文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2019/07/18(木)

きのうよりは幾分か気分がましになったが、まだやっぱり重い。腕にじんましんができている。
夕方、ふたつ面談があった。小学校と、学童。小学校の先生に、長男の欠点をいくつも挙げられ、彼女にはまったく悪気はないのだと思うが、不意に泣き出しそうになった。まるで自分が叱られているような感じ。否定されるというのは、それがちょっとしたことでも悲しいことなのだなと思う。
夕方、凄惨なニュースを知る。ひどい。悲しい。
今日も早く寝よう。とにかく寝る。回復のために。

2019/07/17(水)

朝から気分の落ち込みがひどく、鬱々としていた。何もないのに涙が出る。不満もないし、不都合もない。ただ、外部からの刺激に非常に敏感になっている。心配した編集者が電話をくれて雑談をした。低いテンションのまま話す。やっぱり、ときどき涙が訳もなく出る。気を遣ってもらってありがたいなと思う。
昼間はパン屋さんにパンを買いに行った。何も食べたくないが何も食べないままだとますます元気がなくなってしまう。カツサンドとたまごサンドのセットを買って、全部食べきれなくて、牛乳も残した。全然食欲がない。でも仕事はしないと、と思って、仕事をした。ひとつ終えることができた。やりたいこと、食べたいもの、行きたいところ。考えてみてもわからない。みんなどうやって生きているんだろう。

と、鬱々と家で考え込んでいてもしかたないので、ジムに行くことにした。1時間弱ほど体を動かしたら気分がましになってきた。運動、やっぱりすごい。

2019/07/15(月・祝)

子供が生まれてから祇園祭には行っていない。今年もきっと行かない。人が多いし暑いからだ。息子たちは一度も祇園祭に行ったことがない。少し後ろめたい気もするが、京都生まれ京都育ちで祇園祭に行ったことがないというのもおもしろいかもしれないなと思ってそのままにしている。いつか誰かが連れ出してくれるか、自分で行くかするだろう。

初めて行った祇園祭りは大学1年のとき。奨学金を申請したら、3か月分がどんと7月に入ってきて、びっくりして、そのとき一番欲しいもの、浴衣を買いに行った。うすい桃色の地に、黒で菖蒲が描いてある。帯も巾着袋も黒にした。そのとき髪の毛に赤色のメッシュを入れていたのだけど、浴衣に合わないのでユニットバスで友達に真っ黒に染めてもらった。それを着て行った祇園祭はすごく幸福だった。とても似合うと褒められた。今も、その浴衣は手元にある。

お金はあるだけ使って、いつもすっからかん。食堂の100円のかけそばやバイトのまかないでしのいで、それでも発泡酒は飲まないと言い張り、鴨川で浴びるように飲んだ。恋をしていて、心を開いて話せる友達がいて、ひとりの時間が十分にあって、勉強もすごくおもしろかった。欲しいものを欲しいと言い、いらないものは手放せた。偏っていたし余裕はなかったけれど、わたしの大学時代は光を発していたと思う。あの4年があってよかった。わたしはあのとき、確かに学校という場所が好きだった。その記憶があるということは大事なことだ。

今年の夏は涼しい。今もわたしは同じ京都にいる。

2019/07/14(日)

午後、新卒で入った会社の同期が京都に来たというのでかもがわカフェでお茶をする。わたしはもともとある実用書の出版社に勤めていて、お互いに営業をずっとしていたのだけど、彼は今は制作事業部にいるのだという。仕事が好きだしおもしろいと言っていた。よかった。

隣には彼が最近結婚した女性が座っていた。想像していたのはセミロングのおとなしそうな、にこにこした笑顔がかわいい女の子だったが、合っていたのは最後のひとつだけだった。はっきりと言葉を話す、気持ちの良い女性だった。

