文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2018/04/07(土)

雨だ。少し寒い。
朝からずっと家にいて、たまっていた家事や雑務などをした。来週は長男の入学式なのだけど、体操服やシューズを買ったり、えんぴつに名前を書いたりしないといけない。

夕方、近所の喫茶店へ行き短編の仕上げにとりかかる。

まわりで面接が数件行われていた。どこかの企業が面接会場に使っているようだ。「いい質問だねえ」とおじさんが大きな声で言った。
となりではカップルがスマートフォンを一緒に覗き込み笑っていて、逆のとなりではビールを飲みながらキーボードを打つひとがいる。わたしの定位置には、今日は彼が座っている。


2018年4月6日(金)

故郷の呉市を舞台にした、短編小説をひとつ書いた。先日仕事として受けたものだけれど、この短編はずっと書いてきた長編小説につながる小説となるだろうから、一回これに集中しよう、と編集者は言った。でもなかなかできあがらなくて、そのたびに「なかなか書けなくてごめん」と編集者に謝った。彼は書きあぐねているわたしに「短編でこのやりとりができてよかったよ」と言った。

呉市は自分が18年間住んでいた街だ。そこで過ごした自分のことも、いやというほど知っている。だからすぐに書けるだろうとたかをくくっていた自分を、何度も原稿を書き直しながら呪った。

自分の中に潜って本質に触れなくては、多分読者の誰にも響かない。それがとても怖かった。本質は、書き始めるまでは見えていない。そうだ、書きながらでしか探せないものだったのだと、わたしはまた思い出す。長編の初稿を書き上げるのに、あんなに苦労をしていたのに。

潜ったときに何もなかったら?
何かあったとしてそれをちゃんと言葉にできなかったら?
書くことでしか潜れなくて、書くことでしか言葉が紡げない。だからわたしは書くしかないのだった。とにかく。そうだった。ばかだな、また忘れたりなんかして。

手を動かして、動かして。
ふと液晶に浮かびあがった一行を読んで、わたしは手をとめた。
そして「そうだったの」とつぶやいた。
書くまで知らなかった。わたしは、この言葉に出会えてよかった、と思った。

「いい文章だ」
原稿を送ると編集者が電話をかけてきて、そう言った。
まだ赤字を入れる余地はあるかもしれないけれど、ひとまずは、と彼は言う。いやあ、とふたりで息をつきながら。
「まずはお疲れ様でした」

わたしは電話を切って、ぼんやりとトイレへ行く。そしてずいぶん水を飲んでいなかったことに気づき、水道水を汲んで飲んだ。
部屋に戻ると子供たちが散らかしたおもちゃがそのままになっていて、洋服がソファにかけっぱなしになっている。いつの間にか雨が降り出していて、干しっぱなしでびしょ濡れになっている洗濯物を部屋の中に入れた。PCのメールボックスの返信していないメールたちを見て、わたしは首をまわす。ごき、と大きな音がして、ふーと息をついた。

そして
「よかった。できた」
とわたしはひとりごとを言った。

もう、子供を迎えに行かなくてはいけない。
お皿を洗って、ごはんを作って、洗濯物をかわかして。

そしてまた、小説を書こう。

2018/04/05(木)

ゆうべは眠るまで短編を書き、今日は午前中に短編を書いた。正午、編集者にそれを送る。鏡を見るとぼさぼさの髪の毛に、めがねが曇ったわたしがいた。どういうわけか、夢中で書いているとめがねが汚れて曇ってしまう。無意識に触っているのだろうか。目が充血している。


月曜日ぶりに宿へ行く。
今日はお昼から来客があるので、お湯をわかしてやかんを用意する。お子さん連れで来るとメッセージがあったことを思い出し、「ジュースを買えばよかったな」と思い、宿の冷蔵庫を念のためチェックすると、見事にお酒しかなかった。ソフトドリンクだ、と思い手にとったのはレッドブルで、わたしは諦めることにする。

