文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2018/07/13(金)

連載『経営者の孤独』が始まった。

bamp.is

 

媒体に載った自分の文章をもう一度読む。
うん、大事なことが書かれている。
改めてそう思い、じゃあ行っておいでね、という気持ちで、世に送り出す。

鳥みたいな。
みんなの心に少しの時間留まって、何か温かみとか、爪痕とか、そういうものを残せたらいい。


そして、第二回目の記事にとりかかる。
朝からテープ起こし。
取材の緊張を追体験するので、またどきどきしながら話を聞く。

テープ起こしは考えない作業。手を動かすことでとにかくインプットする。
ああおもしろいお話だなぁと思う。新鮮で味の濃い素材が揃っている。それをどのように調理するかがこちらの腕にかかっているわけだけれど、わたしは調理が苦手だということが、ここでも言えるかもしれないなと思った。

こんなふうにしたい、というイメージがない。ただ、素材の味を最大限に引き出したい。だから茹でたりも炒めたりもしない。自分がまさにここだと思うところをそのまま出す感じのように思う。

テープ起こしを終え、年金事務所へ行く。わたしは手続きというものが異常に苦手なので、受付に行っても何を言えばいいのか、そして何を言われているのかさっぱりわからない。窓口の方の言葉をロボットのように繰り返し、持参したメモ帳に書き付け、帰る。
スーパーマーケットで食パンを買った。食パンを買って手に持ったら、その確かさ、シンプルさに、ほっとした。

わたしの手元から、一羽また鳥が飛び立っていってしまった。
その後ろ姿を見送りつつ、小屋に入ってまた鳥を育てる。
一羽一羽、まったく違う鳥たちを。

2018/07/12(木)

「経営者の孤独」という連載の第一回目が明日公開されるとのこと。
今日は、その二回目となる方のテープ起こしをしていた。テープ起こしには非常に時間がかかるが、この作業を外注した場合、なんとなく原稿の強度が落ちるような気がして手が抜けない。もう一度取材のライブ感を体験する作業でもある。そして、理解を深める作業。ああ、言葉が強いなあ、と思う。そういう言葉に出会うと嬉しくなってしまう。それと同時に寝込むわけだけど。そうやって、強い言葉をわたしのなかに取り込み、また出して、読まれていく。自分は血管のようだと思う。だから、柔軟で、詰まりのない、そんな血管でありたい。破れてしまわないように。きちんと、押し出せるように。

だけど今日は非常に体調が悪かった。体調とメンタルは繋がっているので、メンタルもよくなかった。ふと、山本直樹の「青空」というタイトルの短編を読みたくなる。どの本に入っていただろうかと、本棚を探る。わたしはあの短編を読むと、非常に寂しくなると同時に、ああ、わたしひとりではないと思う。ドラッグの話はあまり好きではないが、この話は別だ。山本直樹の漫画に出てくる女の子たちは、みな寂しそうで、凛としていて、諦めていて、しぶとくて、美しいなと思う。短編は見つけることができた。山本直樹の作品で、「青空」の彼女がいちばん美しいように思う。

昼に何も食べる気にならず、とは言え食べねば弱ってしまうので、お味噌汁をごはんにかけて食べた。それからバナナ。

「バンゴハン、作らなくちゃ」と「青空」の彼女はソファに座ったまま言うのだ。

今日でいったん区切りを思っていたのだけど、思うように作業進まず。

今日は小学校の個人面談があった。
もうすぐ夏休みだという。朝顔を持って帰る。

2018/07/11(水)

来月ラジオに出演することになったので、その打ち合わせへ自転車で行く。非常に暑い。着いたら自販機で好きな物を選んでいいと言われ、いろはすを買っていただいた。なるべく水を飲むようにしている。

打ち合わせの相手の方が、わたしの書いたものをよく読んでくださっていて、嬉しかった。番組の構成を考えるために、前もっていろいろと質問をされた。インタビューみたいだった。インタビューはするばかりで、されるのには全然慣れていない。ただ、なるべく、自分の本当に思っていることを話すようにした。下手でもいいから丁寧に。そうでないと、自分の思っているものとはまったく別物の答えになってしまう。そうして伝わったときは、嬉しい。それに、自分もインタビューするときには、ぜひそうしてもらいたい。

きのう更新した子育てのブログをシェアした。すると、ずっと会っていない女性から連絡がありびっくりした。彼女はわたしのブログを読み、自身を重ねたらしい。それから、知り合いの男性からもメッセージが来た。彼も自らのことを思ったと書いていた。ふたりとも、お子さんに対する負の気持ちをわたしに伝えてくれた。その気持ちをもっていてもよい、と、わたしは思っている。この世にもってはいけない感情はない。大事な人をむやみに傷つけなければ、多分それでいい。そう思っていても、やっぱり、自分で書いていて自分の文章に傷つくのだった。そんな文章が、誰かの傷に染み込んだなら、それはそれで、必要な文章だったのではないかと思う。

