文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2018/11/21(水)

ちょっと前に近所のお宅で大そうじがあった。年輩の男性がひとりで暮らしているお宅なのだが、庭は手入れがされておらず草が生え放題で、家の中にもいろいろとものがたまっていたらしい。近所の方から苦情が来たそうで、市の役員の方や町内会の方たちが集まって大そうじをしたようだ。平日だったのでわたしたち一家は呼ばれなかった。

当日、そのお宅の脇を通ると、ゴミ袋が多分100個くらいは積まれていて、こんなに家の中にあったんだなと驚いた。からだが悪くなってものを捨てることができなかったのかもしれない。さびてもう使えなくなっているのであろう家電や、けばけばになった箪笥なんかも裸で路地に出されていた。

よく思うのだけど、「ものを捨てる」ということが滞ることさえなければ、家はある程度清潔に保つような気がする。「捨てる」よりも「持ち帰る」ほうが多くなったときに家はもので溢れかえり、整理整頓ができなくなる。
わたしはこのお宅の男性が「捨てる」よりも多く「持ち帰」っていたのだということを思う。奥さんに亡くなられてから急に家が荒れ始めたのだという。誰かがそう言っていたのを思い出した。

わたしはそうじをするたびに、この行為は自分を大事にしている行為だなと思う。自分で、自分に何が必要なのかを確認し、古いものや不要なものは捨て、よく使うものは整理してもとの場所に正す。自分がすこやかに生きていくための、思いやりの行為だ。

ものが少なくなったあの家で彼はどのように過ごしているんだろう。
彼が外を歩いているところを、わたしはほとんど見たことがない。