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文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

文鳥社宣言

言葉はいつも、こだまのようだ。
それは、口から出たものか指先から出たものかに依らず、発すれば、いつまでもいつまでも反射を繰り返して、僕らの想像の及ばないところまで、遠く遠く届いていく。そして、長かったり短かったりの時を経て、やがてまた、自分のもとに戻ってくる。エコー。
僕は、目の前の誰かに話すのも、遠い山に暮らす誰かに話すのも、実はまったく変わらないんじゃないかなって思っている。
「ヤッホー! 僕の話を聞いてよ!」なんて、ただ、情熱をもって発するのみ。
大切なのは、それだけじゃないかな。

今、生まれようとする僕ら文鳥社は、自由な出版レーベルだ。
本が好きで、言葉に救われてきた僕らが作る、在野の意気だ。
京都・荒神橋に生まれつつある僕らは、たった二人で、それが、とてもとても軽やかなんだ。

誰でも一生に一冊は本が書けるなんて聞いたことがあるけれど、それは嘘だと思う。だって、本を書くって途方もないことだもの。
でも、誰でも一生に一冊は、本が作れると思う。換言すれば、誰でも一生のうちに少なくとも一冊、自ら望んで読みたい本があるはずだということ。自分のことでもいいし、好きな誰かのものでもいい。文鳥社はそれを信じて本を作りたい。
自分たちが読みたい本を作って、自分たちで世界に渡していく。そのままの熱量で、作って届ける。なんて清清しい気分だろう。

さあ僕ら、出版人たれ。本を作ればそれが適う。
晴れた日には荒神橋で会おうよ。
パンを食べながら、コーヒーを飲みながら、朗らかに僕らは、これから作る本のことを話すんだ。

2/12/2017 文鳥社・柳下恭平

文鳥社とわたし

文鳥社」という出版レーベルを立ち上げた。

立ち上げたと言っても、「やろう」と決めただけで、まだほとんど何もしていない。
でもともかく、出版をすることを決め、「文鳥社」という名前をつけた。
そのことがわたしにはすごく大きな事件で、自分の人生に「文鳥社」というものができて、今、とても嬉しい。

文鳥社の始まりについて考えると、柳下さんのある言葉がきっかけだったように思う。
柳下さんというのは文鳥社の相方で、フルネームを柳下恭平さんという。
めがねをかけていて、髪の毛がもじゃもじゃしている。
わたしの息子は最初「もじゃもじゃのおじさん」と呼んでいた。
天然パーマだと聞いて、驚いた。
手が大きいので、文庫を片手でめくることができるというのにも、驚いた。

彼は神楽坂で鷗来堂という校閲会社をやっていて、かもめブックスという本屋さんもやっている。それから、誰でも本屋が作れる仕組みの「ことりつぎ」というサービスや、クールで愉快な読書普及ユニット「BOOKMAN SHOW」でも活動していて、本当にいろいろな形で本に携わっている人だ。
昨年の夏に、共通の友人が紹介してくれたのだけど、友人によると
「僕が知る中でいちばん本を読んでる人」
だという。

そのときわたしは、自分が作っているフリーペーパー『音読』を彼に渡した。
渡したのは13号で、特集は「INDEPENDENT PUBLISHING IN PORTLAND AND KYOTO」。
奇しくもポートランドと京都の、独立した出版について書いた号だった。

さてその後、柳下さんとSNSで繋がって、彼の文章を読むようになった。
リズミカルで陽気で、それでいてロジカルで知的で、素敵な文章だなあと思った。
そんな彼の文章の中に、「本と夜と時間と生活」について書かれたものがあった。 
少し長いけど、大事なところなので、全部引用する。


生活はいつもダラダラと続き、昨日と今日の区別はつかないまま。
でもね、逆説的だけど、読書が僕に時間をくれるのだと思っています。
夜、できれば雨なんて降ってるといいですが、ひとりで、小説でも随筆でも、何かを学ぶためや思索にふけるための実用書でも、ページを開いているときに、現実と違う時間軸が生まれます。
その時間だけが、生活をひととき忘れさせてくれます。
そして、ようやくリズムが生まれる。
僕は生活を忘れることによって、もう一度人生を思い出すことができるのです。
ライフイズカミングバック。変な理屈に聞こえるかもしれないけれども」

(『SHIPS Days 2016 Fall & Winter』より)



「生活を忘れることによって、もう一度人生を思い出す」!

わたしはその言葉にびっくりしてしまって、何度も何度も読み返した。
まさに、自分がなぜ本を読むのかがこの一文に書かれている気がした。
思えば、これがわたしにとっての、文鳥社の始まりだったんだろう。



そして昨年末。
寺町通りにある喫茶店で濃いコーヒーを飲みながらふたりで話していたら、
柳下さんがこう言った。

「詩人が、自分で自分の詩をガリ版で刷って、新宿西口で手売りする。
あの詩集が、出版の原点だと思うんだ。
作り手の熱量を100だとしたら、100のまま読者に手渡せる、
そういうプリミティブな場所を作りたいなあ」


ああ、いいな、と思った。
学生時代、散文を書いてコピー機で刷ってホッチキスで留めたものを配っていた。
恥ずかしいとか、ダサいかもしれないとか、何も考えてなかった。
ただただ、何かを伝えたかった。
あのときの印刷室の、濃いインクのにおいと、粗い紙のにおいがした気がした。

柳下さんは
「君には書きたいことがある。それは本当にすばらしいことだ」
と言う。

書きたいことがある。伝えたいことがある。
だからわたしは、あれから10年以上たって、30歳を超えた今も、
フリーペーパーをつくって、文章を書き続けている。

でもそろそろ、きちんとお金と交換する。そういうものを作りたい。
そしてまたそのお金で本を作って、新しく伝えたいことを伝えたい。

「生活を忘れることによって、もう一度人生を思い出す」
そういう本を、そういう読書体験を、この世界に増やしたい。
これまでわたしが、本から受け取ってきたもの。それを返したい。

心からそう思った。
それで、柳下さんに「一緒にやろう」と言った。


文鳥社」と名付けたのは、文鳥が、歌を学ぶ生き物だから。
文鳥のオスは、歌をうたってメスに求愛する。
その歌が複雑であれば複雑であるほど、メスを惹きつけるそうだ。
時折、歌が複雑になりすぎるオスがいるのだという。
その歌は、もはや繁殖のためではなく、美を追求する、芸術に昇華されるのだそうだ。

そういう話を、この夏にある文庫本で読んで、ずっと覚えていた。
気に入ったのは、文鳥が後天的に歌を学んでいくというところだった。
先天的な能力だけではなく、後天的な努力によって歌を磨いていく。
わたしもそうありたいと思うし、そうある人の言葉を大事にしていきたい。

わたしは言葉を信じている。
だから、文鳥社と名付けた。


「自分たちで作りたい本を作り、自分たちで読者に届ける」
文鳥社はそんな、とてもシンプルな出版レーベルだ。
まだロゴも名刺もWebサイトもなく、もちろん事務所もない。
でも、住所は京都鴨川荒神橋にするつもり。
いつもここらへんで打ち合わせをしているから。


これから文鳥社で、読んだ人が忘れていた人生を思い出すような、
そんな本をつくっていきたい。

言葉が、あなたの人生を取り戻してくれますように。

文鳥社・土門 蘭)