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文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

ただいま(おかえり)

一昨日、二条城の近くのゲストハウス、マガザンにてトークイベントを行った。
実に僕らの初舞台。これで晴れて、公だ。大いに自棄ってわけじゃあないよ。
まったくもって、うれしいね。

終わってから、客席にいてくれた馴染みに、「どうだった?」と聞くと、「いつも隣で話してるのと、変わらなかったよ」と答えてくれた。

それは「いつも通りでおもしろいよ」という意味だったらしいけれど、うん、大事なのは伝え方な。そういうところだよ?


会場はとてもカジュアルな雰囲気で、距離も近くて、とても親密だった。
僕ら文鳥社のこと、マガザンのこと、本のこと、それらをとても楽しみにしてくれたみたいだ。僕らは本で繋がっている。

読書というひとりの行為を知るみんなが集まって、ひとりでなくなるなんて、おもしろいね、って考えながら壇上に僕はいた。

僕は教師として壇上で教えることが好きだし、どちらかというと得意でもあると思うので、トークイベントは苦手じゃない。

でも、今回はトークイベントっていう感じじゃなくて、お正月に親戚が集まったみたいな、なんだかのんびりとくつろいだ時間だった。
ゆったり。

思ったことをそのまま話した。収束も拡散も意識せず、そのまま話せた。
身内の会議でも、もう少し、場と情報をコントロールしようとするけれど、その日はあまりそれもなかった。
いいねえ。

そうか、「いつも隣で話してるのと、変わらなかったよ」っていうのは、そういうことかもしれない。君は正しかったね。

壇の上で話しているとき、まだ、話が終わっていないのに、聞きたいこともたくさんあって、時間だって残っているのに、ふいに「ただいま」って思った。

僕らがいる、ここは、小さなコミュニティ。挨拶ができる距離。
きっとこれが、僕らの本を届ける距離だねって思った。

これを段々と広げていって、そして豊かに耕そう。
だから、ここがスタートで、案外ゴールだ。
ただいまとおかえりは対の言葉だね。

壇の上から、大声を出さなくても聞こえるみんなとの距離に、馬鹿だな、静かに感動しながら、ただいまって思った。
それが、おかえりって言ってくれる人ための言葉だからね。


文鳥社・柳下恭平)

マガザン×文鳥社「2018 本特集」公開編集会議を終えて

 

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二条城の近くに、マガザンキョウトという場所がある。

「泊まれる雑誌」というコンセプトで、特集ごとに空間が変わっていくホテルだ。

 

立ち上げたのは岩崎達也くんという、わたしと同い年の青年で、出会ったときには会社員をしながら雑貨屋さんをやっていた。

次に会ったときには「ホテルをやりたい」と言っていて、さらにそのあとにはもうクラウドファンディングで資金を集め始めていて、さらにさらにそのあとには、マガザンキョウトという場所ができあがっていた。

 

彼とは居酒屋で知り合った。

第一印象は「よく食べる人」だった。

今では

「よく食べて、よく寝て、よく動く人」

という印象にアップデートされている。

 

そんな彼から、来年の冬に一緒にマガザンで特集を組もうと声をかけられた。

「柳下さんにも声をかけている」

と言っていた。そのときにはまだ文鳥社の話もなかったし、三人揃ったこともなかった。

「なんでわたしと柳下さんなの?」

と聞いたら、彼はいろいろ理由を言いつつも、最後には「まあ、なんかおもしろくなりそうやなって思って」とごにょごにょ言っていた。

その後文鳥社ができたので、彼の第六感が働いたのかしらと思う。

 

2月26日に、マガザン×文鳥社の公開編集会議と銘打ってトークイベントを行った。

文鳥社として、初めて人前で話す機会だ。

ありがたいことに十数名のお客様に集まっていただき、会場は満席になった。

マガザン、文鳥社の紹介から始まり、来年の冬にこの空間でどんなことをしたいか、いろんなアイデアを出し合った。

 

昨年にも、マガザンでは『本特集』が行われている。

「本を体験する」というテーマで、本を五感で楽しみ味わいつくす内容だった。

わたしは、せっかくならその『本特集』とは違うものにしたかった。

それで編集会議中に、

「インプットしたら、アウトプットしたくなりませんか?」

と言った。

食べたら出したくなるのと一緒だ。

味わいつくし呑みこんだなら、 今度は何かを生み出したくなる。

「前回の『本特集』が五感のインプットの場だとしたら、

次回の『本特集』ではここをアウトプットの場にしてはどうでしょう?」

 

