文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2019/08/11(日)

お盆周辺はよく気分が落ち込む。お盆以外にも、年末年始、年度末もよくない。
「家」とか「家族」とかそういうのが苦手なんだろうなと、息子のプールを見学しながら思った。自分が死んだらどこのお墓に入るのかもわからない。
父も母も、どこのお墓に入るのかな。北海道と韓国にあるから、お墓参りも行ったことがない。祖父母の名前も知らないのだから、「家」というものがわたしにはすっかり欠けている。
だからなのだろうか、心細い。すごくさみしい。そのさみしさをまぎらわすように、本を3冊読み、映画を一本観た。

2019/08/10(土)

心配性なので、朝胃腸科へ向かった。お腹を何度か押されながら痛いかと聞かれたけれど、どこを押されてもなんだか痛くて、お医者さんに苦笑された。三種類の胃薬と、腹痛時に飲む頓服薬をもらう。

それからiPhoneの機種変へ。5年近く使っていたiPhone5が壊れたのだ。「5を使ってる人がまだいたんですね」と言われる。携帯電話会社のキャンペーンやクーポンやプランは、何度聞いても理解できない。「もう任せます」と言ったら笑われた。今日はよく笑われる日だ。

午後は買いものへ出かけた。ついでに、昔買ったバッグ(お出かけ用)とピアスを修理に出す。

欲しいものなんてそんなにないと思っていたけれど、街に出たらたくさんあった。わたしは知らないだけなのだろう。この世界の良いものを。

2019/08/09(金)

お盆前進行のもと数々の締め切りを守るべく、ひたすらに文章を書いていた。夜に家族で近所の中華料理屋さんへ。今週ずっと緊張していたのかもしれない、解き放たれた気持ちで脂っこいものを食べていたら、夜に急に胃痛に襲われる。あんなにひどいのは生まれて初めて。もんどり打ちながら、朦朧と眠りにつく。

2019/08/08(木)

嵐電エッセイを書くために西院へ。

途中で喫茶店に入り休みながら本を読む。小説家と臨床心理士の対談。読んでいると心がほぐれていくような気になった。自分はこのひとたちよりもずいぶん拙いが、彼らの言うことがとてもよくわかるなと思った。ひとりじゃないのだな、という感じ。それで涙が出て、ごまかすようにコーヒーを飲んだ。

2019/08/07(水)

このあいだニュース番組を見ていたら、ある50代の女性が集積場からゴミを持ち帰り、家がゴミ屋敷化していて、近隣住民が迷惑している、というニュースが流れていた。
アナウンサーが「なぜゴミを持ち帰るんですか?」と質問すると、彼女は「汚い家だから、もっと汚くしてやっているんです」というようなことを答えていた。父親と二人暮らしなのだけど、彼がリフォームに反対していて、それに対して反抗しているのだという。

それを見ながら「ああ、そういう気持ちってあるよね」と思った。汚いものはより汚くしたいと思う気持ち。わたしは放っておくとすぐに堕していくので、だんだんいろんなことがどうでもよくなって、やけになってしまうことがよくある。だけど、きれいな部屋にはきれいなものしか置きたくなくなる、ということもあるから、やっぱりきれいであろうと努力することは大事だなって思う。

きれいであろう、とも思わなくていい。できるだけましな方へ、という感じ。ゴミはあるよりないほうがいいし、花はないよりあるほうがいい。
ましな方へましな方へ。いつも自分に、そう言い聞かせている。

2019/08/06(火)

次男の看病をしながら仕事。夜、『わたしを離さないで』を読む。うすい紙を幾重にも慎重に重ねていくような、繊細な小説。静けさと緊密な空気に、読んでいてどきどきした。途中で苦い涙が出る。感動して大泣きするときの涙とは違う。多分、自分のすごく奥のほうを、細い細い針で刺激されたからだ。

2019/08/05(月)

次男が結膜炎になり微熱を出したので、今日は保育園を休ませた。土日ほとんど一緒にいなかったからか、「だっこだっこ」とたくさん甘えてくる。
眼科まで自転車で連れていったら、前の席からわたしに向かってたくさんおしゃべりしていた。

「みて、ちゃくのとらっくやで」「ちゃくももってる」「かこいいなあ」「みて、ぶっぶちゃんいっぱいやで」「にいに、いないね」「だれもいないねえ」
「ようおしゃべりするね」と言うと、「うん」とうなずく。

自転車で走りながら、「ああ、わたしは知らないことばかりだな」とふと思った。
車の種類も全然知らないし、もう運転のしかたもほとんど忘れてしまった。

自転車という乗り物には親近感を覚える。だって縦に長い線状なのに走るなんて、信じられないもの。じっとしたら倒れてしまう。穴ぼこだらけのわたしは、もっと車輪が少ない、頼りない一輪車みたいだけども。