文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2018年2月19日(月)

宿につくと、こたつに花が活けられていた。小嶌さんが買ってきてくれたらしい。
その隣には「土門さんへ 例のブツです」と書かれた紙袋が置いてある。送り主はけいこさんで、開けると魔法瓶とお茶が入っていた。わたしが寒がっているので、温かいお茶が飲めるようにと贈ってくれたのだ。驚いて思わず「すごい」「うれしい」と声が出る。しんとした誰もいない宿に自分の声が響く。

着いてすぐ、原稿を広げる。
赤ペンで原稿に直に手を入れていく作業は、キーボードに向かいゼロから書き起こす作業とはまったく違う行為で、小説に直に触っている感じがする。手を動かしていくうちに、少しずつだけど前より良くなっていっているのがわかる。「マシになった」くらいだけれど、それが積もっていけば、きっと良い原稿になるだろう。そう信じて、手を動かし続けている。
お昼、パンを食べながら広げたPOPEYEに、こんな言葉が書いてあった。
「肯定の繰り返しが信念に繋がる。その信念が深い確信になると、物事が実現し始める」
モハメド・アリの言葉だそうだ。「マシになった」を繰り返すことなんだな、とベーグルを噛みちぎる。

12時半ごろ、岩田さんが来たのでコーヒーを淹れる。
岩田さんはミュージシャンで、メス戌&Co.(メスイヌアンドカンパニー)という名前で活動していて、わたしが大学時代にイベントに出てもらったことがある。会うのも話すのも10年ぶりくらいだ。
学生のころはずっと「めすいぬさん」と呼んでいたけれど、スーツ姿の岩田さん(印刷会社で10年勤めて課長になっていた)を「めすいぬさん」と呼ぶのは気が引けて、今日は岩田さんと呼んだ。
岩田さんはわたしの歌集を買ってくださっていたらしく、それをビジネスバッグから出して、慎重に言葉を選びながら感想を伝えてくれた。眼鏡の縁は細い銀色で、わたしはそれをじっと見ておとなしく聞いた。
まず、この本は本である必然性を備えていること、それが良いと思ったということ。
そしてわたしの文章からは「他者性」を感じるということ。母に対する文章を読んでそう思ったということ。
「土門さんは、人のことをそう簡単に理解できると思っていないでしょう?」
眼鏡の奥で突然目がこっちを向いたので緊張した。緊張しながら、
「思っていないです」
とわたしは答えた。岩田さんはうなずいて、そういう人の文章はなんかほっとします、と言った。
「結婚して9年の妻だって、今ではもう同じタイミングで同じ言葉を言う時だってありますけれど、それでも自分とは違う他者なんですよね」
岩田さんは奥さんのことを「妻」と言った。その響きはやはり慎重だった。


午後、VOUの川良くんが来たのでコーヒーを淹れる。川良くんは予定よりも30分ほど早く来た。カレーを食べてきたらしい。
「カレーくさいかもしれないです」
と言ったけれど、別にカレーくさくなかった。川良くんは大きなジャンバーにロシアっぽい帽子を被っていて、あたたかそうだった。帽子を脱ぐと坊主頭になった。
川良くんは今日は「考えること」について悩んでいた。うつむきながらぼそぼそと「悩んでるんすよ」と言う。わたしはこれまで3回彼と話しているけれど、そのたびにちがう悩みごとに悩んでいて、それを聞くのがおもしろい。その悩みがVOUという場所に反映していくのはおもしろい。
「僕悩んでばっかりいるんすよ」
とぼそぼそ言いながら、川良くんはちょっと笑った。

川良くんと話していると、自転車に乗ってかおりさんがやって来た。かおりさんはVOUによく行くらしく、川良くんとも知り合いだったので、こたつにどうぞと招き入れる。わたしは本日3杯目のコーヒーを淹れる。
かおりさんは遠慮がちにこたつに入りながら、わたしと川良くんの話をふんふんと聞いた。川良くんが帰ったあとに、
「VOUよく行くんですか」
と聞いたら、リュックにつけたVOUのバッジを照れ笑いしながら見せてくれた。さっき見せたらいいのにと思って、わたしはつい嬉しくなってしまう。
「この花、おもしろい」
かおりさんが敏捷に身を乗り出してスマートフォンを取り出し、小嶌さんが持ってきてくれた花を手際よく撮った。かおりさんは花屋なのだ。
「グレーのカーネーションなんです。マガザンの色」
と、とちゅうで来ていた岩崎くんが言った。

それからしまちゃんが出勤した。彼女がてきぱきと宿のそうじをしている間に大学生の方が来て、絵描きの方が来て、ふたりとも不思議そうに宿のなかを見渡して、しまちゃんがやはりてきぱきと説明をした。
わたしはこたつの中で、そわそわしながらその光景を見ていた。