文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2018年2月10日(土)

3日ぶりに行った宿は3日前に出たときのままで、わたしはやっぱりアラジンのストーブの点け方がわからない。でも、電気やエアコンの点け方はわかった。
近所の紫半というだしまき屋さんで買ったお弁当をこたつに広げてひとりで食べる。

宿では音楽が鳴っていない。ここに滞在しはじめてすぐ岩崎くんに
「書くときに音楽は?」
と聞かれて、
「聴かない」
と答えたからだ。

外では雨が降っている。わたしは改稿を待つ原稿を広げ、赤ペンを持つ。時折通りすぎる人がちらりとこちらを見る。ガラス越しに。


デザイナーの敬子さんが車に乗ってやってきて、荷物を降ろした。いそいそと敬子さんは紙袋からなにやらを出す。敬子さんにデザインをお願いしていた文鳥社の名刺、ポスター、それから「100年後あなたもわたしもいない日に」の特装版カバー。それから靴下。ここは寒いからって、わたしの分も買ってきてくれたらしい。それからしょうがあめ、ピスタチオ、チョコレート。どんどん出てくるおみやげがうれしくて、お母さんみたいだなと思う。わたしもこんなお母さんになれたらいいのになと思う。

文鳥社の大きなポスターは2枚あって、1枚は黄色、もう1枚は青色のグラデーションをしている。黄色は柳下さんの色で太陽、青色はわたしの色で空色だそうだ。
「柳下さんはまだ見つかっていない素敵なものに光を当てる人」で、「土門さんは気持ち良い言葉の風を吹かせ、最高の色づきを見せてくれる人」なんだと、敬子さんは言った。そしてそんな本をたくさん創ってください、と。そんなメッセージとともにもらったラフに、どんな文句がつけられるだろう?

敬子さんが広げたポスターの下には、こんな文言が小さく入れられていた。
「As long as this exists, this sunshine and this cloudies sky, and as I can enjoy it, how can I be sad?」

「これは何て書いてあるんですか?」と訊くと、敬子さんは「それはね、めっちゃいい言葉なんですけど、何て意味やったかなあ」と笑って、iPhoneで調べ直しながら、アンネ・フランクの言葉なんですよと言った。わたしは驚いて顔を上げた。敬子さんはそれに気づかずに、液晶を見ながら日本語訳を読み上げた。

「敬子さん、この小説を書き始めるとき、『アンネの日記』の話を柳下さんとしていたんですよ」
でもそれは言わなかった。小さな奇跡みたいな偶然が嬉しくて、言葉にしないでそのままにしておきたかったから。
だから代わりに
「敬子さんって、存在自体がプレゼントみたい」
と言った。敬子さんはえーと言って笑った。


そのあと柳下さんが来てくれて、小説の改稿の話をした。4章にかなり追記をして、5章は大幅に書き直すことになると思う、1から3章は一部追記。そんな想定を伝えると、柳下さんが
「僕の考えていたのとほぼ一緒だ」
と言った。改稿の大変さは変わらないのに、ほっとする自分がおかしいなと思う。

それから手帳を広げて締め切りを設定した。締め切りを設定する柳下さんが、柳下さんのなかで二番目くらいに怖い(一番こわいのはしょうもない文章を書いたとき。「売文家」と言ってわたしをからかう時の彼の目は全然笑っていない)。

手帳に印をつけながら
「少し君は楽観的だからな」
と言われる。確かにそうだなと反省しながら、でも、楽観的じゃなかったらこんな小説書こうと思わないだろうな、と思う。
書き始めてすぐ、彼にこう言われたのだ。
「土門さんは、大変なものを書こうとしているなあ」
わたしはぽかんとしていた。書けると思っていたからだ。今思えば、あのときの自分の頭をはたいてやりたいけれど、そういうところがわたしにはある。つまり、やはりとても楽観的だということ。
「でも書けるよ、必ず」
柳下さんの「書ける」は、わたしの「書ける」よりもずっと重たい。

どす、と音をたてて揃えられる初稿の束を見て、敬子さんは
「すごいなあ、読んでみたい」
と言った。


そのあとしまちゃんが来て、カジカジ編集部の安岡ちゃんが来た。
安岡ちゃんがカステラドパウロの中がとろとろのカステラを差し入れに持ってきてくれて、しまちゃんがコーヒーを入れてくれて、にわかにこたつは女子会の体をなした。敬子さんが小さいころ鏡を見ながらでないと歯磨きできなかった話、しまちゃんが洗面所でアイラインをひいていてこけてしまった話をして、安岡ちゃんがそれを聞きながらしまちゃんが打ったという顎をさする。柳下さんは居心地が悪そうにコーヒーをあっという間に飲み干して、「それもいいかな」と言って冷めたほうじ茶に手を伸ばして、それもまた飲み干した。