文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2018/07/07(土)

山の上ホテルという名前は、大学時代に図書館で覚えた。
研究のために参考文献としてひく文芸誌の目次のところに、そのホテルの広告がいつも載っていた。やわらかな手書き文字。自然に、わたしはそのホテルに憧れをもつようになった。だけど、泊まることはきっと一生ないだろうと思っていた。なんとなく。憧れを現実から排除していく癖は、今よりずっと強かった。

 

ふと、昨日編集者が、山の上ホテルにわたしの部屋をとった、と言った。車のなかで。わたしは本当に驚いた。こんなに突然、憧れが現実になるのだな、と思った。深夜にもかかわらずドアマンは真っ白で清潔な制服を着て、髪の毛をポマードで整えていた。クラシカルなエレベータに乗り、部屋に入る。机の上には薔薇の一輪挿しが置かれており、ベッドの枕元には氷水の入ったポットとぴかぴかのグラスが用意されていた。わたしはそこで、久しぶりに朝までぐっすり眠った。

 

午前中、編集者と落ち合い、デザイナーの中屋さんに取材をしに行く。
中屋さんと出会ったのは今年のあたまだ。なんて、鮮やかなひとなんだろう、というのが第一印象だった。きりっと寒い冬みたいだなと。出会ったのも冬だったし、今日聞いたら中屋さんの誕生日も冬だった。うちの息子と1日違いだった。

 

その後、中目黒へカレーのイベントへ出店しにいく。カレーのプレイヤー(カレーを能動的に作る人、という意味だと思う)を増やしたい、という願いのもと企画されたそのイベントで、わたしたち文鳥社は「スリランカ」と「韓国」というテーマでカレーを作ることになった。
編集者は、僕がカレーをつくるから、わたしにこのカレーに寄せる短編小説を書いてほしいと言った。小説とカレーがリンクするという内容だ。
「小説を読んでからカレーを食べる」
という、独特なルールを設定してわたしたちは小説付カレーを販売した。
カレーを待ちながら小説を読むひとびと。どきどきしてしまった。

本のデザインは太郎くんという人で、太郎くんは挿絵まで描いてくれた。
登場人物の子たちがとてもいい表情をしていて嬉しくなった。
太郎くんは「小説がいいので、ほくほくしながら作れました」と言ってくれた。

思えば、編集者の作った料理を食べたのは初めてだったかもしれない。
彼は料理のセンスがあると思う。
ココナツミルク、キムチ、ごま油、ヨーグルト、セロリなど、癖の強い味を合わせるのがとてもうまい。
「歯ごたえがあるといいなと思ってセロリは茹でずにおいた」とか「彩が大事だと思ってブロッコリを乗せた」とか、イメージが先にあって料理を作るようだった。
わたしは消去法で料理するほうなので、そういう、加点方式(というのが正しいのだろうか)の料理のしかたに憧れる。セロリなんて、買ったこともない。かっこいいなと思う。

2018/07/06(金)

京都では大雨。JRが止まり、新幹線も1時間近く遅延していた。小学校は休校で、わたしは東京出張。様々なやりとりをし、なんとかひかりに乗る。のぞみはぱんぱんだった。

新幹線のなかで、小説の赤入れの続き。これを書いたのが自分なのかと思うと不思議な気持ち。自分から出たはずの言葉が、新しく意味を持ち有機的にうごめいている感じがする。この小説の良し悪しはやはりわたしにはわからない。頭に風景が浮かぶかどうか、その判断で進んでいく。

夕方近く、取材をした。「孤独」についてうかがう。何度か彼が指をひっかいた。わたしはそれを、自分と同じ癖だなと思った。

編集者と車で東京を移動する。東京タワーの真下で降りて見上げた。
「無駄がなくて美しいよね」と編集者が言った。
東京で彼は、のびのびと泳ぐように運転する。


今日はビールを飲みつつ、自分の嫌いなものについてずいぶん話して怒ってしまった。あらかた書き終えて、気が大きくなっているんだろう。みっともないと思う。

編集者は烏龍茶を飲みながら、楽しそうにわたしを見ていた。
「君が啖呵を切るのを見るのは好きだなあ」
と言う。


それでも、書いたものがすべてだ。


2018/07/05(木)

目がさめると3時半で、開け放していた窓から大雨が部屋の中に振り込んでいた。
前日、ベッドで文章を書いていて、MacBookAirを床に置いた記憶があったので、さっと血の気が引く。見たら眠る前にちゃんと棚の上に置き直したらしい。本当にほっとした。今後絶対に床に置くことはしないでおこう。

考えてみれば、このMacがこれまででいちばん文章を書いたパソコンだ。
Macにもしも心があるとしたら、わたしはどのように映っているのだろう。
おそらくとても醜いだろうなあと思う。
多分この世の誰よりも、どの物よりも、このMacにわたしは醜い顔を見せている。
たまには、良い顔を見せるかもしれないけれど。

小説をプリントアウトしようとしたら、プリンタが壊れた。
最初インクがなくなったのだと思い、歩いて近所のホームセンターに買いに行ったのだが、取り替えてもうんともすんとも言わない。結局、近所のコンビニエンスストアネットプリントなるものを利用し出力した。

