2018年2月27日(火)
宿に行くと、岩崎くんがこれからここで打ち合わせをするというので、
「よかったらこたつを使って」
と言ってこたつを空けた。
「いいよ、使いなよ。こたつ」
岩崎くんが遠慮をしたけれど、パソコンを持ってこたつを出る。カウンターはまだ寒いけれど、ガラス扉から日光が入ってきて気持ちがいい。
はじめに、大丸勇気さんという方が来られる。不動産の企画をされているそうだ。
「とてもいい名前ですね」
名刺を見ながら思わず言った。大丸さんは言われ慣れているように笑う。本当にいい名前だ。
次に、上着も来ていない、鞄も持っていない方が宿の前にぱっと現れた。岩崎くんが笑いながら、
「すっかり春の装いですね」
と扉を開ける。
「時計見たら打ち合わせの時間やって、うわーっと思って、そのまま急いで来ました」
ART HOSTEL Kumaguskuの矢津さんは、そう言って春風のように宿に入ってきた。アシスタントの留岡さんも、リュックにスキニーパンツという軽快な格好で一緒に入ってこられる。
打ち合わせのメンバーは揃ったようで、四人はこたつを囲んだ。四つの辺に、それぞれひとりずつ座る。
わたしは誰もいなくなった外を見た。ガラス扉の向こうの通りには、あたたかそうな陽だまりができている。
「土門さんです。小説家です」
と、岩崎くんがわたしを紹介してくれる。いつも岩崎くんはそう言ってわたしを紹介してくれるのだ。しまちゃんもそう。それでわたしはそのたびに名刺を出して、「土門です」と言う。
矢津さんが
「土門さんは、小説家なんですか」
と言った。そう聞き直されたのは初めてだった。不意を突かれてわたしは「あ、はい」と間の抜けた声を出す。
「小説を、書いています」
そう答えると、矢津さんは頷いた。
みんなが打ち合わせをしている横、カウンターで仕事をしていたら、敬子さんが途中で来て、財布を忘れちゃってと言う。言いながら、チョコレートを取り出す。
「これね、ホットミルクに溶かすとココアになるんですって。ちいーちゃいいろんな色のマシュマロがついてるんですよ。で、牛乳買ってこようと思ったんですけど、財布がなくて買えなくて」
それからまた違う板チョコを出して、
「これはこのあいだバレンタインにせっかく買ったのに、お店に忘れたやつ。取りに行ってきました」
と言って、ばきばきに割ってお皿に入れ、お茶も淹れて一緒に出してくれたので、わたしは出されるがままに食べて飲んだ。チョコレートはレモンの味がして、酸っぱくておいしかった。こたつからも「うまい」「レモンの味がする」という声がした。
打ち合わせが終わってから、
「禁断のおやつタイムやな」
と言って岩崎くんがカップラーメンにお湯を淹れ始める。
「ねえ、前もそう言ってカップラーメン食べてたよね?」
禁断でもなんでもないじゃん、とわたしが言うと、敬子さんが「あはは」と笑った。
「打ち合わせって頭使うからさ……」
岩崎くんがしょぼくれながらお湯を落とすと、宿の中にカップラーメンのかおりが漂った。
こたつの中、敬子さんと向き合いながら作業をしていると、敬子さんが
「ねえ、メジロ見ました?」
と言った。
「メジロ?」
「そう、庭に来るんですよ。花の蜜を吸いに」
「花?」
窓の外を見ると、桃色の花が咲いていた。
「あ、ほんとだ。咲いてる」
「なになに?」ラーメンをすすりながら岩崎くんものぞく。
「梅の花。メジロが来んの」
「へー。楽しみ」
「春だねえ」
「春は、苦手だなあ」
「春は苦手ですか、敬子さん」
「うん、だって不安になるじゃないですか」
「そうですね。不安になりますね」
「四時だ。時間じゃない?」
岩崎くんが言った。
「じゃあ、また」
「うん、今日もありがとう」
「こちらこそ、ありがとう」
「じゃあ、またね」