文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2018/11/1(木)

取材で名古屋へ。名古屋駅で電車を待っていたら、一緒に仕事をしているフォトグラファーの方に声をかけられ、お久しぶりですねと席に座る。わたしが取材をしているとき、彼が写真を撮っているわけだが、彼がどんなふうに動いているのかまったく記憶にない。それってすごいことだなと思って「被写体が意識しないよう、もしかして気配を消していますか」と聞いたら、「そうかもしれないですね」と彼は言い、それから「写真を撮るのって、ボールをキャッチするのに似ています」と言った。「ここだというところに、自分から動いて、受け取る感じです」

それから彼は、写真を撮る目は「虫とか塵の目」だと言った。
「そこに、こういうのを撮ってやろう、みたいな自意識はないんです。心地良いなとだけ感じる、自我のない虫とか塵の目、みたいな」

だから、ときどき自分でもびっくりするようなのを撮れることがある、と彼は言った。
「初めて写真を撮ったとき、そういう目で世界を見ることができるんだっていうことを知りました。それがなんだか、とても嬉しかったんですよね」

なぜわたしが彼の写真を好きなのかわかった気がした。彼の写真が、虫が見た風景だからかもしれない。虫が光を浴びながら、その中にある海や、葉っぱや、子どもを見ている。そこに言葉はなくって、あるのかもしれないけれどそれは虫にとってただの心地よい音でしかなくて、だからとても静かで。

なんだかなつかしい。そう思うのは、かつて自分が虫だったときの、記憶なのかもしれない。