断片的なアイデアを話しながら、「ああ、もっと本を読まないと」と思った。

もっともっと本を読んで、カロリーを栄養を摂取しよう。

そして、いっぱい動いて、おいしい実をつけよう。

 

その実がまた誰かの血肉になればいいな。

文鳥社は、それを体現するものになればいいな。

そして「出版」の生命循環の一部になりたいな。

そういうことを話しながら思った。

それがわたしの「本への恩返し」だなと、どんどんクリアになっていく感じだった。

 

お客様からもとてもおもしろいアイデアを出していただいたし、刺激的な出会いもたくさんあった。

「ここには種がたくさんある」と思った。

大風呂敷に一切合切その種を入れて、一粒残らず持って帰る気分で、その夜は帰宅した。

くたくたになっているのに、その風呂敷が気になって、帰ってきてからも眠れない。

そうしたら柳下さんから電話がかかってきて、今日あったことや感じたことをお互いに話した。

彼もきっと、風呂敷の中身が気になって落ち着かなかったのだろう。

ふたりで風呂敷から種を出し、きちんと整理して、文鳥社の引き出しに入れていく感じだった。

「いつかちゃんと形にしよう」

と話して電話を切った。

 

 

さあ、本を作らなくっちゃ、と思った。

 

その実はどんな色で、形で、においで、どんな味だろう。

「おいしい」と喜んで食べてもらって、その人のからだを強くする、一部になれたらいいなと思う。

 

文鳥社・土門蘭

文鳥社宣言

言葉はいつも、こだまのようだ。
それは、口から出たものか指先から出たものかに依らず、発すれば、いつまでもいつまでも反射を繰り返して、僕らの想像の及ばないところまで、遠く遠く届いていく。そして、長かったり短かったりの時を経て、やがてまた、自分のもとに戻ってくる。エコー。
僕は、目の前の誰かに話すのも、遠い山に暮らす誰かに話すのも、実はまったく変わらないんじゃないかなって思っている。
「ヤッホー! 僕の話を聞いてよ!」なんて、ただ、情熱をもって発するのみ。
大切なのは、それだけじゃないかな。

今、生まれようとする僕ら文鳥社は、自由な出版レーベルだ。
本が好きで、言葉に救われてきた僕らが作る、在野の意気だ。
京都・荒神橋に生まれつつある僕らは、たった二人で、それが、とてもとても軽やかなんだ。

誰でも一生に一冊は本が書けるなんて聞いたことがあるけれど、それは嘘だと思う。だって、本を書くって途方もないことだもの。
でも、誰でも一生に一冊は、本が作れると思う。換言すれば、誰でも一生のうちに少なくとも一冊、自ら望んで読みたい本があるはずだということ。自分のことでもいいし、好きな誰かのものでもいい。文鳥社はそれを信じて本を作りたい。
自分たちが読みたい本を作って、自分たちで世界に渡していく。そのままの熱量で、作って届ける。なんて清清しい気分だろう。

さあ僕ら、出版人たれ。本を作ればそれが適う。
晴れた日には荒神橋で会おうよ。
パンを食べながら、コーヒーを飲みながら、朗らかに僕らは、これから作る本のことを話すんだ。

2/12/2017 文鳥社・柳下恭平

文鳥社とわたし

文鳥社」という出版レーベルを立ち上げた。

立ち上げたと言っても、「やろう」と決めただけで、まだほとんど何もしていない。
でもともかく、出版をすることを決め、「文鳥社」という名前をつけた。
そのことがわたしにはすごく大きな事件で、自分の人生に「文鳥社」というものができて、今、とても嬉しい。

文鳥社の始まりについて考えると、柳下さんのある言葉がきっかけだったように思う。
柳下さんというのは文鳥社の相方で、フルネームを柳下恭平さんという。
めがねをかけていて、髪の毛がもじゃもじゃしている。
わたしの息子は最初「もじゃもじゃのおじさん」と呼んでいた。
天然パーマだと聞いて、驚いた。
手が大きいので、文庫を片手でめくることができるというのにも、驚いた。

彼は神楽坂で鷗来堂という校閲会社をやっていて、かもめブックスという本屋さんもやっている。それから、誰でも本屋が作れる仕組みの「ことりつぎ」というサービスや、クールで愉快な読書普及ユニット「BOOKMAN SHOW」でも活動していて、本当にいろいろな形で本に携わっている人だ。
昨年の夏に、共通の友人が紹介してくれたのだけど、友人によると
「僕が知る中でいちばん本を読んでる人」
だという。

