在していたので、できるだけご迷惑をかけないようにするためにも、旧字体の「社」はいいかもしれないと話した。

「社名の画数とか気にする?」と柳下さんに聞いたら、「文鳥はそんなこと気にしない」と言われたので、画数は調べなかった。

 

 

さて、やっとの思いで書類を揃えて、法務局に先週提出した。

そうしたらすぐ電話がかかってきて

「直してもらうところがたくさんありますね」

と言われた。

印鑑セットを持っていって、局員さんに言われるがまま、しどろもどろになりながらたくさん修正した。

二重線と修正印でごちゃごちゃしている書類は、本当にこれで登記できるのか、というくらいぼろぼろで、それがなんだかいまの自分自身みたいだなあと思った。

出版についても、経営についても、まったくの素人であるわたしの、今後も続くであろうトライアンドエラーが、いまここにまずは書類として現れている気がした。

 

局員さんはそんなぼろぼろの書類をとん、と揃えて、それから「はい」とうなずいた。

「はい。これで、大丈夫かと思います」

わたしは「えっ」と言って、それからちょっとぽかんとした。

「大丈夫とは、もう、会社になったってことでしょうか」

「そうですね。もし不備があれば、二日以内に電話します。電話がなければ、登記できたと思っていただいて結構です」

「えっと、じゃあ、設立記念日はいつですか?」

これから毎年設立した日にはお祝いせねばと考えていたので、つい「設立記念日」と言ってしまった。そしたら局員さんがちょっと笑って、

「設立記念日は、書類を出された日なので、5月24日です」

と答えてくれた。

気が早いし、ばかみたいな質問だったな、と恥ずかしく思いながらも、わたしは合同会社文鳥社の誕生日を頭に入れた。

2017年5月24日。

 

  

法務局を出て、すぐに柳下さんにメッセージを送った。

「なんか、できたっぽい!会社」と送ったら「サイコー!」と返ってきた。

それを読んだらなんだか緊張がほぐれて、ふつふつと嬉しくなってきたので、ひとりでお祝いをしようと思って、法務局の目の前にあるパン屋さん・LANDに入り、大好物のシナモンロールを買った。

LANDの方に、

「いま、会社できたんですよ」

と言ったら、

「えっ、いまですか?」

「そんな(カジュアルな)感じでできるものなんですか?」

とびっくりされつつも、厨房から

「おめでとうございます!」

とお祝いの言葉をかけていただいた。

お礼を言って、家に帰った。そして、コーヒーを淹れてシナモンロールを食べた。

 

食べながら、会社を立ち上げてみたが、さてどうかと考えてみたが、まだよくわからないな、と思った。会社にしたからと言って、劇的に何か変わるものでもないんだな、やっぱり。と。

「会社は箱でしかないのかもしれない」と思う。

わたしたちは出版社を作ったけれど、まだ本は作っていない。

だから、まあ、中身を作らなくちゃ箱の意味はないし、これからだよな、と思った。

 

 

そんなときに母親から電話がかかってきた。

元気か、と言うので、元気だと答える。

「会社作ったよ」と言ったら、母親もやっぱり「え?なに?いま?」と、びっくりしていた。

大丈夫か、と言うので、大丈夫だと答える。

大丈夫も何も、まだできたのは箱だけなんだから、と思っていたら、母親がいきなり

「ありがとう」

と言ったので、驚いた。

何がありがとうなのか聞いたら「なんだか、嬉しくて」と涙声で言う。

「お母さんにはようわからんけど、あんたこれからやりたいことがあるんじゃろ。がんばりんさいね。応援しとるけんね」

 

 母親の広島弁を聞きながら、会社を作ったことはつまり、

「あんたこれからやりたいことがあるんじゃろ」

ということなんだなと思った。

 

 

まだ空っぽだと思ったわたしたちの箱には、実は「未来」が入っているのかもしれない。何色にでもなるこの空白を「未来」と呼ぶならば。

そう思ったりするほど、母親の「ありがとう」は、祝福のように聞こえた。

 

 

そんなわけで、合同会社文鳥社です。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 (文鳥社・土門蘭)

本は僕らより長生きするからな

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文鳥社を立ち上げてすぐ、荒神橋のすぐそばの郵便局で、ゆうちょ銀行の口座を作った。

 

局員さんが、真新しい通帳を持って「文鳥社様」と呼ぶ。

窓口に向かいながら、この感じは何だったけなぁと思う。

それで、息子を産んだときに似ていると思った。生まれたばかりの息子の名前を、助産師さんに呼ばれたとき。

産んだ直後で満身創痍だったのに、なんだかごっこ遊びをしているような気分だったのを覚えている。名実ともにお母さんになったのに、まるでままごとをしているところを大人に見られてしまったような気分だった。

局員さんが、

「出版社ですか。素敵ですね」

と言ってくれた。 

 

