文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2019/01/21(月)

『経営者の孤独』という連載の、新しい原稿を書いている。「どうやって書くんだろう」と声に出して言ってしまった。見えない。見えないから、手探りするしかない。そうやって手に入ったものが、今回の原稿だ。

書いていると、いろいろな声がする。連載が続いていくうちに、他者の声が内面化されてきたらしい。こう書いたらこう読まれてしまうだろうか、この言葉は響くだろうか。
その声が聴こえているうちは、ものすごく辛い。書くことが辛い。書くことが辛くなると、書いたものもあまりよくない。

だから、誰も読まないものを書く。誰にも読ませない、自分のためだけのもの。

そうすると、書ける。そうして書いたものはよいものだから、少なくともわたしにとってはよいものだから、人にも読んでもらえる。

さあがんばろう。手を動かせば、原稿は進む。

2019/01/19(土)

19のときに出会った、わたしに大きな影響を与えた人に、33になってからインタビューした。とても緊張した。わたしはあまり変わってない。

取材後、洋梨のタルトを食べる。編集者はチーズケーキを食べていた。

天才について。狂気について。知性について。いろいろなことについて話す。

今日は、ゆっくり眠りたい。

2019/01/17(木)

20歳のころの自分が書いた記事を読み返した。ところどころ表現の仕方が鼻につくなとか、拙い言い回しだなとか、思ったけれど、頑張って書いている文章だった。このころから、自分の目で見て自分が感じたことを書こうというのを思っていたみたいだ。出だしが大事だとか、相手の人間性を描きたいとかと。あんまり変わってないなぁと思う。恥ずかしかったけれど、昔の自分は昔の自分なりにポリシーをもって頑張っていたのだと知り、背中を押された気分だった。

2019/01/16(水)

1日家で執筆。ご飯中も資料を読みながら。子供の頃もよくご飯食べながら本を読んでた。たいていひとりで食べていて、叱る人がいなかったからだ。いまはわたしのほうが子供を叱る立場になっている。やれ肘をつくな、やれ茶碗を持て、やれテレビは消せ。本を読みながら食べるなど言語道断である。でもひとりになるとやってしまう。ママはずるいと、子供たちは言うだろうか。

狭い長屋の一室で、雨漏りがしていて、天井も床もところどころ腐っていて、台所の勝手口を開けたらドブが流れていて、そこをねずみがよく走っていた。

そんな家で育った女の子が、どきどきわたしの心のなかから目を借りて、わたしの子供たちをのぞいている。

「いいな、まともな家に住んでて」

ほんとだね、とわたしは言う。

そういうとき、自分の子供を羨ましがっている自分に気づく。

自分の子供が、自分とはちがう世界の人間に見える。

その女の子は、行儀悪くご飯を食べてるときには出てこない。

2019/01/15(火)

VOUでキャップを買った。

「髪を切りすぎた」と編集者に電話で話したら、「キャップをかぶったらいい」と言われたからである。彼いわく、キャップをかぶった女の子はかぶらない女の子の8倍モテるのだという。知らなかった。わたしはキャップを買ったことがない。

VOUには紺や黒、緑やグレーなどの帽子があった。なかでも女の子に圧倒的に人気なのは、ベージュなのだという。確かにかわいい。でももう一個、深い赤色のキャップもかわいいなと思い、店員の宇田さんに「どっちが似合いますか」と尋ねてみた。

宇田さんは「どっちも似合いますね」と言ってくれたが、「赤のほうが女性らしいかな」とつぶやいたのを聞き逃さなかった。

わたしは迷ったら、店員さんの意見に従うようにしている。だって、たくさんここで試着する人を見てきたのだから、それがわたしに似合うかどうかはわたしよりわかってくれるはずだ。

赤色のキャップをかぶり、学童へ息子を迎えに行く。

息子はあっと驚いて、「かわいい!」と開口一番に言い、それから「ヒップホップって感じで、いいな」と言った。

編集者のアドバイスは正しかったのかもしれない。