初めて新人賞に応募した小説は、職場近くの漫画喫茶で出力したなと思い出す。
あれは6月30日だった。消印有効の、締め切りの日だったのだ。諦めようとしたが、諦めてはだめなような気がして、夜間までやっている郵便局に持ち込んだ。消印が押されることを確認し、手を合わせて拝んだ。
あの頃は、神社でよく願い事をしていた。それはもう熱心に。
今はほとんどしない。日頃のお礼をするだけだ。そして、「これからもがんばります」と言うだけ。

小説を読み返し、赤字を入れていく。
もう何度も読んだ小説なので、覚えてしまっている。だから、書き換えたばかりの箇所は新鮮な気持ちで読む。
良いのか悪いのか、自分ではわからない。ただ、こういう人がいて、こういう時間を過ごしたのだと、思えたならそれで良いような気がする。
ちくちくと、赤字を入れる。気になるところは鉛筆で注意を入れた。

大雨が降っている。
鴨川にたくさんの水や泥が集まって、どうどうと音をたてていた。


きょうは3時半に起きて以降眠れなくなってしまった。
眠れないとき、自分のなかだけで時間がずいぶん早くすぎているような気がする。


2018/07/04(水)

昨日の続きを書く。

原稿を出したあと、編集者から電話があった。彼は
「本当に、すばらしい」
と言った。

「これを書くのは大変だったでしょう?」
そう言われ、正直に「大変だった」と言った。
「そうだと思うよ。本当に、お疲れ様でした」

その言葉に、どれだけ救われたか。
大変だったのだ。こんなこと言うのはまったく格好悪いのだけど、本当に大変だった。

手の届かないところに手を伸ばし、見たくないものを無理やり見た。
まったく書けなくなったときには、書くことがないのではなく、書きたくないことがあるのだとわかった。
わたしは、思い切って手を動かした。おそらく、見たくないものが目の前に現れる。それでも、書いた。顔は歪んでいたと思う。書いてみて、「ああ、これが書きたくなかったことか」とわかった。そして、それを書かないと前に進めなかったことも、わかった。


編集者は、電話を切るときに「ありがとう」と言った。
わたしはとても驚いた。お礼を言われるだんて、思ってもみなかったから、動揺した。
「こちらこそ、ありがとう」
それで、力強く、そう返した。

2018/07/03(火)

「ひとり」を感じる文章が好きだなと思う。

たいてい文章はひとりで書いているものだと思うが、ひとりじゃない、にぎやかな文章というののほうが多い気がする。不特定多数の他者が内面化された文章というのだろうか。

ときおり、ああ、この人はひとりぼっちで書いている、という文章に出会う。
わたしはそういう文章が本当に好きで、よくぞ書いてくれた、と思う。
そういう文章を読むと、ひとりでいいのだな、と思う。あるいは、ひとりとはいいものだな、と。
清らかで、静かで、私的で、ひそやかな。そして、緊張感のある。
そういう文章に出会えなかったら、わたしはとっくにどうにかなっていたように思う。


小説の五章の、第二稿を書き終わる。
これでいいのかどうか、わからない。でも、今のところは、こうとしか書けなかった。とにかく、今持っているものは、出し尽くしたように思う。

鏡を見ると、「自分はこんな顔だったか」と思った。自分が自分ではないように見える。

2018/07/02(月)

蝉が鳴いている。
自転車に乗っていたらぱらぱらと青空から水が降ってきて、あっという間に大雨になった。夏だ。

昼は、コーヒーと、パンの切れ端と、きのうの残りの鶏肉を食べた。ひどい昼食だな、と思う。でも、食べ過ぎると頭が働くなるので、食後の感じはこれくらいがいいなと思った。

欲しかった本が届き、昼ごはんのあとに少し読んだ。
随筆集なのだけど、なかに日記もあった。小説家の彼女は、ピオーネばかり食べていた。果物を愛している人なのだ。それを読んで、冷蔵庫のさくらんぼを洗って食べた。

午後、ずっと小説を書いていた。何度か涙が出た。明日には編集者に送れそうだ。

7月は、取材が多くなる。折れないよう、しなやかでありたい。
漢方薬屋さんで、いつも飲んでいる漢方薬を買った。


2018/07/01(日)

子供たちと三人で、茅の輪くぐりをしに行く。1日遅れなので、ほとんど人がいなかった。人型の紙に名前と年齢を書き、息を吹きかける。次男に息を吹きかけるように言うと、ぐしゃっと手で握ろうとした。

とても暑い。くらくらする。容赦のない夏がやってきた。
逃げるように家に帰った。ごはんをつくる元気もなく、スーパーマーケットでお寿司と海苔巻きとアイスクリームを買って帰った。

夜、子育てのブログを半年ぶりに更新する。
子供たちのことを書くことを、ずっとしていなかった。これをいつか彼らは読むんだろうか。そのときどう思うだろう。

きのう、ママ友さんに
「蘭ちゃんは子育てに向いていると思う?」
と聞かれた。わたしは「全然思わないです」と即答した。
彼女は「それでいいよ」と言った。
「他の人に任せちゃったらいいんだよ」