その通帳に、わたしは自分のお小遣いの10万円を入れた。

そこに柳下さんの10万円が合わさる。

合計20万円。これが文鳥社の資本金だ。

「ここからスタートして、お金を増やしていこう。そしてそのお金で、本を作ろう」

と柳下さんが言った。わたしは「すごくわかりやすい」と言った。

お金を増やして、そのお金で本をつくる。

つくった本を売って、またお金を増やす。

すごくわかりやすい。

 

わたしは今、翠灯舎というウェブ制作会社に勤めていて、そこで育休をとっている。副業をもつことが認められているので、文鳥社での活動も応援してくれている。

今月末に育休があける予定で、子供たちの保育所も幸運なことに決まっているのだけど、文鳥社のいろいろを整えたいと話したら、育休あけたのち、2ヶ月間休職させてもらえることになった。

だけど、区役所にその話をすると、「うーん」という声が返ってきた。文鳥社で出版に従事することが、保育を必要とする正当な理由「就労」にあたらないのだという。文鳥社が「会社」ではないから、というのがその理由らしい。

 

「じゃあ会社にしよう」

と、すぐに答えは出た。それがいちばんやりやすい形ならば。

「すぐには売り上げが出ないと思うので、新しい会社でのお給料の欄は当分0になると思うのですが」

と言うと、区役所の担当者さんは「構いません」と言った。そして、「がんばってください」と言ってくれた。

  

それで昨日、法務局に行ってきた。

会社の作り方を調べてみたけれどよくわからなかったので、会社を作るにはどうしたらいいのかを聞きに行ったのだ。

 

調べたら法務局は荒神橋のすぐそばにあった。

荒神橋には何でもあるねえと話す。

パン屋、喫茶店、本屋(どれもすばらしい)もあるうえに、登記相談に乗ってくれる法務局まである。その上、鴨川には桜も満開。お誂え向きだ。

 

初めて行く法務局でやや緊張しながら順番を待っていたら、柳下さんがビニル袋をがさがさいわせながら、LANDのパンとコーヒーを持って現れた。

相談はすぐに終わって(「この書式をダウンロードして、記入してください」「ここに書いてあるものを用意して、持ってきてください」という回答がほとんどすべてだった)、拍子抜けしながら、わたしもそこから徒歩10秒の愛するLANDに、パンとコーヒーを買いに行った。

それからLANDの前のベンチに座って、パンをかじりながら喋った。

「ここのパンは本当においしいね」とか「彼はやはり天才だね」とか話す。

 

文鳥社を会社にすると決めたときに、東京にいる柳下さんから、メッセージが来たのを思い出した。

「どうぞ、末永く、次の代まで残す会社にしましょう」

と柳下さんは言ったのだ。

「本は僕らより長生きするからな。永遠に生きるからな」

 

 

会社を起こすなんて考えたことがなかった。

ましてや、出版の会社だなんて自分がやるわけがないと。

出版業界の不況は、前職の出版営業時代や、学生のときの書店アルバイト時代にいやというほど味わった。

つい昨年まで自分の言ってた言葉はこうだ。

「出版で稼ぐのは大変だから、仕事にはできない」

 

自分がこれまでどれだけ本に救われてきたというのか。

もらってばかりで、全然返さないで、出版業界は不況だからと知ったふうに、わたしには何もできることはないと言って、最初から諦めていた。

 

「出版はインフラだ」

と、思った。

だってわたしを支えてくれたのは本じゃないか。

だから出版はなくならない。

 

本は僕らより長生きする、永遠に生きる。

文鳥社もその大きな生命の一部になれたらいいなと思う。

そう返信すると、すぐに

「賛成」

と返ってきた。

 

 

鴨川では、桜が惜しげもなく咲きまくっている。

毎年桜が咲くころには、初心を思い出せたらいいなと思う。

 

さー、とっとと会社にしよう。

そして本をつくろう。

 

文鳥社・土門蘭)

ただいま(おかえり)

一昨日、二条城の近くのゲストハウス、マガザンにてトークイベントを行った。
実に僕らの初舞台。これで晴れて、公だ。大いに自棄ってわけじゃあないよ。
まったくもって、うれしいね。

終わってから、客席にいてくれた馴染みに、「どうだった?」と聞くと、「いつも隣で話してるのと、変わらなかったよ」と答えてくれた。

それは「いつも通りでおもしろいよ」という意味だったらしいけれど、うん、大事なのは伝え方な。そういうところだよ?


