文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2019/06/10(月)

エーリッヒ・フロムの『愛するということ』という本のなかに、こんな一説があって、時々思い出す。

たいていの母親は「乳」を与えることはできるが、「蜜」も与えることのできる母親はごく少数しかいない。蜜を与えるためには、母親はたんなる「良い母親」であるだけではだめで、幸福な人間でなければならない。

それで幸福な人間であるということはどういうことかというと、「しっかりと根づいている」状態である、とフロムは言っていたように思う。わたしにはそれが、自分の存在意義を他者に委ねない、というように読めた。

自分のへそのあたりに意識を集中すると、自分はここにしかいられないのだと思う。それならば、今ここにいる場所で、精一杯のことをするだけだ。ないものねだりをして、よそ見ばかりしていると、決して根付くことはない。茎は貧弱になり、花を咲かせることなく、「蜜」を与えることもできないだろう。

ああ、ここにしかいられないんだな、と思うことは、安らかでシンプルだ。