文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2017/03/27(火)

ある短編がなかなかできなくて、また今日もゼロから書いた。これで3つめだ。登場人物を変えて同じ風景を移動してみる。そうすれば、最後まで書ききれるのではないかと期待をもって。
それでもやはり、キーボードを打つ指の動きは徐々に遅くなっていく。それは否めない。わたしはコーヒーを飲んでどら焼きを食べた。お昼もしっかり食べたのに、書いているとすごくお腹が減る。

指定文字数は4000文字ほど。書きたいことや書かねばならないことが多すぎてとても収まらない、と思う。
50m走と400m走では走り方が変わるように、原稿用紙10枚と100枚では書き方が変わるということなのだろう。

編集者から電話をもらう。彼はわたしのこれまでの文章を読んで、以下の三つの対立構造がこの短編のなかに含まれていると言った。

・(今と昔の)時間軸
・(インサイド・アウトサイドの)対象概念
・(場所の移動の)空間的概念

本当だ、とわたしは思う。その通りだ。それがぼんやりとしていたから書くのに迷いが出るし、どうも腑に落ちなくてふわふわしてしまう。
ずっとわたしが考えていた「わたしは何を書きたいのだろう?」というのは、つまり主軸は何か、ということだったのだろうなと理解する。

「要素をシンプルにするのがいいかもしれないね」
と編集者は言った。わたしは「そうだね」と答えながら、彼の言うことをメモする。忘れないように。忘れないと思っていても、絶対に忘れるから。

文芸、という言葉を編集者は今日何度か使った。まさにこれは「芸」だと思う。彼は「場数を踏めばできるようになる」と言ってくれた。わたしはまだよちよち歩きだけれど、転ぶのを恐れないで歩いていれば、いつか歩けるようになる。

「今、3つめの原稿を書いていたんだ」
わたしは、少し気が咎めながら言う。堪え性がなくて、書けそうだと思ったら手当たり次第に書いてしまうので、それに付き合わせて申し訳ないなと思って。
でも編集者は
「それも送って。読みたいから」
とあっさり言った。
「言ったでしょう? 情報は多いほどいい。どうすれば君が書けるようになるのかを考えるのが僕の仕事だから」
わかった、とわたしは言う。少しほっとしながら。

すると編集者は、
「それに僕は、君の書いた文章を1段落でも多く読みたい」
と言った。
「編集の仕事で幸せなことは、誰も読んだことのない“幻の作品”が読めることなんだよ、土門さん」


わたしにとって幸せなことは、未完成の作品も読んでもらえることだ。
よちよち歩いて転ぶまでのこの数歩も、見てもらえることだ。

「ありがとう」
とわたしが言うと、
「こちらこそ」
と編集者が言った。

さあ、また書こう。