文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2019/05/08(水)

何かを書く気が起きない。疲れているのかな。それでも書いていた。書くと、書ける。でもそれが、いい文章なのかどうかはよくわからない。まだ読み返していないから。書く気が起きないときはテープ起こしをする。それはそれで辛いが、自分の中から言葉を探し出すよりも、ひとから出た言葉をうつしとるほうが楽なときはある。このように、上がったり下がったりしながらやっていくもんなんだろう、人生。最近ずっと「この線よりは下にいかない」という線をまたぐことなんてなかったのに、また、またいでしまった。でも、そこで一喜一憂しないすべは身につけつつある。気分だ、すべては。自分の気分。家事をして、仕事をして、やり過ごすしかない。

2019/05/07(火)

連休が終わって、ひとりの時間が久しぶりにとれた。からだが軽いのは、子供が身近にいないからか。子供がいると、どうしても「危険なことをしていないか」「寒そうな格好をしていないか」などと気になるので、その分脳みそのリソースが使われるのかもしれない。ひとりでいると、まずは自分のことだけ考えていればいいから、楽だ。

本当によく乗り切ったと思う。気分もあまり不安定にならなかった。多分、毎日早寝を徹底していたからだろう。そして、不安を感じたらとにかく手を動かした。なんでもいい。あとから「やってよかった」と思うことなら。

そして、早いうちにベッドに入る。1日のうちでもっとも好きなのは、眠る前。ベッドに入って羽毛ぶとんにぐるっと包まれながら本を読むのがいちばん好きな時間だ。ようやくここまで来れた、といつも思う。

2019/05/06(月・祝)

次男の子守をしながら、『経営者の孤独』の書籍版のまえがきを書く。ふたつ書いたのだけど、編集者が両方を一緒にした3つめの案を出してくれた。それなので、自分の書きたいことをすべて書ききったまえがきとなった。ありがたい。書いて、読んでもらうものだなと思う。

夜、映画『オーシャンズ8』を観た。映画を観るのは久しぶり。小気味好くて気持ちいい、セクシーでかっこいい女性が出る映画が観たかったで、この映画を観ることができてよかった。

「どうしてそんなこと(犯罪)するの?」と聞かれた主人公が、「特技だから」と答えるシーンがとてもよかった。特技があるって素晴らしい。そしてそれを糧に生きている女性はやっぱり素敵だな。こういう映画を観ると、できるのにしたことがないことってあるな、と思う。ハイヒールを履くとか、カクテルを作るとか、スケートボードやバイクに乗るとか、なんだかいろいろ。

こうやって外から元気をもらうことって必要だ。つまり「物語」が必要だということ。

さあ明日からも頑張ろう。

2019/05/05(日)

『違国日記』を読んだ。主人公の槙生と同じような言動をわたしもよくとっているので、読みながら驚いてしまった。「ディズニーやスキーやバーゲンに絶対来なかったよね」と言われたり(わたしもディズニーやスキーやバーゲンには行かなかった。待ち時間があったり集団行動をするのが苦手なのだと思う)、「宵っ張りだね」と言って「宵っ張りって何?」と聞かれたり、仕事に夢中になると平気で「今は黙って」と言ってしまったり、高校時代よく寝坊以外で遅刻をしていたり、人見知りだったり、人といると一切仕事ができなくなったり、事務作業が苦手だったり、矢継ぎ早に質問されると恐怖を感じたり。

「普通はこうでしょ」とか「変わってるよね」とか言われることが多かった。
おもしろがってくれるのならいいけれど、そうじゃないときは辛かったように思う。「ごめん」と謝るのもおかしいし、「そうか」と言うしかなかった。怒るのも悲しむのも違うような気がした。ただ少し残念だな、と思った。こいつは違う、と、切り捨てられたような感じがして。そしてそれは、お互い様なのだ。

わたしは話をするのが好き。お互いの「普通」について、自国の文化を語り合うように、話せたらいいなって思う。いつかそっちに遊びに行ってみたいな、なんて言い合えたら、もうそれだけで幸福だ。

2019/05/04(土)

衣替えをし、いらない服を捨て、いる服をクリーニングへ持っていき、次男が昼寝のあいだにテープ起こしをし、起きたら自分の書棚の整理、夕方にはプールへ行って泳いできた。本当は仕事がしたいのだけど、どうも家族がいると気になって仕事ができないので、平日から思い切り仕事ができるようにプライベートのあれこれを整えている。

服と本の整理ができると、自分が何を持っていて何を持っていないのかが把握できて、なんだかすごくいい。服と本にも、好きだからあるものと、いるからあるものがあって、両者の違いは「捨てたくない」と「捨てられない」だと思った。「捨てられない」は自由を奪われている感じがするから、それ自体がストレスで、もしかしたらいつか「いるからあるもの」を少しずつ憎んでしまうんじゃないかというような気がする。そういうものは、多少困ってもいいから、捨てた方がいいのかもしれない。とりあえず、様々な家具の取り扱い説明書はすべて捨ててみた。捨ててみると、なんであんなに取っておかねばと思い込んでいたんだろうと不思議な気持ちになる。

人間の感情とはそらおそろしいものだ。