そのときわたしは、自分が作っているフリーペーパー『音読』を彼に渡した。
渡したのは13号で、特集は「INDEPENDENT PUBLISHING IN PORTLAND AND KYOTO」。
奇しくもポートランドと京都の、独立した出版について書いた号だった。

さてその後、柳下さんとSNSで繋がって、彼の文章を読むようになった。
リズミカルで陽気で、それでいてロジカルで知的で、素敵な文章だなあと思った。
そんな彼の文章の中に、「本と夜と時間と生活」について書かれたものがあった。 
少し長いけど、大事なところなので、全部引用する。


生活はいつもダラダラと続き、昨日と今日の区別はつかないまま。
でもね、逆説的だけど、読書が僕に時間をくれるのだと思っています。
夜、できれば雨なんて降ってるといいですが、ひとりで、小説でも随筆でも、何かを学ぶためや思索にふけるための実用書でも、ページを開いているときに、現実と違う時間軸が生まれます。
その時間だけが、生活をひととき忘れさせてくれます。
そして、ようやくリズムが生まれる。
僕は生活を忘れることによって、もう一度人生を思い出すことができるのです。
ライフイズカミングバック。変な理屈に聞こえるかもしれないけれども」

(『SHIPS Days 2016 Fall & Winter』より)



「生活を忘れることによって、もう一度人生を思い出す」!

わたしはその言葉にびっくりしてしまって、何度も何度も読み返した。
まさに、自分がなぜ本を読むのかがこの一文に書かれている気がした。
思えば、これがわたしにとっての、文鳥社の始まりだったんだろう。



そして昨年末。
寺町通りにある喫茶店で濃いコーヒーを飲みながらふたりで話していたら、
柳下さんがこう言った。

「詩人が、自分で自分の詩をガリ版で刷って、新宿西口で手売りする。
あの詩集が、出版の原点だと思うんだ。
作り手の熱量を100だとしたら、100のまま読者に手渡せる、
そういうプリミティブな場所を作りたいなあ」


ああ、いいな、と思った。
学生時代、散文を書いてコピー機で刷ってホッチキスで留めたものを配っていた。
恥ずかしいとか、ダサいかもしれないとか、何も考えてなかった。
ただただ、何かを伝えたかった。
あのときの印刷室の、濃いインクのにおいと、粗い紙のにおいがした気がした。

柳下さんは
「君には書きたいことがある。それは本当にすばらしいことだ」
と言う。

書きたいことがある。伝えたいことがある。
だからわたしは、あれから10年以上たって、30歳を超えた今も、
フリーペーパーをつくって、文章を書き続けている。

でもそろそろ、きちんとお金と交換する。そういうものを作りたい。
そしてまたそのお金で本を作って、新しく伝えたいことを伝えたい。

「生活を忘れることによって、もう一度人生を思い出す」
そういう本を、そういう読書体験を、この世界に増やしたい。
これまでわたしが、本から受け取ってきたもの。それを返したい。

心からそう思った。
それで、柳下さんに「一緒にやろう」と言った。


文鳥社」と名付けたのは、文鳥が、歌を学ぶ生き物だから。
文鳥のオスは、歌をうたってメスに求愛する。
その歌が複雑であれば複雑であるほど、メスを惹きつけるそうだ。
時折、歌が複雑になりすぎるオスがいるのだという。
その歌は、もはや繁殖のためではなく、美を追求する、芸術に昇華されるのだそうだ。

そういう話を、この夏にある文庫本で読んで、ずっと覚えていた。
気に入ったのは、文鳥が後天的に歌を学んでいくというところだった。
先天的な能力だけではなく、後天的な努力によって歌を磨いていく。
わたしもそうありたいと思うし、そうある人の言葉を大事にしていきたい。

わたしは言葉を信じている。
だから、文鳥社と名付けた。


「自分たちで作りたい本を作り、自分たちで読者に届ける」
文鳥社はそんな、とてもシンプルな出版レーベルだ。
まだロゴも名刺もWebサイトもなく、もちろん事務所もない。
でも、住所は京都鴨川荒神橋にするつもり。
いつもここらへんで打ち合わせをしているから。


これから文鳥社で、読んだ人が忘れていた人生を思い出すような、
そんな本をつくっていきたい。

言葉が、あなたの人生を取り戻してくれますように。

文鳥社・土門 蘭)