松井さんが連れてこられた、宮崎でコピーライティングをしているという渡辺さんとは初めてお会いした。彼女はわたしと同い年で、同い年の男の子がいる。息子さんは「かん君」と言って、漢字を聞くと「環」と書くのだと教えてくれた。環君はまつげが長い。わたしは自分の長男を見ているような気持ちで彼を見る。数字が読めることを褒められ浮かれる彼、そしてゲームが欲しいと言って泣く彼、「まるで廉太郎みたい」と思う。わたしは環君の頭をなで、チョコレートをあげた。涙でまつげをびっしょり濡らした環君は、チョコレートを手にするとぴたっと泣き止んで、お母さんの顔を見た。そして嬉しそうに笑った。わたしは彼がかわいくてしかたないと思った。廉太郎に会いたいと。

それから藤本さんがやってきた。藤本さんは、今日から宿で働く人だ。わたしと同い年で、もともとデパートで働いていたのだけど、10年以上勤めたそこを辞めてこの宿で働くことを選んだ。ここで働きたいと、彼が言ったのだと言う。
「プロポーズされた気分やった」
そう言っていた岩崎君は、そのプロポーズされた相手が初出勤だというのに今日はいない。アメリカに野球を観に行っているのである。わたしは出がらしのお茶を藤本さんに淹れ、
「藤本さんが来たよ」
と岩崎君にメッセンジャーで送った。すると、イチローの動画が返された。イチローは大きな背中をしていて、小さな画面のなかでもちゃんとスーパースターだった。

それからしまちゃんが来て、小嶌さんが来た。
しまちゃんが藤本さんにあれこれを教えているのを聴きながら、小嶌さんと向かい合って仕事をする。

外からふらりと入ってきた男性は、
「ちょっと見ていっていいですか?」
と言った。
そして宿の中を静かにじっくり見てから、お礼を言って出ていこうとする間際、
「土門さん?」
と、ドアに描かれているわたしの名前を見てそう言った。
「あ、あなたが土門さんですか。宿で小説を書いているっていう。ああ、ここがその宿かあ」
彼はすべてが繋がったみたいに、「なるほどー」と言って笑った。
「きょうちゃんのSNSで見て、いつか来てみたいなって思っていたんです。でもまさかここがそうだとは思わなかったなあ」

きょうちゃん。
「柳下さんのお友達ですか?」
そう聞くと、彼はうなずいた。柳下さんは「恭平」という。

彼は原さんといって、京都で打ち合わせがあった帰りに、ふらりとこちらに寄ったらしい。わたしは宿に貼られている柳下さんのコラムを教えてあげる。彼がそれを読んでいるあいだに、柳下さんに「原さんがいらしているよ」とメッセージを送った。

「きょうちゃんらしい文章だなあ」
原さんが微笑みながら帰ってきたとたん、わたしのiPhoneが鳴った。柳下さんは「原ちゃんにかわって!」と言った。

わたしは自分のiPhoneを通じて「きょうちゃん」と「原ちゃん」が話しているのを聴きながら、またこたつに戻る。遠い東京で、「きょうちゃん」が笑う声がした。


2018/04/04(水)

昔くりかえし読んだ短編集を、久々に引っ張り出して読んだ。
おもしろくて、切なくて、美しくて、今もまた夢中になって読んだ。

わたしは、本当に小説が好きだなと思った。

それから、自分も小説を書いた。
まだできあがらない。

2018/04/03(火)

日中子守をしていたので、夜、晩ご飯を食べてから家を出る。
いつも行く喫茶店が閉まっていたので、違う喫茶店に行った。そこで閉店までずっと短編を書いていた。

この短編は今回で5回目のアプローチ。

「小説は、砂をだんだんと寄り固めていくような感じ」
と、前に編集者に話したことがある。まさに今もそんな感じで、手から砂がこぼれてしまいそうになるのを、必死になって寄せ集めている。

疲れ切ってぼんやりとしながら、閉店間際にレジに行きお金を払う。
値段を聞いて、店員さんがサービスしてくれたのがわかった。

外に出ると少し寒いけれど、やさしい夜。

2018/04/02(月)

宿へ。

敬子さん来る。
敬子さんがビールの小さなグラスを用意するのでなんだろうと思っていると、そこにポッキーをざららと入れて、立てた。敬子さんは、いつもこういったお菓子を持ってきてくれる。それでだろうか、彼女といるとなんだか高校時代の放課後を思い出す。

