文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2018/06/15(金)

美しいとはどういう状態のことなのだろう。

ふと頭に浮かんだのが、小公女セーラが屋根裏部屋で、辛さのあまり人形のエミリーを投げつけて、はっと我に返り、抱え上げるところだった。彼女は「ひどいことをしてしまってごめんなさい、エミリー」と謝り、涙を流す。
あるいは、若草物語ジョーが自慢の豊かな髪の毛を切り、家族のためにそれを売り、おかっぱ頭で家に帰ってくるところ。ジョーは口を尖らせはにかみながら言う。「さっぱりしていいわ」

このふたつは、わたしが幼いころ繰り返し読んだ作品であり、繰り返し読んだ場面だ。とても美しいシーンだと思う。

そしてわたしはこのふたつのシーンから鑑みて
「美しいとは、孤独を引き受けた状態であること」
という結論を出した。

ふたりの少女はひとりで世界と対峙し、とるべき行動をとっている。
誰に見られているから、誰に求められているから、ではない。
彼女たちは行動指針を、自らが善しとしたところに見出しそれを選びとる。

セーラの涙、ジョーの髪。
それらはわたしにとって、孤独を引き受けた少女の象徴のように見える。
そしてそれらは本当に美しい。

「小説家は幸せになれるのか問題」
編集者の声が頭に響く。

京都では雨が降っている。