文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2019/03/19(火)

文章には匂いがある。その匂いでわたしは好き嫌いを判断している。文は人を表すというけれど、人は文章だけで恋をすることだってできるし、憎むことだってできる。それくらい強く滲み出るものだ。

だから、駆け引きみたいなものは通用しない。最初から最後まで通用しない。

文章はわたし自身であるから、わたし自身であることがまず大事だ。

なんだかときどき、裸で荒野に立っている気持ちになる。文章を書くって、裸で荒野を歩くみたい。

2019/03/18(月)

ふと思ったのだけど、わたしは日記を書くタイミングを間違えているのではないだろうか。日々暮らしていると、たとえば朝の9時とか昼の1時とかに、「あ、今日はこのことを日記に書こう」と思いついたりする。それで、どんなふうに書こうかな、とか、ちょっとウキウキするのだが、夜に書き始めると「眠い」としか言葉が出なかったりする。
今日は、これを書こう、と思ったアイデアをメモするということをした。今の今までそのことすら忘れていたのだが、思い出してiPhoneのメールの下書きを見た。しかし自分が何を書きつけたのか、一切覚えていない。一体どんな素敵なアイデアが書かれているのだろうと期待しながら下書きを開けたら、「土日は休肝をした」とだけ書いてあった。これだけだろうか、と思いiPhoneをいじってみたが、これだけだった。確かに土日に休肝したのはわたしには非常に珍しいことではあるが、自分のアイデアにやや期待が大きすぎたようだ。夜、350mlのビールを一本飲んだ。

2019/03/17(日)

きのう一泊二日の出張から帰ってきて、ごはんを食べ、洗濯物も畳まずにお風呂に入ってすぐに寝た。たくさん夢を見た。道路を逆走する夢とか、道に迷う夢とか、いろいろ。

起きて、長男のプールの付き添いへ。
雨の中傘をさして歩きながら、出張中、編集者と話したことを思い出す。「主」と「従」の話。わたしはあらゆるシーンですぐに「従」になってしまうが、小説の中でのみ「主」になれる。逆に編集者は、ほとんどのシーンにおいて「主」だという。

「悩み事はある?」
と聞いたら、「悩むとパフォーマンスが落ちるから、決めちゃう」と編集者は言った。それを聞き、「決める」ことについて考えた。彼は「決める」から「主」でいられるのかもしれない。たとえば何を食べるか、いつ飲みに行くか、ある案件を断るか引き受けるか。自分で決めたことが多いほど、人生はある意味自分の思い通りになる。

わたしもいろいろ決めてみようか、と思った。
それでプールの待合室で、手帳にとるにたらない決めごとを書いてみた。夜10時に寝て、朝5時に起きよう。週に一度はプールへ。「今週読む本」も決めてしまってもいいかもしれない。

帰ってお昼寝。
夕方、子供たちとカフェへ。

小さなことでも自分で決めることができた、と思うと、なんだか胸を張れるような気分だ。決めたことはもう考えなくていいから、気持ちが楽にもなる。

2019/03/16(土)

小説のことをたくさん話した2日間だった。

書くためのパフォーマンスを上げるために、二週間に一度、平日に休みをとろうという話をする。「パフォーマンスの話ばかりしてごめんね」と編集者が言って「そんなことない」と答えた。正直なところガス欠気味だったので、考えてもらえて嬉しい。

小説の完成が近づいている。何万もの文字を積み重ねた二年間。書かせてもらえていることを感謝している、いつも、心から。

2019/03/15(金)

新しい小説のプロットを作る。
ずっと悩んでいた。自分が書きたいものは本当にこれなんだろうかと考えても、どうも違うような気がして、でもじゃあ何を書くのだろう、自分は、と、ずっと悩んでいたのだった。

日々、いろいろなことが起こる。近しいひとが亡くなったり、自分が誰かを傷つけたり、いいなと思う光景を見たり、何か張り紙を見たり。
普段の生活。その中に小説を見ることがあって、きょうはそれらを貫くひとつの軸が見えたような気がしたのだった。登場人物すべてを愛せるような。話しながら、なんども涙が出そうになった。自分はこれが書きたかったんだ、と素直に言えるような気持ちだった。

よかった。小説にほんの少し触れることができた気がする。わたしはこの作品を、とても大事に思うだろう。自分のために書くだろう。心から。

2019/03/14(木)

次男の発熱が収まったので、今日からようやく子守なしでの仕事再開。

久しぶりに昼過ぎに30分だけ泳いだ。プールというのは、いつも不思議と気づきがある。今日は、「怖がるとからだがこわばる」ということを知った。後ろから誰か追って泳いできていないか、隣を泳ぐ人の手がこちらに当たらないか、自分の足が誰かを蹴ってしまわないか。そんなことがちらりとでも頭によぎると、途端にからだがぎちっとこわばる。そして、急に疲れが来て、呼吸が苦しくなる。
この間読んだ本に、「許すとはゆるむこと」という言葉が載っていたのを思い出した。どういう文脈でそう書かれてあったのかは覚えていないけれど、言葉というのは深いところで繋がっているものだから、もしかしたら「怖がる」と「こわばる」も源流を同じにしているのかもしれない。

「ゆるむ」と「こわばる」が対比関係にあるとするなら、「許す」と「怖がる」も対比関係にあることになる。泳ぎながら、考える。
もしかしたら、許せないから怖いのかもしれない。許せないものは、自分にとって敵だから。だから、怖いという気持ちが起きるのかもしれない。
逆に、許せば怖くない。自分の友だと思えば怖くない。

泳ぎながら、そんなことを考えた。プールからあがったら忘れるかな、と思ったけれど、ちゃんと覚えていたのでよかった。

2019/03/13(水)

ゆうべ、次男の夜泣きがひどく、あまり眠れなかった。今日も微熱が続いているので休み。三日連続で子守しながらの仕事はきつい。1日中DVDを見せているのも気が引けるし、お互いにどうもストレスが溜まっているようだ。途中、泣いて泣いて止まらなくなったので、外に出てクリーニング店に服を取りに行った。自転車の前の席にちょこんと座った次男は、風を受けて気持ち良さそうだった。帰ってからまた、となりのトトロを観た。わたしはテープ起こしをした。

まあ、思い通りにはいかない。ぐっと力を込めようとしても空回りになることもあって、そういうときはどうしたって焦るしいらいらする。寝不足だし、部屋は荒れるし、仕事は進まない。いいことがないので、いいことをつくろうと、クリーニング店の帰りに好きなクッキー屋さんに行き、クッキーを買った。ここのクッキーはおいしい。帰ってから無言で3つ食べた。

寝不足になるとだめになるので、今日は早く寝よう。今日はよく寝てくれますように。明日は次男が元気になって保育園に行けたらいいな。昼には泳ぎに行きたいし、仕事もきりのいいところまで進んだらいい。

いろいろある。でもだいたい死にはしないことだ。美味しいもの食べて、お風呂入って、寝よう。あとのことはそれからだ。