文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

紙の上に生息している小さな生き物

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文鳥社の初めての本、『100年後あなたもわたしもいない日に』ができて、1ヶ月が経った。初刷分はすべてわたしの手元からなくなり、今は二刷目を届けている。奥付を見ると、それぞれの年月日。それから、この本に携わった人々の氏名。
最後にはこういった一文が添えられている。
「この本は、職人による手作業の工程をたくさん経て、完成しました」
わたしはまだお会いしたことのない彼らの名前を見て、ひとりひとりに感謝する。そのうちのひとりが欠けても、この本は存在しなかった。ひとりひとりの名前を見ながら、手をかけてくださって本当にありがとうございます、と思う。


この本のデザイナーは、岸本敬子さんという。
敬子さんをデザイナーとして迎えたいと、本の構想ができあがってすぐのころに柳下さんが言った。
「ブックデザインは初めてだと言っていたけど、彼女に頼みたいんだ」

わたしはそれより前からずっと、マガザンキョウトというホステルで書いている連載コラムに、彼女に挿絵を描いてもらっていた。だけど、ほとんど敬子さんとは話をしたことがなかった。
間にはマガザンの岩崎くんという編集者が入っていて、わたしが文章を書いたら、彼女が絵を返してくれる。なんとなく、彼を通して文通をしているような感じだった。交わるというよりも寄り添うというような。そこに言葉はないけれど、その絵から何か聞こえてくるようだった。それが毎回すごく楽しみだった。
だからわたしにとって彼女はずっとイラストレーターだったのだ。デザイナーとしてわたしの文章やマユミさんの絵を取り扱うとき、彼女はどんなふうに行うのか、とても興味があった。


彼女とのはじめての打ち合わせは、蒸し暑い夏の夜だった。
柳下さんと敬子さんと三人で、マクドナルドに行った。3時間したらマクドナルドが閉店して、すぐにガストに移動した。そこでそれから1時間半、打ち合わせを続けた。
4時間半のあいだに、わたしはコーヒーを2杯と、ひどく甘いココアを2杯飲んだ。目の前で繰り広げられる、編集者とデザイナーのとめどなく溢れでるアイデアの応酬に、脳がカフェインと糖分を欲していたので。

敬子さんは「アイデアを出す体力」が尋常ではなかった。時間が経っても衰えるどころか、アイデアの量がいや増すのだ。結果としてそれがデザイナーである自分の首を締めるとしても、彼女はそれを臆することなんてまったくなかった。
もっともっと高くジャンプするために、果敢に崖をよじ登っていく。間違えたら惜しむことなくさっさと戻り、それからまた違う方向へ登っていく。柳下さんは違う方向から彼女に声をかけ、そっちはどうだとかこっちはこうだとか言う。
トリミングというテーマに合わせて紙を切り抜いてはどうだろう? 対談を載せてはどうだろう? カバーは透明にしてはどうだろう? 章と章のあいだに色紙が入っているというのは? こうページをめくったときに、こうレイアウトしていたら気持ちよくない?  

この体力はなんだろうか。どこから湧いてくるんだろうか。わたしはついていくので精一杯で、初稿を前に冗談ではなく意識が朦朧とした。

敬子さんは紙をめくりながら、
「本当に良い作品たち。関わることができて幸せです」
と言って眺めた。
そのときわたしはなんだか、絵と短歌が生き物みたいに見えた。紙の上に生息している小さな生き物。
「ちゃんと血が通っています。どこを切っても、血が出てきます」
と、慈しむように敬子さんが言った。

打ち合わせは夜の8時に始まり、0時半に終わった。ガストの外は夏の深夜だった。
自転車で御所のそばを東に向かって走った。ペダルを踏みながら、自分はいまとても幸福だなと思った。あの体力は、作品への愛なんだ。だから惜しみないし、無尽蔵だし、だからわたしはいま、とても幸福なんだ。
ひとりではないということを強く感じた。書くのはひとりだけど、本をつくるのはひとりではない。


組版が自由で、すごくいいですね」
本を手にとってくれた方から、そんな感想をよくいただく。そのたびにわたしは誇らしい気持ちになる。
「文字の置き方も、短歌の順番も、すべて編集者とデザイナーのふたりに任せました」
そう言うと、この間ある読者の方に驚かれた。
「短歌を区切る位置にも作者の意図が宿るものという考えがあったので」

わたしもそう思っていた。というか、スタンダードな歌集のように、一行でスペースなく文字を詰めて置くのが良いのだ、と思い込んでいた。
でもそこを敬子さんが愛をもって突き抜けていったとき、わたしの目線は急に空高くまで急上昇して、それまで見たこともない風景の中に連れていかれていた。

わたしはそのとき「この人に全部委ねよう」と思った。こんな風景を見せてくれる人なら、迷うことなく委ねよう。
歌集としてどうあるべきか、よりも、わたしたちの本としてどうあるべきか。
敬子さんと柳下さんの背中に乗っかって、いけるところまで連れていってもらうのが、その答えだと思った。 

 

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敬子さんのメッセンジャーより抜粋。

「短歌もね、扱ってくとどんどん愛着湧いて来まして、文字のレイアウトであんまり困ることはなかったんですよね。一句一句に性格があって、似合う構成をすでに持ってるようなものばかりでした。
これは絵も同じです。呼応し合う感じが素晴らしくて、ラブラブカップルかー!ってツッコミいれてましたよ。絵と歌にレイアウトされるのを待たれてて、「はいはい!待ってください。すぐにお席ご用意しますからー!」という感じでした」

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これを読んだとき、やっぱり、と思った。
やっぱり短歌も絵も、彼女にとっては生き物なのだ。

 

先日、マユミさんの個展を目的に、神楽坂のかもめブックスへ行った。
そこで、わたしたちの本を買ってくださっている方に出会った。
柳下さんが声をかけると彼女は驚いた顔をして、わたしと柳下さんの顔を見比べた。
「その本の、短歌を書いている者です」
と、どきどきしながら言うと、彼女は「わあ」と言って、
「サインをいただけますか?」
とおっしゃった。
わたしは緊張しながら、彼女の本を開いて万年筆でサインをした。それはわたしにとって、初めてのサインだった。

彼女はふと入ったかもめブックスで、偶然マユミさんの個展に足を踏み入れ、この本を手にとったのらしい。突然目の前に現れたにも関わらず、わたしたちのために『100年後…』を言葉を尽くして褒めてくれた。

「短歌も絵も素敵ですけれど、この、文字とか絵の配置の仕方が、とても気持ちいいなと思って」

柳下さんが「岸本敬子というデザイナーなんです」と言い、わたしが「きっと彼女も喜びます」と言った。


『100年後あなたもわたしもいない日に』は、本という「もの」としても大事にされるように、という想いで設計されている。
読者に大事にされるには、作り手がまず作品を大事にしなくてはいけない。
この本はすでに複数の作り手によって大事に大事にされていて、だからわたしは、紙の上に生息している小さな生き物たちを安心して送り出すことができる。

きっと誰かの本棚で、満足げに息づいているんだろう。

文鳥社・土門蘭)