文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2019/05/22(水)

文章というのは書けば書くほど書けるもの。確かにそうではあるけれど、ある時点からそうではなくなる。文章を書くには水分や油分が必要なので、それが追いつかなくなると、書けなくなる。書いている自分がかたく乾いてしまうと、もうだめだ。書けなくなるし、万が一書けたとしても、読み返したくなるようなものはなかなか生まれない。読み返したくなるような文章というのは、新鮮だったりみずみずしかったりしっとりしていたりする。だからやっぱり、水分や油分。

水分や油分は、眠ったり歌ったりときめいたりぼうっとしたりすると生まれる。なので、それをする必要がある。だから、それをしている時間もまた、わたしにとっては書いている時間なのだ。

2019/05/21(火)

最近また、短歌を詠んでいる。できるだけ1日にひとつ詠もうと思っている。短歌を詠むには心が柔らかでいないといけない。短歌は歌だからかな。だから詠めるということは心が柔らかであるということなのだろうか。余計な心配はしないようにしたいし、不安がるのももうやめたい。そういうのは畜生道にも劣ると昨日取材で言われて、なんだかひどく感銘を受けたのだった。

「5月は美しい季節だね」と言ったら「もうすぐ死ぬんじゃない?」と言われた。
心かたく生きるよりも、心柔らかに死ぬほうがいいと、わたしは思う。

2019/05/20(月)

夕方、学生時代からの友達から電話がかかってきて、悩み相談に乗ってほしいと言われる。旦那さんと、家の購入についてもめてしまってけんかをしたそうだ。どうも、旦那さんは急いで買おうとしているようで、友達は慎重にいきたいらしい。それがこじれてしまって、友達は旦那さんの言うことすべてにNGを出す現状となっており、旦那さんはそれが気に入らないという。
わたしからのアドバイスは以下の通り。

・譲れないことをちゃんと言葉にして、それは譲らない。
・それ以外はだいたい流れに委ねる。
・どうなるかわからないことは気にしない。かわりに、自分の直感は大事にする。

言いながら、家の購入以外にあてはまることだなと思った。
友達は、「気持ちが楽になった」と言っていた。役に立てたのならよかった、と思う。

友達は、「京都はいいな、帰りたい」と言っていた。
「京都はいいよ」とわたしは答える。だから帰ってきたんだ。
それがわたしの譲れないことのうちのひとつだったから。

2019/05/19(日)

自分と世界をどう捉えるかで、1日の気分がずいぶん変わってくる。

ずっと以前に、人の性格は「ソリッド的」か「リキッド的」かにわかれる、という話をしたことがあるが、そのうち、「人はソリッド的でありリキッド的なのかもしれない」という話になった。
つまり、そのときどきで、自分という核を溶かしたり固めたりしている。外的要因でそうなることもあるし、内的要因でそうなることもある。

最近そのことを思い出し、わたしは「ソリッド的」に寄りすぎていて、だから傷ついたり磨耗することが多かったのかもしれないなという仮説を立てた。世界の中に「固形」としての自分をつくりあげると、良い意味でも悪い意味でも摩擦が多くなる。意識的に「液体」としての自分をつくることができるのか?というのが、最近の考え事のテーマだった。

まわりに溶ける感じをイメージすると、なんとなく、気持ちが楽になる。世界と対峙するのではなく、同一化する感じ。世界は自分の延長線上にあるので、議論したり批評したりする場ではない。それよりももっと、「暑いねえ」「ほんとだねえ」「もう夏だねえ」「早いねえ」と、まるで共鳴する蛙みたいに、ぶつぶつとつぶやきあう感じ。
それはそれですてきだなと思う。

武士のようにひたすらに剣を交わし合うみたいなコミュニケーションもいいけれど、蛙のように声を混ぜ合うみたいなコミュニケーションもいい。その両方ができるようになりたい。

2019/05/18(土)

ハミングバードブックシェルフへ開店祝いに。四条烏丸にできた本棚屋さんだ。ここで本箱を一個買った。小さな本箱だけど、ふつうの厚さの単行本が10冊くらい入る。テーブルの上に置くと、テーブルの上に突如として本棚が現れた。うれしい。
その後、磔磔へ。the coopeezのライブを観に行く。友達のさとしくんのバンド。すごくかっこよかった。15年分の重みと厚みがある。音楽と文学の大きく違うことのひとつは、再現性の有無だと思う。ずっとステージに立ち続けて、同じ曲を演奏し続けるってどういう気持ちなんだろう。この日のライブはすごく熱いものだったけど、いつもこの熱量でできるんだろうか。さとしくんに今度聞いてみよう。友達がかっこいいものづくりをしていると、単純に励まされる。

2019/05/16(木)

引き続き気分は低迷している。メンタルヘルスについて書かれた記事をいくつか読み、こういうのばかり読んで時間が過ぎるとさらに凹むことを知っているので早々に切り上げ、家事をして、メールを作り、メールを返し、本の発送をして、それから次の取材の質問内容をつくった。不安だ。なにもかもが不安だ。お昼ごはんをつくる気になれず、近所のパン屋まで歩いていく。この近所では三番目に好きなパン屋だ。三番目なので顔も覚えられておらず、いまの気分にちょうどよい。サンドイッチとレーズンパンと牛乳を買い、道を歩いて帰る。土建屋さんたちがぞろぞろとお昼に出ようとしている。みんな働いていて偉いなぁと思った。わたしも働いているはずなのだけど、なんだか無職な気分だった。なぜわたしは、こんなに体が重たく、ときどきすぐにでも倒れそうなんだろう。土建屋さんなんて無理だ。高いところから落ちてしまう。

帰ってから少し眠った。編集者に「夜眠れないなら昼眠ってみたらどうか」と言われたからだ。確かにと思い眠ってみたら、やはりたくさん夢を見た。いやな夢だった。若い女の子とけんかする夢。そのあと講演をしなくてはならず、醜いわたしが何を話せるだろうと自己嫌悪に陥る夢だった。

目が覚めてからコーヒーを淹れ、原稿を書く。どんなに不安でも、わたしには原稿を書くしかできないのだから、それをやろう。決して若い女の子とけんかすべきではない。強くなれないならせめて優しくありたい。