会場はとてもカジュアルな雰囲気で、距離も近くて、とても親密だった。
僕ら文鳥社のこと、マガザンのこと、本のこと、それらをとても楽しみにしてくれたみたいだ。僕らは本で繋がっている。

読書というひとりの行為を知るみんなが集まって、ひとりでなくなるなんて、おもしろいね、って考えながら壇上に僕はいた。

僕は教師として壇上で教えることが好きだし、どちらかというと得意でもあると思うので、トークイベントは苦手じゃない。

でも、今回はトークイベントっていう感じじゃなくて、お正月に親戚が集まったみたいな、なんだかのんびりとくつろいだ時間だった。
ゆったり。

思ったことをそのまま話した。収束も拡散も意識せず、そのまま話せた。
身内の会議でも、もう少し、場と情報をコントロールしようとするけれど、その日はあまりそれもなかった。
いいねえ。

そうか、「いつも隣で話してるのと、変わらなかったよ」っていうのは、そういうことかもしれない。君は正しかったね。

壇の上で話しているとき、まだ、話が終わっていないのに、聞きたいこともたくさんあって、時間だって残っているのに、ふいに「ただいま」って思った。

僕らがいる、ここは、小さなコミュニティ。挨拶ができる距離。
きっとこれが、僕らの本を届ける距離だねって思った。

これを段々と広げていって、そして豊かに耕そう。
だから、ここがスタートで、案外ゴールだ。
ただいまとおかえりは対の言葉だね。

壇の上から、大声を出さなくても聞こえるみんなとの距離に、馬鹿だな、静かに感動しながら、ただいまって思った。
それが、おかえりって言ってくれる人ための言葉だからね。


文鳥社・柳下恭平)

マガザン×文鳥社「2018 本特集」公開編集会議を終えて

 

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二条城の近くに、マガザンキョウトという場所がある。

「泊まれる雑誌」というコンセプトで、特集ごとに空間が変わっていくホテルだ。

 

立ち上げたのは岩崎達也くんという、わたしと同い年の青年で、出会ったときには会社員をしながら雑貨屋さんをやっていた。

次に会ったときには「ホテルをやりたい」と言っていて、さらにそのあとにはもうクラウドファンディングで資金を集め始めていて、さらにさらにそのあとには、マガザンキョウトという場所ができあがっていた。

 

彼とは居酒屋で知り合った。

第一印象は「よく食べる人」だった。

今では

「よく食べて、よく寝て、よく動く人」

という印象にアップデートされている。

 

そんな彼から、来年の冬に一緒にマガザンで特集を組もうと声をかけられた。

「柳下さんにも声をかけている」

と言っていた。そのときにはまだ文鳥社の話もなかったし、三人揃ったこともなかった。

「なんでわたしと柳下さんなの?」

と聞いたら、彼はいろいろ理由を言いつつも、最後には「まあ、なんかおもしろくなりそうやなって思って」とごにょごにょ言っていた。

その後文鳥社ができたので、彼の第六感が働いたのかしらと思う。

 

2月26日に、マガザン×文鳥社の公開編集会議と銘打ってトークイベントを行った。

文鳥社として、初めて人前で話す機会だ。

ありがたいことに十数名のお客様に集まっていただき、会場は満席になった。

マガザン、文鳥社の紹介から始まり、来年の冬にこの空間でどんなことをしたいか、いろんなアイデアを出し合った。

 

昨年にも、マガザンでは『本特集』が行われている。

「本を体験する」というテーマで、本を五感で楽しみ味わいつくす内容だった。

わたしは、せっかくならその『本特集』とは違うものにしたかった。

それで編集会議中に、

「インプットしたら、アウトプットしたくなりませんか?」

と言った。

食べたら出したくなるのと一緒だ。

味わいつくし呑みこんだなら、 今度は何かを生み出したくなる。

「前回の『本特集』が五感のインプットの場だとしたら、

次回の『本特集』ではここをアウトプットの場にしてはどうでしょう?」

 

断片的なアイデアを話しながら、「ああ、もっと本を読まないと」と思った。

もっともっと本を読んで、カロリーを栄養を摂取しよう。

そして、いっぱい動いて、おいしい実をつけよう。

 

その実がまた誰かの血肉になればいいな。

文鳥社は、それを体現するものになればいいな。

そして「出版」の生命循環の一部になりたいな。

そういうことを話しながら思った。

それがわたしの「本への恩返し」だなと、どんどんクリアになっていく感じだった。

 

お客様からもとてもおもしろいアイデアを出していただいたし、刺激的な出会いもたくさんあった。

「ここには種がたくさんある」と思った。

大風呂敷に一切合切その種を入れて、一粒残らず持って帰る気分で、その夜は帰宅した。

くたくたになっているのに、その風呂敷が気になって、帰ってきてからも眠れない。

そうしたら柳下さんから電話がかかってきて、今日あったことや感じたことをお互いに話した。

彼もきっと、風呂敷の中身が気になって落ち着かなかったのだろう。

ふたりで風呂敷から種を出し、きちんと整理して、文鳥社の引き出しに入れていく感じだった。

「いつかちゃんと形にしよう」

と話して電話を切った。

 

 

さあ、本を作らなくっちゃ、と思った。

 

その実はどんな色で、形で、においで、どんな味だろう。

「おいしい」と喜んで食べてもらって、その人のからだを強くする、一部になれたらいいなと思う。

 

文鳥社・土門蘭