文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2019/05/09(木)

中原昌也の人生相談』という本を買ったのだけど今朝それが届いた。判型が面白くて、絵と題字がかわいい。人生相談のやりとりと、柱に映画の紹介が一個一個ついている。この映画があなたの悩みを解決してくれるよというのだ。そこもじっくり読んだが、すぐに読み終わった。人生相談というのはどうしておもしろいんだろう。時代を超えて愛される、新聞、ウェブ、書籍、雑誌、フリーペーパー、さまざまな媒体で取り扱われるコンテンツだ。

わたしもいっとき、積極的に人生相談にこたえていたときがある。
あれはうつをわずらってから寛解に向かうときだったろうか。仕事ができなくて、でも誰かの役に立ちたくて、でも継続的なコミュニケーションはしんどいときだった。お金はいらないから何かしたい。だからと言っておせっかいはしたくない。そういうときに、Yahoo知恵袋的な人生相談サイトはばっちりはまった。それは女性専用のサイトで、雰囲気が荒れていない優しい感じなのもわたしにはよかった。

誰からも相談に対する回答がない(つまり人気のない)人の相談ばかりに答えていた。一所懸命書くのだから、流し読みされるのではなく、ありがたがってもらいたいという下心もあったのだろう。失恋したての女子高生、自分に自信の持てない会社員、家族との折り合いがつかない中年女性、そんな人たちの相談に、自分なりの回答を書き込んだ。お礼を言われることもあったし、言われないこともあった。でもみんな、一様に「ハート」を送ってくれた。そのサイトには、ありがとうという気持ちを込めて「ハート」を送る文化があり、いつしかわたしのハートはたくさん溜まっていったのだが、そのハートが何に役立つのかは、ついぞわたしにはわからぬままだった。別に何もいらなかったので、調べる気持ちにもならなかった。ありがとう、元気が出ました、と言ってもらえたらそれで満足だった。言われなくても満足だった。

人の人生を客観的に見て、少しでも良いほうへ向かうにはどう動いたらいいのか一緒に考えるという作業に、自分自身が癒されていることに気づいた。たったひとつだと思ってしがみついていたわたしの人生が、ちっぽけでありふれたものに見えてくる。それは決して悪いものではない。たとえるなら、お土産屋さんで出会う安物のキラキラ光るキーホルダーや、わびしげにこちらを見るぬいぐるみや、日に褪せた星の砂の小瓶や、そういったなんだかあわれで愛おしく大切なものを見るような、そんな気分とすごく似ている。不意に涙ぐんで微笑んでしまいそうな、そんな感じ。

自分の人生がそういうふうに見えたとき、「ああ生きるのも悪くない」と思えた。
もうわたしは人生相談に回答しようとはまったく思わないけれど、またいつか、自分の人生にあっぷあっぷになったときには、匿名の回答者として存在しようとするのかもしれない。人気のない相談専門の。