2018年2月13日(火)
自転車で宿に向かう途中、ひとりで笑いながら話しているひととすれ違う。スーツを着ている彼は、受話器を持たずにイヤホンか何かを通じて誰かと電話をしているらしい。耳から垂れるコードと話の内容から、ひとりごとを言っているのではなく、誰かと話しているのだな、と思う。
そのときふと小説を書く行為について考えた。いまからわたしはまた宿に向かい、そこでひとり改稿をする。方向性をある程度さだめ、そこに向かって手を動かして言葉を重ねていく。さっきのスーツを着た男性は、仕事の話をしていた。おそらく彼はこれから求められる仕事をして、それにふさわしい(時にはふさわしくないこともあるのかもしれないけれど)報酬を得るのだろう。誰かとの、手応えのあるキャッチボールのように。小説を書く行為には、それがない。どこか違う場所に身を置き、そこでひたすらひとり言葉を重ね続ける。イヤホンも受話器もないまま、泡のように言葉を吐き出すようなひとがいたとしたら、それはわたしみたいなひとなのだろうなと思う。
ときおり編集者は「壁に向かって話すよりましだよ」と言う。その言葉がわたしをひとりぶつぶつと話すひとにしないでいてくれていて、ちゃんと待たれていつか読んでもらえる、ということだけをよすがに、わたしはその曖昧な世界に身を置き言葉を重ねていっている。
教えてもらった方法を手帳でまた確認しながら扉を開ける。
2階には前日からの宿泊客の方がいて、物音がした。ひとがいる、と思うと気を遣ってしまって電気ひとつつけられない。そのとき電話が鳴って、こそこそ準備をしていたわたしは飛び上がった。見ると、阪神百貨店のバイヤーの吉田さんだった。以前、柳下さんとわたしをトークイベントによんでくださった方だ。声を出すと2階のひとが驚くのではと思い、出られなかった。こそこそと準備を終え、予定の10時をたっぷりすぎてから宿を開ける。カーテンをあげると、そこには吉田さんが立っていた。
吉田さんが入ってくるとにわかに宿はパブリックな場所となり、わたしは吉田さんのためにコーヒーを淹れた。吉田さんは、文鳥のノートをわたしにくれた。文學堂というところが作っている和綴じのノートで、夏目漱石の『文鳥』をモチーフにしているらしい。てのひらに白いからだとピンクのくちばしをした文鳥が乗った絵が、表紙に描かれている。
「すでにお持ちかなと思ったんですが」
と吉田さんは言った。それでも買って持ってきてくださったことがとても嬉しかった。
漱石の『文鳥』はとても好きな作品で、文鳥が非常にかわいらしく描かれている、というようなことを言うと、吉田さんは読んだことがないと言い、かわりに「漱石のなかでは『三四郎』が一番好きです」と教えてくれた。
吉田さんが帰るときにアラジンのストーブに気がつき
「点けないんですか?」
とおっしゃった。わたしは点け方がわからないのだと言うと、「寒いんだから教えてもらったらいいのに」と返され、教えてもらったのだが覚えられないのだと言い直した。
吉田さんは「覚えなくていいですよ、文豪なんだから」と言ってくれた。「ただ物覚えが悪いだけで」とわたしは笑った。
昼はひとりで岩崎くんに連れていってもらったお蕎麦屋さんに行き、また鶏なんばそばを食べた。ひとりだと同じことばかり繰り返してしまう。お蕎麦屋さんにはお客さんはいなくて、わたしは手持ちの文庫を開いた。文庫におさめられた小説は人物描写が鮮やかで大胆で、「こんなふうに書けばいいのか」ととても勉強になった。
供してくれたのは今日はおじさんのほうだった。岩崎くんいわく「七味とか山椒のふたまで空けて用意してくれる」ひとだ。岩崎くんの言うとおり、山椒はふたを開けられた状態で差し出された。七味は今切れているのか、小袋に入ったものがひっそりと置かれた。普段山椒をふらないわたしも、今日はふって食べてみた。
宿に戻り改稿をした。赤ペンで手書きで書き足していく。途中で何度も頭を抱えて、ひとりなのをいいことにあーとかうーとかうなった。
外では雪が降っていて、とても寒い日だった。