文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2018/04/25(水)

宿での「私小説」特集もそろそろ終わる。今日は家で、この特集についての鼎談記事を書いていた。それが終わり、次の原稿のテープ起こしに取り掛かる。予定を組んだときからわかってはいたことだけれど、小説の改稿がどんどん先延ばしになっている。こわい。

柳下さんと鼎談記事の話をするために電話をした。〆切の話をして、ごく通常モードで切ろうとした。でも、このまま切ったら、そのあとのひとりの時間に耐えられるだろうか。そう思って、わたしは電話をぎゅっと握って、「ちょっと話をしてもいい?」と尋ねた。声が震えた。「すごくこわいんだけど、どうしてだろう」

柳下さんはすぐに掛け直すから、まずは息を全部吐き切るようにと言った。息を全部吐き切ると、自然と息を吸い込むことになる。それを繰り返すと深い呼吸ができるからと言った。わたしは電話をいったん切って、言われた通りにした。そしてずいぶん長い時間水を飲んでいなかったことを思い出して、水を汲んで飲んだ。

すぐに電話はかかってきた。
「よし、君の話を聞こう」
と彼は言った。とはいえわたしは何を話したらいいのかわからなくて、簡単な言葉をいくつか話した。「なんだか不安でしかたない」とか「小説に触っていないからだろうか」とか「本当に書けるのだろうか」とか。

「小説の初稿を書き上げる前と後とでは、君は確実に変化している」
柳下さんはそう言った。
「その変化したあとに小説に触れていないとなると、不安定になるのも当然かもしれないね」

手から離れていってしまうのではないかという感覚。離れていったが最後、もう戻ってこないのではないかという感覚。

「身もふたもないけれど、書くしかないんだよね」
気の毒そうに彼は言う。でも本当にそうなのだ、書くしかない。いつもこの答えに戻ってくる。書くしかない。書いたものしか、わたしを助けることができない。


「小説家は幸せになれるか問題」
柳下さんはそうつぶやいた。そして「なれると僕は思う」と言った。
「だけど、幸せになった小説家は小説を書けるのか問題」
わたしは「書けるの?」と尋ねる。彼は「書けないんじゃないかと思うんだ」と言った。「純文学は、ということだよ。エンターテインメント小説なら話は別だけど」と付け加えて。

「創作は癒しだからね。癒す必要がなくなったら書く必要もなくなる。だけど、小説家に限らず、生きていくってことは多かれ少なかれ傷つくってことだからねえ」

わたしは途方もない気持ちになる。いや、途方はあるのだ。わたしがそこから、逃げているだけで。

柳下さんはわたしと出会ってからずっとおなじ事を言っている。
書くしかない。書くことでしかわからないことが確かにある。書いていれば、必ずいつか完成する。


これからは、毎日少しでもいいから小説に触れることにした。
小説に触れるのもまた、こわい。かたかったらどうしよう。冷たかったらどうしよう。
でもそれもまた、書くことでしか、解決しないのだ。