本は僕らより長生きするからな
文鳥社を立ち上げてすぐ、荒神橋のすぐそばの郵便局で、ゆうちょ銀行の口座を作った。
局員さんが、真新しい通帳を持って「文鳥社様」と呼ぶ。
窓口に向かいながら、この感じは何だったけなぁと思う。
それで、息子を産んだときに似ていると思った。生まれたばかりの息子の名前を、助産師さんに呼ばれたとき。
産んだ直後で満身創痍だったのに、なんだかごっこ遊びをしているような気分だったのを覚えている。名実ともにお母さんになったのに、まるでままごとをしているところを大人に見られてしまったような気分だった。
局員さんが、
「出版社ですか。素敵ですね」
と言ってくれた。
その通帳に、わたしは自分のお小遣いの10万円を入れた。
そこに柳下さんの10万円が合わさる。
合計20万円。これが文鳥社の資本金だ。
「ここからスタートして、お金を増やしていこう。そしてそのお金で、本を作ろう」
と柳下さんが言った。わたしは「すごくわかりやすい」と言った。
お金を増やして、そのお金で本をつくる。
つくった本を売って、またお金を増やす。
すごくわかりやすい。
わたしは今、翠灯舎というウェブ制作会社に勤めていて、そこで育休をとっている。副業をもつことが認められているので、文鳥社での活動も応援してくれている。
今月末に育休があける予定で、子供たちの保育所も幸運なことに決まっているのだけど、文鳥社のいろいろを整えたいと話したら、育休あけたのち、2ヶ月間休職させてもらえることになった。
だけど、区役所にその話をすると、「うーん」という声が返ってきた。文鳥社で出版に従事することが、保育を必要とする正当な理由「就労」にあたらないのだという。文鳥社が「会社」ではないから、というのがその理由らしい。
「じゃあ会社にしよう」
と、すぐに答えは出た。それがいちばんやりやすい形ならば。
「すぐには売り上げが出ないと思うので、新しい会社でのお給料の欄は当分0になると思うのですが」
と言うと、区役所の担当者さんは「構いません」と言った。そして、「がんばってください」と言ってくれた。
それで昨日、法務局に行ってきた。
会社の作り方を調べてみたけれどよくわからなかったので、会社を作るにはどうしたらいいのかを聞きに行ったのだ。
調べたら法務局は荒神橋のすぐそばにあった。
荒神橋には何でもあるねえと話す。
パン屋、喫茶店、本屋(どれもすばらしい)もあるうえに、登記相談に乗ってくれる法務局まである。その上、鴨川には桜も満開。お誂え向きだ。
初めて行く法務局でやや緊張しながら順番を待っていたら、柳下さんがビニル袋をがさがさいわせながら、LANDのパンとコーヒーを持って現れた。
相談はすぐに終わって(「この書式をダウンロードして、記入してください」「ここに書いてあるものを用意して、持ってきてください」という回答がほとんどすべてだった)、拍子抜けしながら、わたしもそこから徒歩10秒の愛するLANDに、パンとコーヒーを買いに行った。
それからLANDの前のベンチに座って、パンをかじりながら喋った。
「ここのパンは本当においしいね」とか「彼はやはり天才だね」とか話す。
文鳥社を会社にすると決めたときに、東京にいる柳下さんから、メッセージが来たのを思い出した。
「どうぞ、末永く、次の代まで残す会社にしましょう」
と柳下さんは言ったのだ。
「本は僕らより長生きするからな。永遠に生きるからな」
会社を起こすなんて考えたことがなかった。
ましてや、出版の会社だなんて自分がやるわけがないと。
出版業界の不況は、前職の出版営業時代や、学生のときの書店アルバイト時代にいやというほど味わった。
つい昨年まで自分の言ってた言葉はこうだ。
「出版で稼ぐのは大変だから、仕事にはできない」
自分がこれまでどれだけ本に救われてきたというのか。
もらってばかりで、全然返さないで、出版業界は不況だからと知ったふうに、わたしには何もできることはないと言って、最初から諦めていた。
「出版はインフラだ」
と、思った。
だってわたしを支えてくれたのは本じゃないか。
だから出版はなくならない。
本は僕らより長生きする、永遠に生きる。
文鳥社もその大きな生命の一部になれたらいいなと思う。
そう返信すると、すぐに
「賛成」
と返ってきた。
鴨川では、桜が惜しげもなく咲きまくっている。
毎年桜が咲くころには、初心を思い出せたらいいなと思う。
さー、とっとと会社にしよう。
そして本をつくろう。
(文鳥社・土門蘭)