文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2018/11/08(木)

4章の改稿をやっていて、これまで見えてこなかった問いがまたちょくちょくと出てきていて、今日だけでは書くのが追いつかなくて、「保留」をつくりながら前に進んで、ようやく最後までいった。最後までいっても、また戻らなくてはいけないのだけど、一度5章にいって考えたほうがよさそうな気がする。ぐるぐるとまわりながら書く。ものすごく頭が疲れて、コーヒーを飲みながらカステラとアルフォートとみかんをしきりに食べた。作業と創作は違う時間の食い方をする。創作は時間の換算ができないから、〆切というものでしるしをつけねばいけないのだろうなと思う。このあいだ編集者に設定してもらった〆切に、5章も0章も間に合わず、守ることができなかった。

最近、ぽろぽろと短歌を詠んでいる。短歌は、死を感じているときにしか生まれないような気がする。不思議なもので、死を感じているときほど「死にたい」という感情は起こらない。だって死ぬのだから。「死ぬんだな」と思うことと「死にたい」と思うことはとても遠い。「死ぬんだな」と思うときに短歌は生まれる。短歌はやさしい。歌だからだろうか。自分のつくった短歌を前にすると、「いつか死ぬんだな」という気持ちはますます強まって、「だからきょうもひとつ作品ができてよかった」と思う。それはやはりさみしい気持ちだけれど、こわいとか不安とかからは遠い気持ち。作品をつくるとき、いつもそんな気持ちな気がする。そのスパンが違うだけで。

わたしが死んでも、作品は残る。残したいとは思わないけれど、生きている自分のために残せてよかったと思う。