今日打ち合わせた方は「土門さんの子育てのブログは、楽しみ半分、怖さ半分でいつも読んでいます」と言っていた。
「自分はどうなんだろうと、いつも、突きつけられるようで」


2018/07/10(火)

とても暑い日。
進々堂で編集者と話す。文学と文芸の話。写真の話。新しい小説の話。新しい小説のイメージについて。話しているうちに、ああ書きたいなと思った。書く前から、こんなにも愛おしい。長編になるだろう。きっと静かな。プリンを食べ、コーヒーを二杯飲む。

暑くて暑くて、またやせた。

子育てについての文章を書いたら、その文章に自分がやられてしまって弱った。

2018/07/09(月)

放火されるのを待つ夢を見た。逃げるほうがいいか、ここで見張っていたほうがいいか、悩みながらうろうろと家の中を歩き回っていた。
目が覚めて、ほっとする。最近悪夢をよく見る。悪夢の良いところは、目が覚めたときに、現実がずいぶん良く見えるところだと思う。


編集者と料理の話をする。
わたしは料理が苦手だ。できないことはないけれど、上手だとは一度も思ったことがない。
おそらく、完成のイメージができないのだ。料理だけじゃない。裁縫も、工作も、大工仕事も、科学研究も、イベントも、ありとあらゆる「つくること」が得意ではない。完成のイメージができないから、常に、楽なほう、コストがかからないほうへいこうとする。そして、しようもないものができあがる。そんなだから、自分がつくったものはクオリティが低い、と信じ切っているところがある。良いものを見ても、良いものを食べても、それが自分にも作れるとは、思えない。

そんななかで、書くことだけは、別だった。完成イメージなんてないけれど、自分にとって、自分が書くこと、そしてそれを読むことが必要だった。どうしても。
だから続いている。それだけなのだと思う。


小説の赤入れを一通り終える。
途中で、きのう買ったタルトとクロッカンを食べた。甘いものがほしくてたまらない。きっと、頭を使っている、ということなのだろうが、頭をちゃんと使えているのか、不安になる。


赤を入れた小説の原本を取りに、編集者がイーハンくんと一緒にうちに少し寄るという。長男は「やなしたさんが来たらきょうかしょを見せないと」と言い、何度も窓の外を確認していた。編集者が来ると、次男がこわがって火がついたように泣き出した。彼の顔を見ないように、両手で目を覆いながら泣く。こんなにこわがる次男をわたしは初めて見た。編集者と話している間、ずっと次男はわたしの胸にしがみつき、顔を埋めていた。

編集者が、赤入れを確認し、うなずき、封筒に入れて持っていった。
ああ、やっと、ここまで来たなと思う。


2018/07/08(日)

ゆうべから、呉市に住んでいる父と母に何度かけても電話が通じない。
LINE通話もなぜか繋がらなかった。

母はわたしが幼い頃から、れんが通りという商店街でスナックを営んでいる。
れんが通りは今回の大雨で浸水被害に遭ったらしい。
母の店も水浸しなのだと聞いた。それ以来、電話が繋がらなくなった。

昼頃、ようやく母と電話が繋がる。ソフトバンクの通信回路が止まっていたらしい。今は家にいる、と言うので、ゆっくり過ごしてね、と言ったら、
「いや、今日も店開けるよ。もうおとといからやりよる」
と返された。お客さんも五人ほど来たらしい。とても小さな店なので、五人来ればいいほうだ。
「こういうときこそ飲みたくなるもんかね」と聞いたら「知らんわいね」と返された。
「開けんことにゃどうもこうもないんじゃけえ」
母にはそういうところがある。他人の気持ちがどうのとかいうよりも、ただ自分が生きていくためにできることをやる、というような。わたしは母のそういうところが好きだ。シンプルで、潔くて。
だからこそ、彼女の不安は切実に響く。死ぬか生きるかだから。わたしは彼女の「これからどうなるんじゃろうね」という言葉を何度聞いただろう。そのたびに、お腹がきゅっとつねられるようだった。本当にそう思っているのがわかるからだ。わたしはお金が欲しかった。なんでも叶えてくれる魔法使いがいたら、決してなくならないお金をください、と言おうと決めていた。母は、お金のことで悩んでいたから。

「大丈夫かね」と聞かれ「大丈夫よね」と答える。うそだった。大丈夫かどうかわたしにわかるはずがない。それでもわたしが「大丈夫よね」と言うと、彼女は安心するのだ。「蘭がそう言うならそんな気がする」と言って。

「不安じゃが、やるしかないけえね」
母が言ったのだったが、わたしが言ったのだったか。少しだけ、わからなくなった。