文鳥社の日記

京都の出版レーベル・文鳥社の日記です。

2018年2月23日(金)

ずっと家で書いていた。

昨日話した大学生の男の子は、本を読むと「こういう展開になってほしい」とよく思うらしい。わたしはそういうことを考えたことがないなと思う。目の前の展開は自分の思い通りにはならないもので、すでにそこにあるもので、自分の希望や願望がそこに入る余地はない、と思っている。要するに、物語をすべてそのまま受け入れているのだと思う。

昨日、ある小説を読んだ。やっぱりわたしはその物語に何かを求めることはなかった。ただ、物語の傍観者としていた。
「ああ、こういうことがあったんだ」
変えようのない歴史のようにそう思う。

今わたしが書いている小説もそうで、「こういう展開になってほしい」と思って書いていない。「こういうことがあったんだ」をなぞり、よりピントを合わせている感覚だと思う。わたしが考えたことなのに。わたしの想像のはずなのに。変だ。よくわからない。こんなに書いているのに、「わたしはこう思う」があまりない。したがって、何を書きたいのかもわからない。ただ、書きたいものがあるだけだ。

それはなんだか怖いことだ。小説に「作者の意思」というのはどれくらいあるものなんだろう?