文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2018/03/22(木)

ある原稿を書いている。
それはわたしの故郷である呉について、自由に書いてほしいという依頼のお仕事だ。
制限はだいたいの文字数と写真の枚数以外ほとんどない。

昨日原稿を書いたものの、途中で筆が進まなくなった。明日になったら書けるだろうかと一旦寝て、目が覚めたのだけど、それでも手がうずうずすることはなさそうだった。

お皿を洗いながら、ずっと考えていた。何だろう、何が違うんだろう。そもそもわたしは、何を書きたかったのだろうか?

「あ」
とわたしは流し場に飛び散った水滴を拭き取りながら声を出した。
頭の中に、シーンが浮かびあがる。それから言葉。彼女が話す声。

書けそう。

心がごろりと、動くような音がした。うまくいけば、このままごろごろと転がり続けて、のびやかに轍を描けるかもしれない。書けそうだ、と思えるときは本当に嬉しい。まさに希望を見出した気持ちになる(逆に言えば、書けないと思うときは本当に苦しい)。

浮かれてそのまま走ってキーボードに向かいたくなる気持ちを抑え、コーヒーを淹れた。

頭に浮かぶシーンは写真のようだ。一枚一枚、大切。浮かれると、それらが手から離れて飛んでいってしまいそうな気がする。落ち着いて、じっくり見る。
そもそもわたしは、何を書きたかったのだろうか?

「あ」
わたしはまたつぶやいて、今度こそキーボードへ向かった。
コーヒーを飲み、とりかかる。
ゼロから書き始める。目の前に新しく文字が現れる。振り返らずに、まずは書く。


書かないとわからないことがある。
書いてやっとわかることがある。
書いて書いて、また戻って書き直して、また書く。


タイムアウトだ、とわたしはキーボードを離れ、コートを羽織る。
自転車に乗って宿へ向かった。本の在庫をとって発送をするためだ。

到着すると、しまちゃんと、小嶌さんがいた。それから、初めてお会いする女性。山中さんというお名前で、天狼院書店の店長さんだとうかがう。わたしは本の紹介をした。自己紹介をするように、本も紹介すればいいのだと思うようになった。
「知ってもらうだけでいいんだよ」
柳下さんの言葉がまた頭に浮かぶ。
すると山中さんは前々から興味があったとおっしゃってくれた。わたしは「あとで詳細を送りますね」と言った。それだけでいい。あとは本の力がなんとかしてくれる。今になってようやく、営業というのがどういうことなのか、わかってきた気がする。
本の力を信じて、できることだけやる、ということだったのだな。


そのあと、しまちゃんと小嶌さんと、三人で話をした。
ああこのことを書きたいな、と思った。でもすぐには書けないなと思った。それこそ、写真が手元から飛んでいってしまうようで。


今日が〆切なのに、原稿はまだ終わっていない。