文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

小説を書いていることについて

昨年の1月から小説を書いている。

三日前に、その初稿を書き上げた。だから、初稿をあげるまでに1年と1ヶ月くらいかかったことになる。

わたしはこれまでに三つの小説を書いているのだけど、それぞれ原稿用紙100枚程度で、それは新人賞に応募するのに必要な分量だった。今回書いたのは、多分原稿用紙300枚くらい。こんなに長いのは初めて書いた。

書きながらよく「自分は何を書いているのかな」と思う。

わたしはライターとして記事を書くこともあるのだけど、ライティングには素材がある。残すべきインタビュイーの言葉、書き留めるべきイベント、広めるべき作品。それらときちんと向き合い、言葉を探し出す作業。

でも小説はまるで違う。素材が自分の中にあるのだけど、その素材も、それが野菜なのか魚なのか、いやそもそも食べ物なのか? よくわからない。よくわからないものだけど、確かにそこにあるし、これを使って書きたいな、と思う。書かないとわからないな、と思う。その素材を用いて立ち上げたい。そんなものの存在を強く感じる。輪郭のない核みたいなもの。

目の前にあらわれた大量の文字の羅列を見て「よくこんなに書くことがあるなあ」と思う。これはどこからどのようにして生まれてきたんだろう? まぎれもなく自分が苦しみながら書いているのに、自分ではないような。


わたしには編集者がついてくれている。わたしにとって初めての編集者だ。
彼はわたしが一文字目を書く前から、300枚の初稿があがるまで、根気強くそばにいてくれた。そして増えていく文字を繰り返し読み込んできてくれた。これからこの小説がきちんと本になるまで、そしてそれが誰かのもとへ届くまで、ずっと伴走してくれるつもりなんだと思う。そういう存在は、本当に本当にありがたい。

彼は最初、小説を書き始めるにあたり、わたしにこう質問した。

「土門さんのモチベーションとして、
自己顕示と承認欲求のどちらで作品を書いていますか?
どちらでもないっていう答えもありです。
答えたくない・わからない、もありですよ」
(この頃はまだ敬語を使っていた。途中で敬語を使うのをやめようという話をされる。正直に意見を言い合えるようにと。最初は無理やり敬語をやめた)

そんなメッセージが来たのはこれからはじめの打ち合わせをしようというときだった。
すぐに答えなくてもいい、と言うので、わたしは少し思案して、
「どちらもまったくないと言えば嘘になりますが」
と前置きをして答えた。

「でも、どちらでもないと思います。
自己顕示と承認欲求だけでは、こんなしんどいことできないなと思います。
でもじゃあ、何で書いてるのだろうというのもよく考えます。
わたしは常に自分が異物だという認識があって、それで悩んできたのですが、でもそんなわたしの感情も、上流の方へ行けば、みんなと繋がってるのかもしれない。それが普遍性と呼ばれるものなのかもしれませんが、それを確かめたくて、自分で水源を見つけてみたくて書いてるのかもしれない。
と、たまに思います」

編集者はこのように答えた。
「あなたは、とても作家だ」

わたしは「作家」と呼ばれるのは初めてだったので、驚いた。
「一緒にいい作品をつくりましょう。だって、僕には書けないもの」


書き始めた1月、突然編集者がビール断ちをした。初稿があがるまで一滴も飲まないと言う。願掛けみたいなものだと。
「僕には君が書くのをただ待つことしかできない。だから待っている間、せめて君が苦しんでいることをちゃんと思い出せるように、ビールをやめる。ビールを我慢するたびに、土門さんも苦しんでいるんだからって、思い出せるように」

それを聞いてわたしは驚き「そんなことしなくていい」ともちろん言った。でも聞き入れてくれなかった。それなので、わたしも大好きなビールを断つことにした。「そんなことしなくていい」と編集者は言ったけれど、飲めるわけがない。それでふたり揃ってのビール断ちが敢行された。「夏には」「年末には」「お正月には」と言い続け、「早く飲みたいね」と苦笑をしながら、結局一年ビールなしで過ごすことになる。


初稿があがったときまず思ったのは、「ビールなど飲む気になれない」だった。
目の前にはまだまだ続く道があった。けっこう登ったんじゃないか、と思って顔をあげるとまだ麓だった。そんな気分だった。
「小説って大きいな」
改めて思った。


昨日、編集者と夜中にビールを飲みに言った。
1年ぶりに飲んだビールはきちんとおいしかった。飲んでもらえてよかった、とわたしはまずは安心した。


「できるかな? この小説」
その言葉を何度も飲み込む。
「書くしかないよ」
と、わたしはこの人に何度も言われてきたからだ。

これから改稿が始まる。目の前に現れた初稿を、さらに深く密にしていく作業。
いつか届くだろうか。誰もに通ずる、感情の水源まで。その方法として、わたしは書き続けることしか知らない。


編集者はわたしを「小説家」と呼ぶ。
小説を書いているからだという。
確かにそうだな、と思う。わたしは小説を書いているので「小説家」なんだろう。
明日からは、こちらで書いていきます。
よかったらのぞきに来てください。

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文鳥社・土門蘭