敬子さんがパリのおみやげにトートバッグをくれた。パリにある本屋さんで買ってきてくれたのだという。黒と白があって、「柳下さんとわけてください」と言ってくれた。
「BOOKって書いてありますね」
「パリの本屋さんで買いましたからね」
「あ。でも下はフランス語だ。読めない」
「うん、パリだから」
「黒も白もかわいいですね」
「形がちがうんですよ」
「あ、ほんとだ、形がちがう」
「マチの入り方がちがっててね」
「あ、マチが横にあるタイプとないタイプなんだ」
「ねえ、土門さん? さっきからわたしが言ったことを繰り返しているだけですよね?」
「あ、ほんとだ」とわたしは笑う。そしたら敬子さんも笑って、
「土門さんは自分で発見しないと納得できないんですね」
と言った。

扉の向こうで気配がして、見たら太田さんが立っていた。
開け方がよくわからないのかもしれない、ガラス越しにこちらを見ているので、つっかけを履いて急いで開けに行く。
「こんにちは」
「こんにちは」
太田さんは「焼き菓子です」と紙袋をくれた。開けるとメレンゲやビスケット。
「すみません、ぬるいですけど」
とお茶を出すと、太田さんが笑った。

太田さんはわたしが10代のときに知り合ったデザイナーさんで、もう10年以上の付き合いになる。
わたしは太田さんのデザインも好きだけれど写真がとても好きで、彼のブログをずっと見ていた。彼がInstagramをやっていることを知って見に行くと、フォロワーがびっくりするくらいの人数がいて、「やっぱりすごいんだ」と思った。
でもだんだん太田さんの投稿が減っていっていて、久しぶりに投稿されたなと思ったら、その写真のひとつにソウル・ライターの言葉が引用されていた。

It is not where it is or what it is that matters but how you see it.

その写真は、車のなかから見た景色。
窓に雨粒、その奥に、雲が途切れた青空。


太田さんと打ち合わせをして、それから敬子さんと3人で話した。
画材屋さんの話になって、
「太田さんは絵を書かないんですか。プライベートで」
と訊く。
すると太田さんは
「油絵を描きたいんだけど、なかなか今は時間とれなくて」
と言った。
敬子さんが「油絵かー」と言う。
「油絵は気軽には始められないですよね」
「そうなんですよね。とりあえずイーゼルは買ったんですけど。小学生の頃、ちょっとやってて」
「小学生で油絵を? すごいですね」
わたしは油絵を描いたことがないので、ふたりのやりとりをそばで聞く。
「油絵は、情念って感じしますよね」
情念。わたしが繰り返すと、敬子さんはうなずいた。
「何度も何度も色を乗せて、情念を重ねる感じ」
太田さんは笑って
「うん、ますます今は描けないな」
と言った。


夜、図書館に本を返しに行く。小説の参考文献はどれも古く、甘い紙のにおいがする。それらを敬子さんにもらったパリのバッグに詰めて出かけた。
夜の岡崎疎水に満開の桜が重たそうにしなだれるのを横目に、自転車で走る。

It is not where it is or what it is that matters but how you see it.

太田さんの油絵も見てみたいなと思う。

2018年4月1日(日)

1日子守の日。長男と次男にそれぞれ靴を買ってやった。明日から新学期。長男は小学校にあがり、次男は1歳児クラスへと進級する。
長男は銀色のメタリックな靴を選んだ。わたしはアシックスやニューバランスなどもっとオーソドックスなものがよかったのだが、履くのは彼なのでそれを買ってやった。自分の一番欲しい靴を手に入れることができて彼はとても幸福そうだった。
「こっちのほうがかっこいいのに」
と言うと、
「ぼくはこっちのほうがいい」
と返す。
その姿勢はなくさないでいてほしいと思うなら、銀色だろうが金色だろうが、黙って買ってやるのが筋というものだろう。

絶対価値と相対価値について先日編集者と話した。
小説は絶対価値で書くものだと彼は言う。だから常に「土門蘭」であらねば書けない、と言う。
編集者はわたしに
「聞かれたくない質問は何?」
と訪ねた。
わたしはちょっと考える。そしてすぐに鳥肌をたてる。おぞましい。

だけどそれが、わたしが書くべきことなのだ。

小説を書くことは、自分の奥地へと入り込むこと。本質に触れること。だからやはり「お金と自分だけの部屋」が要るんだと思う。自分の奥にもっともっと入っていくためには、時間と集中力と体力が要る。