同期の彼は、よく「土門に憧れている」と言っていた。やりたいことが明確にあって、それに向かって動いていて、本当にすごいと。自分は何がしたいのかよくわからないし、わかってしまうのが怖いのかもしれない、と言っていた。わたしはわからないままで死ぬほうが怖い、ということを言ったように思う。彼は覚えているかどうかわからないけれど。「変わったね」と言うので、「それは良いほうに? 悪いほうに?」と尋ねたら「良いほうに決まってんじゃん」と笑った。「悪いほうに変わったら、そんなことわざわざ口にしない」そうだね、と返す。君はそういう礼儀正しいところ変わらないねと思いながら。

でもそんな彼が、今はきっと何がしたいのかわかっていて、誰と一緒にいたいのかわかっていて、本当によかったなと思った。彼の奥さんと、「この人って、すごく素直ですよね」「そうそう、びっくりするくらい純粋なんです」「純粋培養って感じ。彼を見ると性善説を信じてもいいかもしれないって思います」みたいな話をした。彼は恥ずかしそうに笑っていた。

2019/07/13(土)

久しぶりに大学時代からの友人に会った。彼女の家には大学生のときに泊まったり遊びに行ったりしたことがある。10年ぶりくらいに訪れた彼女の家は、やっぱりきれいに片付けられていた。彼女はわたしが会ったなかでたぶんいちばんちゃんとしている女の子だ。真面目だし、几帳面だし、気遣いもできて、秘書検定の資格も持っている。いつもきれいな格好をしていて、しかも美人だ。

小説を読んだ、と彼女は言った。「普遍的な孤独が描かれている小説だなあって、読み終わってすごく、さみしい気持ちになった」と。「この小説についてどう感じたのかを話すときに、自分自身が出てくる感じ」とも言っていた。感想を聞かせてくれて、嬉しかった。「蘭ちゃんがずっと一所懸命書いた小説だもん。楽しみに待っていたよ」と言ってくれた。

彼女は、わたしの出版を祝ってケーキを用意してくれていた。冷蔵庫から出してテーブルの上に置き、お店でもらったのだという花火に火をつけた。花火に火がついた瞬間、わたしたちは笑って、動画や写真を撮った。
笑ったまま、彼女のお母さんの写真を見つめた。写真のなか、彼女のお母さんもまた、よく似た顔で笑っている。帰りにお仏壇に手を合わせながら、「どうかあの子が幸せになりますように見守っていてください」とお願いした。

「もう出会ってから15年だね」と帰り道になんとなくわたしが言った。すると彼女は「こどもを産んでも、蘭ちゃんは『お母さん』にならなかったね」と言った。「蘭ちゃんだけはずっと変わらない」と。

「出会って15年経ったど、蘭ちゃんへの愛情は変わらないよ」とも言ってくれて、なんだか恥ずかしくなって笑った。でもとても嬉しかった。愛情をちゃんと表現できる彼女は美しい。闘病中だったお母さんも、彼女に一所懸命看病されながら、同じことを思っていたのかもしれない。わたしよりもずっと強く。

2019/07/12(金)

ずっと家で原稿を書いているので、外に出るのが億劫になりがちだ。だからお昼ご飯をいつもどうしようか迷っていて、作るのも億劫、外に出るのも億劫、もう抜いてしまっていいかなあとも思うんだけど、心も体も老けていくような気がして良くないなと思う。それで今日は外に出て、近所のパン屋さんに行った。わたしの家の近所には、3軒パン屋さんがあって、どこもとてもおいしい。今日はそのなかでも一番好きなパン屋さんへ。ここは、とても好きなパン屋さんなので、行くのにちょっと気合がいる。たとえるならば、本命の男の子だ。本命だから、すっぴんだったり部屋着で行くのはちょっとできない。それにとても人気で、いつも混んでいるのだ。つまり人がいっぱいいる。だけど、今日はそこに行った。そして、新しいメニューであるサーモンと野菜のベーグルサンドを頼んだ。生のたまねぎが苦手なので、抜いてくださいとお願いすると、代わりになにかいれましょうかと言ってくれたので、良いようにしてくださいと身を委ねた。そうしたらめちゃくちゃおいしいベーグルサンドが出てきて、家で「やっぱり好き」と思った。恋ってこういう感じだと思う。そのあと仕事を頑張った。終わらなかったけれど。